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世間で家事が問題になりやすいのはなぜか考えてみた。

勝手に考えて勝手に結論が出たことを書かせてください。
今日は家事がなぜこんなにも世間で問題になりやすいのかについて考えてきました。
結論から言うと、資本主義のせいだと思います。
は???とおもったら最後まで読んでくれると嬉しいです。

先日、我が家ではちょっとしたことで言い争いになってしまいました。
原因は洗い物のやりかたとクオリティについて・・・
細かいことは恥ずかしいので割愛しますが、人それぞれこだわる部分がぶつかってしまうとわだかまりができてしまったりするものです。

同棲したり、同居したりするとどうしても付きまとってしまう家事の問題
どうしてこうも問題になりがちなのか、考えてみました。

家事が問題になるパターン

実際に家事が問題になるパターンはどんなものがあるか考えてみました。

・家事の負担が誰かに偏っている
・家事のクオリティに片方が満足していない
・ルールを決めたけれども守らない/守れない
・ごみ捨て、洗濯など、できないタイミングがあるものを忘れて溜まっている

他にもいろいろあると思いますが、大体これらに当てはまると思います。

なぜ家事で問題が起きてしまうのか

では、なぜ家事の問題が起きてしまうのでしょうか・・・。
それはひとえに、全員違う人間だから ということだと思います。

・性格 おおらかか、几帳面か
・仕事 家事以外にやらなければいけないことの量
・体力 
・容量、スピード
・得意なもの、苦手なもの

簡単に上げてみましたが、ほかにいくらでも出てくると思います。

これらの違いによって、人それぞれ理想的な状況が大きく変わります。
そして、その理想を守りたいという思いが互いにぶつかってしまうことで家事の問題が起きるのです。

また、人は自分が理想的な状況というのが一般的にも理想的な状況である
と思い込んでしまう
バイアスのようなものがあると私は考えています。

そして、そのバイアスは親しい人になればなるほど激しくなるのでお互いが「自分は正しいことを言っているのに相手が従わない」と無意識に思い込んでしまうわけです。

家事はお金で解決できるものなのか?

では、家事のいざこざをお金で解決することは可能なのでしょうか?
結論から言うと絶対無理だと思います。
その理由をお話していきます。

家事をお金で解決しようとした場合、どのような方法があるか?
・家事代行を呼ぶ
・片方に任せる代わりにお金を払う
簡単に考えると、この二つだと思います。

家事代行を呼ぶ

家事代行は忙しい共働き夫婦が増える現代では、使っている人も多いかと思います。
しかし、家事の問題をすべて解決してくれるものではないでしょう。
家事代行を雇っても、常に家事代行さんがいてくれるわけではないからです。

人が家にいれば、なにかと物は汚れます。
鼻をかめばゴミが出るし、お皿を使えば汚れます。
常に家をきれいにしていたいと思う人がいた場合、家事代行さんが来るまで汚い家で我慢を強いられることになるでしょう。
そうなればまた、相手の粗が気になってくるのは時間の問題です。
お互いがおおざっぱであれば問題ありませんが、その場合は家事の問題自体が起こりにくくなるのでこの話題にはあまり関係がなさそうです。

片方に任せる代わりにお金を払う

ではこちらの案はどうでしょうか・・・?
こちらも残念ながら現実的ではありません。

仕事で忙しいから、家事は奥さんにまかせっきりでにらまれるお父さんというのは、よく聞くシチュエーションでもあります。
じゃあその分お金払います。家賃は全額片方が持ちますといった方法を行うとどうなるでしょうか?

お金を払うということは、依頼する、雇われるということになり雇用関係となってしまいます。
お金を払ったからにはちゃんとやってもらいたいという気持ちも働いてしまいまうのです。
それとは対極的に、やってあげているのに!日給で1万くらいはもらうのが妥当!などと労働者側の要求も膨らむことになります。

しかしながら、自分の家で24時間体制で家政婦をするのも、一般的な給料で日給1万円で家政婦を雇うのも無理な話です。
そもそも、そんなにお金が払えるのであればもう一軒賃貸物件をかりて別居した方が安いでしょう。

家事は本来、自分のためにやるもの

では、なぜ一人暮らしの時は家事の問題がおきないのでしょうか・・・?
そんなこと聞くまでもないですね。
自分一人しかいないからです。

家事とは本来、自分のためにやるものです。
洗濯をしなければ、明日着れる清潔な服がなくなります。
皿洗いをしなければ、次に使う皿がなくなり、おまけにシンクがデロデロになります。
家事とはもとより、自分の住環境を守るためにやるものなのです。

現実的な解決策

この考えを応用するならば、複数人で住んだ時には選択肢は二つになります。
・自分の家事をやるついでにほかの人のもやる。
・完全に自分のことだけをやり、ほかの人のものはほかの人にやってもらう。

ひとつめは、みんなおおらかに自分のことをやるのだから他人のこともついでにやってしまおう。というものです。
優しい世界です。

二つ目は、ほぼルームシェア状態です。
洗濯、皿などを完全に分けてそれぞれで使うようなイメージです。
トイレとお風呂の掃除をどうするか問題が発生します。
当番制になるか、性格が細かい方が結局やることになるでしょう。

この二つが現実的な解決策となるのではないでしょうか。

家事の問題が起きるのは資本主義のせいでもある。

私は結局、家事の問題を一番ややこしくしているのは資本主義の世の中のせいであると思います。

この資本主義の世の中は、すべてが資本として扱われます。
お金、時間、体力、労働力、精神力・・・etc

家事を行うのには一般的にお金以外のものが中心に使われますが、それらを使っても一向にお金になることはありません。
お金以外のものも自分の資本であるため、家事をするたびに資本を奪われている感覚になってしまうのです。

この感覚に支配されてしまうと、自分以外は敵でしかなくなってしまいます。
平等の二文字を掲げてひたすら分担量に目くじらを立て、世の中を生きにくくすることに大きく加担することになるでしょう。

ここは反感を買うところかもしれませんが、私は家事の分担というのはあまり賛成できません。
分担をする、という考え自体が自分の労働資本を最低限に抑えたいという資本主義に侵された考えだからです。
家事自体がお金にもならないし、仕事でもない、もともと自分たちのために行うローカルなものなので、そもそも資本主義の考え方ととても相性が悪いのです。

ちなみに、専業主婦は年収1000万の労働価値があるとか言ってた人がいたとかいないとからしいですが.…さすがに経済について不勉強すぎると思いました!

最後に小難しく面倒なことを言ってしまいましたが、仕事中からずっとこんなことを考えていたのでせっかくなのでアウトプットさせていただきました。
お目汚し失礼、ありがとうございました。




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