見出し画像

内的羅針盤を歩め!【エミリ•ディキンスン#792】

宗教のない者が宗教的作品をどう解釈するか。これに悩まされることがある。聖書で星はどんな意味があるか、道はどうか、歩みはどうかを調べる。調べても判断がつかないことも多い。そんなとき、ゲーテの言葉が背中を押してくれる。

「芸術と宗教との関係も、人間の関心をかきたてるほかのすべての高尚なものとの関係とまったく同じさ。宗教は、たんなる素材と考えればいいので、人生の他の全ての素材と同等の権利を持っているに過ぎない。信仰の有無も、決して芸術作品の理解を左右する器官ではない」と言っている(『ゲーテとの対話』岩波文庫上巻 P172)

宗教をもたないと作品理解ができないことはなく、宗教を「苦悩」「救い」として理解すればいいと言う。それに勇気を得て、次のエミリ•ディキンスンの宗教的な詩を理解していこう。

Through the strait pass of suffering —
The Martyrs — even — trod.
Their feet — upon Temptations —
Their faces — upon God —
A stately — shriven — Company —
Convulsion — playing round —
Harmless — as streaks of Meteor —
Upon a Planet's Bond —
Their faith — the everlasting troth —
Their Expectation — fair —
The Needle — to the North Degree —
Wades — so — thro' polar Air!
(#792)

詩の理解は、Helen Vendler『Dickinson』の解説(本書P57〜)に助けられた。読み方の教示、多くの示唆があった。さらに深く理解するためには「もしも自分が殉教者であったら」と投げかける必要があるとわかった。この詩のテーマは“真の殉教者”である。エミリは教会から遠ざかり、自然の中に神性を見出して詩作をした。教会での懺悔ではなく、自分へ針路を向けた懺悔が心にあった。この詩を訳してみよう。

苦難への直通の道中 
殉教者は歩調を合わせた
その足は誘惑を潰し
その顔は神を仰いだ

厳かなる懺悔を分かちあい
神の畏れに震えあい
流れる星のように罪なく
我らの星で契りを結び

その信仰は 永遠の忠誠
その祈念は 正しきこと
内的羅針盤が指す 北の極を
渡れー極風をつんざいて!

(ことばのデザイナー/郷訳)

真の殉教者は死への道を恐れることなく、歩調を合わせて進む。殉教への道は誘惑に逸れず、懺悔を力にして、神の存在に震え、流れるように辿る。真の殉教には冷たい地、冷たい風が吹く。それらを恐れず歩め、というのだ。

歩みの方角を決めるのは羅針盤である。

internal compassというのはVendlerが『Dickinson』で示したフレーズで、内的羅針盤と訳してみた。教会やキリスト教権威が示すものではなく、自らの信仰の方角を示す羅針盤を持ち、その針を決めなさいというのは、エミリの姿勢、心意を見抜いた言葉であろう。

さて宗教を持たない我が身だが、自分の内的羅針盤には従いたいものだ。その東西南北はどんな方向なのか?たとえば不実ー誠実、苦難ー快楽、正心ー邪心などを置いてみる。自分はどっちに向かって歩んでいるか?正直に答えると赤面もしてしまう。

エミリのこの詩は「あなたはどの方角を行くのか?」と問うているようだ。北方の「冷たい方角」にゆけ、北風が吹く極地点にむかえ、という。安楽な方角ではなく、厳しさの中へと。

北風とはエミリが閉じこもった家に吹いていた風。誰にも認められることなく、それでも書き続けた部屋に吹いていた。詩作への忠誠心、殉教心がなければ続けることはできなかった。

寒さに弱い私にはつらいが、私も正しい内的羅針盤をもち、方角を確かめて書き続けたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?