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アタマがいい人は勉強マウントしない?勉強マウントする人の本当の目的

こんにちは、cotです
Xでポストしたり、youtubeで毎週金曜日に備蓄や心構えなどについてライブを行っている者です
今回はこちらのポストについての追加見解


勉強ができるからアタマが良いのではなく
アタマが良いから学習能力が高い→結果的に勉強ができるようになる
ということだと私は思っています。

学習能力が高い=
自分の知らないことや分からないことを
効率的に理解し、応用し、発展させる
→勉強したことがアタマに入りやすい


という流れかと。

学習能力の高さとは、
自分の知識や能力を
上から目線で他人に見せびらかしたり
自慢したりすることではありません。
そこには誰にとっても何のプラス要素もありません。

真に学習能力が高いということは、
謙虚で、自分がまだ知らないことや
分からないことがたくさんあることを認め
自分の知識や能力に満足せず、常に向上しようとすることだと思います。

いわゆる無知の知ですね。

また、自分の間違いや欠点を正直に認めることができれば、
改善しようと努力できますし、
得た知識を他人と共有したり、協力したり、教えたりすることを
惜しみなくできれば、
その過程すら能力とできるチャンスになりそうです。

そう考えると、ここまでできる人ってあまりいないのでは汗

しかし残念ながら、「自分はアタマがいい、勉強ができる」
と思い込んで、
自分の知識や能力を他人に見せびらかしたり、
学歴マウントをとる人は多いようですし、私も数多く接してきて
残念な気分を味わったこと数知れず。
実際の「そういう人」の人口も相当な数でしょう。

彼らは、自分が勉強ができるということを
「誰にもどこにも自分の優秀さを振りかざしてもいい」
そして
「自分は他人より優れている」「完璧である」と思っています。

学習能力が高いことを自慢、それを使ってマウントをとってくる人は大抵、新しいことへの挑戦、自分の間違いを認める、他人からの助言を受け入れることはできません。プライドが傷つくから。

何もしなくても自分の能力は保持されていると思っている模様。
ランニングマシーンの上でじっとして後退しているかのようです。

また、自分の能力に固執して、学習の方法や内容を変えたり、広げたりすることができません。プライドが傷つくから。

アタマが固まってしまい、結果、自慢としてきたはずの学習能力が低下し、過去の栄光をよすがにして生きている、といった表現がぴったりかと。

謙虚であるからこそ、アタマはさらに良くなるのでは。
逆にいうと、マウントを取れば取るほど
アタマの退化は大いにあり得ますね。

マウント中は新たな学習をしていないので。

このガイドラインがあると、勉強、学歴マウントをとってくる人の
「アタマの中が本当はどうなのか?」察しがついて
悔しいという感情も湧かないのでは、と
私は思っており、コソコソ何かしら学びながら生きております。


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