十年日記 #20

十年日記をつけはじめて三年目になる。

分厚い紙の、辞書みたいに自立する鈍器日記帳に、手書きで書いていく。

見開き二頁に、おなじ日付で十年分、毎年書けるようになっていて、去年の今日はこんなことがあったのかあ、と前の年、さらに前の年、と云うかんじに振り返ることができ、つづければつづけるほど、記録と記憶が積み重なっていくのが愉しい。

一日に書ける分量は一行か二行ほどで、気楽につづけられている。

書かれていることは、その日に何の本を読んだとか、何のテレヴィを観たとか云う記録がほとんどで、あとは日記をつけはじめたのが、ちょうど子の生まれる前後と重なっていたから、きょうは子どもが初めてこんなことをした、とか云った記録も振り返ることができ、成長の速度に驚いたり、小さかった頃を懐かしんで微笑んだり、と云った愉しみ方もできる。

水性ボールペンで、サラサラ書いていく。すぐ乾くタイプで、日記の紙も書き心地が良い。

翻訳家の斎藤真理子が、やはり翻訳家のくぼたのぞみとの往復書簡で日記の話をしていて、身の回りのことから社会的な事件もふくめた、その日あった〈出来事〉を書いている、と語っていて、僕も真似してみようかなとおもうのだけれど、身近な出来事=子の成長とかならいざ知らず、社会的な出来事=ニュースとなると、戦争やら疫病やら災害やら、汚職やら差別やら迫害やら不幸やらと云った、暗い話題ばかりで、途端に暗澹たる気持ちになる。

つづけるのが厭になりそうで、ネガティヴな話題は身近なことも含め書かないことにしている。

あいつにムカついた、とか、こんな厭なことがあった、とか、そう云うのを言葉にして書き残してしまうと、負の感情が(文字通り紙のうえに)定着し、拭い去るのが難しくなるのではないか。

今年の今日は良い事があって、折角ゴキゲンな気分で日記帳を開いたのに、去年の今日、沈んでいた自分と再開し、その負に引っ張られてしまうのも面白くない。

だからって、政治や社会の暗い諸課題が、僕の積読か!てくらい堆く山積しているのに、それに正面から向き合おうとせず、莫迦明るいスポーツの話ばかりしているニュースに僕は心底憤っているのだけれど。

暗くはなりたくないけれど、憤りは忘れないでおきたい。

なら社会の諸課題も、やっぱり日記に書いておいたほうがいいのか。

僕はゴキゲンに怒っていたい。

身の回りではゴキゲンに、ふざけた世の中に対しては怒りを。

いつもにこにこ、ときどきぷん、である。

使っている日記帳は以下👇

日記と云うかメモである。

斎藤真理子とくぼたのぞみの往復書簡は以下。
僕は文芸誌で読んだが、しばらく前に単行本が出た。
まとめて読むとまた印象がちがうかもしれない。本でも読み直そうかな。

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