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怠けものの家庭婦人を葬れ!【エミリ•ディキンスン#187】

孤絶の詩人エミリ•ディキンスンが、普通の暮らしを葬り、自然と神と孤独をうたう隠遁へ踏みだすーその覚悟を示した詩である。まず原文を挙げよう。

How many times these low feet staggered —
Only the soldered mouth can tell —
Try — can you stir the awful rivet —
Try — can you lift the hasps of steel!
Stroke the cool forehead — hot so often —
Lift — if you care — the listless hair —
Handle the adamantine fingers
Never a thimble — more — shall wear —
Buzz the dull flies — on the chamber window —
Brave — shines the sun through the freckled pane —
Fearless — the cobweb swings from the ceiling —
Indolent Housewife — in Daisies — lain!
(#187)

以下、我が訳である。

いくたび萎えた足を上げようとしたか
真一文字に閉じた口だけが答えを知る
やってごらんーおぞましい鋲を回すんだ
やってごらんー鋼鉄の留め金を上げるんだ

冷たい額をなでるんだー熱くなるまで
みだれ髪を上げなさいーできるでしょう
堅く組まれた指をほどいてごらん
指抜きはもう二度とはめないのだから

バズれのろまな蝿よー霊安室の窓の外で
勇気をもてー太陽は窓硝子の濁点を照らし
恐れるなー天井の蜘蛛の巣ブランコの如く
怠けものの家庭婦人をひなぎくの園へ葬れ!

(ことばのデザイナー=筆者訳)

棺桶に入れたのは「怠けものの家庭婦人」、詩作や文学と離れて日々普通の暮らしを営む女性である。その裁縫の指抜きをはめていた婦人の手を合掌に組ませて棺に入れ、ひなぎくの園に葬る。その家庭婦人の生命体を葬ったあとには、詩人の本能をもつもうひとつの生命体を蘇らせる。

足を上げろ、口を開け、棺桶の蓋を留めた鋲や留め金を外せ!額を熱くして出てこい!髪をあげなさい!汚れた窓硝子の向こうで蝿がブンブンと飛び、蜘蛛の巣はゆわーんゆわーんと揺れている。立ち上がって詩作をするのだ!と。

詩の批評家のHelen Vendlerはこの詩を理解するため、ルカ書10章41〜42節を参照せよという(『Dickinson』P77)。

イエスがある村に入ると、マルタが家に迎えた。マルタは聖母となるマリアの姉である。姉はイエスをもてなす食事や飲み物などの家事をしたが、マリアはただイエスの足もとに座り、イエスの言葉に聞き入っていた。それを見たマルタが私の手伝いをするように言ってください、とイエスに言った。イエスの返答が次の言葉だ。

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」

マルタは家事をする人で、マリアは宗教をする人であった。それをイエスは見抜いていた。Vendlerはその故事を引いて、エミリが家事よりも詩作をさせよと神が告げてきた考えている。その通りだと思う。

エミリは家庭を捨てて神的なものに仕えた。そこでひとつ疑問がわいた。後世の人が、エミリに神性が訪れたことを理解すると、彼女は予期していたのだろうか?あるいは期待していただろうか?

私はその手の名誉の一切をエミリは捨てていたように思える。認められるかどうかは、クローゼットの奥に束ねた詩作に委ねた。その委ねるという態度こそ、俗なる野望も家庭の暮らしも何もかも捨てて、真の創造の世界に生きること、神に近づくことである。

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