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コトバでスケッチ6 「古い本屋」

※一枚絵のイラストスケッチ的な感じで、小説のワンシーン風の文章を書く描画力のトレーニングです。

 物語の構想があるわけではないですが、いずれ今後の作品に組み込むかもしれません。

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 例の本屋がとうとう潰れるらしい。そういえば店名はなんだっけ。軒にも書かれていなかったから僕は知らないし、名前なんてそもそもないのかもしれない。

 中心街から市バスに乗って30分ほどの僕の地元。家から歩いて五分ほどの近さにその店はあった。

 僕が進学のため地元を離れることになった年……今から十年ほど前に、その店から、これまた歩いて五分もかからない場所にTSUTAYAが出来て、本も扱い始めたものだから、これでこの店の命運は尽きたかと誰もが思っていたのだけれど、そんなネガティブな空気に反発して奮起するでもなく、それまで通りの細々とした熱量のままその店は存続し続けていたらしい。

 閉店の理由は、店主が高齢で店を続けるのが難しくなったからだそうで、名前すら知られていないその書店は、それでも生き永らえ、老衰のような形で店を畳むのだ。

 実家を出てから今まで、もちろん何度か帰省はしていたものの、わざわざ得体の知れない小さな書店を訪れる理由もなかったので、この店を最後に訪れたのは、中学の時に漫画雑誌を買ったのが最後になる。

 特別思い入れがあるわけじゃない。無くなるなら最後にもう一回見ておくか、という程度のモチベーション。自分の心の中用に写真のデータを一枚置いておこう、という感覚でいつも開けっぱなしのガラス戸をくぐった。

「何かお探しで?」

 老眼鏡と額の隙間からギョロギョロとした目を覗かせて店主は言った。十年前もそのもっと前も、ずっと変わらない。来訪者に必ず投げかける言葉だった。

 流石に小学生だった僕が、社会人になるくらいの月日が流れたのだから、店主も老けこんでいるのだろうと思っていたが、バリバリの爺さんなんだけど見た目は少しも変わっていなかった。ドライフラワーがそれ以上枯れないのと同じ原理なのかも知れない。

 店主の鋭い眼光も昔のままだ。小さい頃は、このギョロギョロした目で「何かお探しで?」と聞かれるのが怖かった。用事がない奴は来るな、と言われてるみたいに感じていたのだ。

 今となっては、僕ももう大人だ。背筋が痺れるような緊張した恐怖はもう感じないし、このお決まりのセリフも懐かしいというか、そういった余裕を持って受け止めることができる。

 もしかしたら、声かけは店主のポリシーなのかも知れない。愛想を良くするわけでもなく、とはいえ、どれだけ不機嫌な日でも必ずお客には一声かける。おまじないなのか、意地なのか、そういった理屈じゃないものに支えられて、この店は続いてきたのかも知れない。

 「いや、特に何も」

 僕の答えに「あぁ、そう」と目で答え、店主は視線を外す。

 この反応も変わらない。僕が子どもだったからこういう反応なんだと思っていたけど、相手が大人でも誰でも平等らしい。

 そう分かった時なんだか心が安らいで、そして、閉店してしまうことを初めて淋しいと感じた。



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