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3人の顔も知らない男と僕と高専の話 3 

3人目の男

3人目の男は、僕の母校の後輩だった。僕は話した事がないが、同じ寮に暮らしていたようなのですれ違って会釈くらいはしたかもしれない。

彼は何の事件も学内でのトラブルもなく、ある夜寮から抜け出して、僕が所属していた天文サークルのあった屋上かから身を投げた。

この件は調べても何かよく分からなかったようで、目立った報道をされることも無かった。先のトラブルを通して高専も学生の人間関係に慎重になっていたので、本当に何も無かったのだろう。彼の話は、ほとんどの学生にも知られる事がなくスッと通り過ぎていった。

当時、SNSのくだらない誹謗中傷が原因で芸能人が相次いて命を絶ち、なんだか訳のわからない空気が流れていた。当時僕は「若きウェルテルの悩み」を読んでいて、ドイツで一昔まえに起こった「ウェルテル効果」というものについてぼんやりと考えていた。

何も代わり映えの無い日常、変わらない風景、変わらない毎日、そういったものに嫌気が指すことは僕もある。家でぼんやりとしていて、外が薄暗くなってくると、自分が何の価値も発揮していないこと、社会活動に参画していないことに対する焦りを感じることもある。

そんなときに、新しくなにか自分のエネルギーを発揮できる対象を見つけるきっかけを得られるかどうかは運によるところがあると思う。いま何かやりたいと思えることがあるならそれは幸運なのかもしれない。また、何か楽しめること、意味を感じられる活動をしているのであれば、そこに誰かを誘うことは、誰かの生きがいを見つけるきっかけになるかもしれない。 

3人目の男は、何を期待して高専に入学したのだろうか。

彼にとって高専の環境は、より広い世界を想像するきっかけのあるものだったのか。

彼にとって高専での学びは心躍るものだったのだろうか。

僕たちは、10代の学生がワクワクできるような何かを十分に伝えられているだろうか。



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