揺れて歩く ある夫婦の一六六日|清水哲男 第3回
(第二回から続く)
――歌を詠むことが「母」清水千鶴さんにとって自分を律するものだったというお話がありましたけれども、仕事や家族のための時間のほかに、自分のためだけの時間を使い慣れていないと、いざという時に何もできず立ち尽くしてしまうような気がします。コロナ禍で店を休業しましたが、閉めた当初は呆然としてしまって、それでできた空き時間をまったく有効に使うことができなかったんですよね……。
店舗経営や、会社勤めの人は生活が激変しましたよね。また、小さい子どもたちのいる場合は子どもの時間の消化に腐心しなくてはならなかった。ほんとうにたいへんなことだったと思います。
仕事でも趣味でもいいのですが、自分ひとりで没頭する何かを持っている人はきっと、没頭したいがために時間を捻出しようと日頃からやり繰りに腐心していますよね。すると今回のような非常事態にも臨機応変に対応できたのかなと思います。
ただし、勤務先から解雇の憂き目にあったり、店舗の維持ができないほど打撃を受けたりといった経済的な災禍に見舞われた人や、実際に感染して症状に苦しんだ人たちにとっては臨機応変どころではありません。そうした人たちへの救済がきちんとなされないうちは、安心して社会生活を送ることはできないし、だいいちウイルスの流行が落ち着く気配もまだ見えませんよね。
熊谷さんもそうですけど、高齢のご家族がいらっしゃると心配の種が尽きないでしょう。私は自分の親はもういませんが、現在は鹿児島におられる清水千鶴さんの安寧と平穏を祈らずにいられません。
最初に言いましたけれど、『揺れて歩く』では「母」の表情を生かした本づくりをしたかったんです。できあがった本を見た「母」に、「あ、私、きれいに写ってる」と思ってもらいたいし、夫の最後の日々を記したこの本を、誰よりも喜んで見てもらいたいという一念はつねにもっていたんです。
端的にいえば『揺れて歩く』は、「清水千鶴さんへの贈り物」という気持ちで私はつくりました。ですから本の装幀も、包んでお渡しするという意図を込めているんです。写真集ですから、どこから見ても写真集だとわかるようにカバージャケットにも写真をデザインすべきじゃないかという意見もあったし、一案として提示はしましたが、最終的に清水さんも現状デザインを支持してくださいました。
――包んで渡す「清水千鶴さんへの贈り物」というデザインコンセプトが受け容れられたんですね。
そのことは説明しなかったんですけどね。「清水千鶴さんへの贈り物」というのは、あくまで私の個人的な思いでした。装幀にかんしては、四の五のと言葉で制作意図を述べたりはせずに、数案を見てもらって好きなデザインを選んでもらったんです。
お母さん・清水千鶴さんのことに終始してしまいましたが、著者の清水哲男さんとしてはきっと、この『揺れて歩く』を、亡くなったお父さん・清水良一さんに捧げる気持ちが強いのではないかと想像しています。父と息子は何かと反目し合って生きてきましたが、末期がんを宣告された父を息子は懸命に支えます。支えつつも、冷静に、客観的に父を見つめています。親子の情愛云々以前に、清水さんの、ノンフィクションライターとしての職業的本能で、清水良一という余命宣告を受けたいち高齢者を観察しているんです。
――第三者的に観察しながらも、やはり当事者の身内として判断に迷い、葛藤のある様子が垣間見えますね。
そうですね。父親の望みどおりにしてやりたいけれど、医師の言うことを聞き入れたほうが体は楽なはずだ、といったようなことですね。
清水家は6代続いた指物師(板材をさし合わせて箱や箪笥など家具や器具を組み立てる職人)の家でしたが、父・良一さんの代で家業は途切れました。父と息子のあいだでは幾度も家業の継承について押し問答があったそうですが、けっきょく継がなかった。継がなかったせいで、200年続いた伝統工芸の技術者が確実に減ったわけです。そのことに対する負い目のようなものを、清水さんは若い時からずっと抱えて生きてきて、やがて父が廃業し、そして亡くなったいまも、まだ抱えたままだと思います。とくに、京都と鹿児島、離れて暮らしてきたので十分に意見交換することもなく、わだかまりを残したまま、こんにちまできてしまったという悔いが、『揺れて歩く』にはあふれんばかりに満ちています。
――でも、離れて暮らすからこそ、言葉少ない会話を反芻して、互いの真意をしっかり把握しなくちゃと思いますよね。これが同居していると、わかっているつもりになって、毎日毎日の雑多な出来事に流されてしまって、かえってきちんと意思の疎通が図れないままになってしまうのではないでしょうか。
おっしゃるとおりですね。私は両親と同居していましたが、会話なんてほぼ皆無でしたよ(笑)。
――「父」は著者に、家で死にたい、お母ちゃんや孫たちに看取ってほしいと言いますね。著者は「そこには俺はいないのか?」と尋ねますが、「父」は「お前はええ」と答えます。息子は鹿児島での仕事や生活を優先すればいい、と考えての言葉ですよね。
著者は、返す言葉がなかったと述懐しています。けっきょく親はすべてお見通しなんでしょうか。嫌ですねえ(笑)。
ともあれ、『揺れて歩く』を読んだ人が、大切な人との距離とか、あいだにある柵とか壁とかなんだかよくわからない遮るものとかを見直してみる気持ちになれたらいいなと思います。距離は、いたずらに縮めなくてもいいかもしれないし、高い壁も、とっぱらわずに置いといてもいいかもしれない。でもたまには見直して、少しだけ人に優しくなるとか、ちょっとだけでも身のまわり片づけるとか、何かのきっかけになるといいなと思います。
――ああ、それ、私はすごく思いました、身辺整理しておこうって。もう今日から老後を生きるんだ、今から死ぬまでの何十年という時間をかけて、ゆっくり景色を見ながら山を下りようと思いましたよ。
身辺整理、重要ですね。ウチも両親どころか先祖代々の遺品だらけなので、全部きれいさっぱり処分してから死なないと娘が可哀想だと思っています。私個人の持ち物でとうてい使い切れないなと思っているのはアイシャドーの数々。化粧しなくなっちゃったから減らなくて。でも新しい生活スタイルの導入に合わせて(笑)残りの人生は丹念にアイメイクして使い切ろうと思います。
(第三回終わり)
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