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僕らは船上で透明を黄金色にかえて走ったんだ

人生とか死とか心とかに関する真面目な持論コラムみたいのを書くのが大好きな私ですが、それはそれとして気楽にチョロっと、旅の思い出とか日々のこととかトーン違いのこともなんでもどんどん書いてみることにした。
でも「毎日」は無理。絶対無理。
なので「ほぼ毎日」やってみます。
糸井重里さん、「ほぼ毎日」でも良いよ、いやむしろほぼ毎日が良いよ、というズボラにやさしい文化を作っておいてくださって、ありがとうございます。

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とりあえず、過去の旅写真の束を適当に漁ってみたら
出てきたのがこの一枚。

懐かしいなー。
2007年当時、私は山陰山陽関西地方に足繁く通っていた。
その時に、特に何度も訪れた、島根県の隠岐島郡のひとつ、
西ノ島のお祭り風景だ。

西日本に足繁く通っていた表向きの理由は…
「Iターン者が集うような先進的なイカした地方のまちづくりを見たい」
「コミュニティデザインの様々なプロジェクトに参加し出会いを広げたい」
「将来の移住先候補探しをかねて様々な暮らしを体験したい」
等立派?なものがいくつかあったが、
本命の目的は
「片思い中の好きな人が広島に住んでるからあわよくば西方面に行きたい」だったという!
きゃー青春!というかだいぶライトだけどマインドはストーカー!
あくまで片思いだから実際会いには行けないんですけど
「あたしやっぱり西日本が肌に合ってるな。うん、広島とか向いてる」
そういう自分を発見したかったんだ。泣けるなあの頃のアタシ。

そんな西日本行脚のうちの1回で、この、
「船上のお祭り」に参加させてもらうことができた。
隠岐島郡は当然、島なので海に囲まれている。
3つの小さい島からなる島前(どうぜん)と一つの大きい島を指す島後(どうご)から成る隠岐島郡の、ここは島前の一つに位置する「西ノ島」というところで、海に面する岸壁に鳥居のついたお社があり、船に乗ってそこに神輿をおさめにいく、というのがこの日のメインイベント。

神輿を乗せた船の他に、こういった神様関係者の方々や
一般参加者が乗る大きな船が何台かあり
薄暗くなった頃港を出発して暗闇の中鳥居を目指すのだった。

…ということ意外、祭に関する細かいことはもう覚えていない。
だって船上では、ここぞとばかりにみな酒を飲む。
私も日本酒を升にジャバジャバと注がれ、
島のおばちゃんや仲間の若者たちとおしゃべりしながら
繰り返し繰り返しあおりまくった。
ヘベレケ集団を大勢載せて暗闇をゆく船…
転覆でもしたら全滅だったんじゃないのかと今になると思うけど
地元の人にとってはフツウのことなんだよね。
海とともにある暮らしって、たくましいわ、かっこいいわやっぱ。
そしてあれは、30分だったのか2時間ほどだったのか…
船の上にいた時間すらもう覚えてはいないのだけど…
上機嫌で神輿を見送り、目的地の港につくとそこは
本当に、何もない、ただの船着場だったのだ。

ウェーイと上機嫌だった船客たちは、陸上におりて気づいた。

俺たち、今、めっちゃオシッコしたい。

でも、ここ、何もないやん。ほんと、何もないやん。
ヘベレケ集団は、街灯に照らされた暗い夜道を連れ立って歩き
はじめに船に乗った表の港(トイレ有り)まで歩いて戻っていく。
その道中約20分。
いやいやいや、とてもじゃないけど、こっちは膀胱破裂寸前なのよ。

さっきまで酒と祭りの力で良い気分だった私たちは
今や「オシッコやばいやばいやばい」というひとつの危機感で
妙な連帯感に包まれていた。
知り合いも初対面も関係ない
「オシッコをしよう」
そのことしか頭にない。

でもそこは路上で、男性陣も次々と歩いていく。
そして道を外れたらそこは漆黒の闇。
協力し合って野ションしよう、という選択肢は生まれづらい状況だった。

となると選べるのはひとつ。
「ごめんくださいトイレ貸してください!」

たまたま道に面していた祭と無関係などなたかのおうちをピンポンし
オシッコのニーズを必死にアピールして懇願する作戦しかなかった。
当時27歳の私と、だいたい同年代の若者たち
お願い今ここで社会的に死ぬわけにはいかないの!
みんな一様に必死だった。
そんな私たちの叫びを、ありがたいことにその家の人は受け止めてくれた。
いよっしゃぁぁ
すごい緊張感の中連携体制が瞬時に出来上がった。
なんとなく、より緊迫度が高い人を互いに見抜き先に送り出す思いやりルールの上
次々と流れるようにスムーズにトイレと玄関の間を酔っ払いたちが往復した。
このやさしい家人と謎のパーフェクト連携プレイのおかげで私たちは…
オシッコが今すぐ出そうという生理的欲求と社会的に死ぬわけにはいかないという承認欲求の間をマズローもびっくりするくらい絶え間なく揺れ動きながら、理性の力でなんとか社会的に生き残ることができたのだった。理性が勝利した!

「ほんとうにほんとうにありがとうございましたー!!!」
まだ酔いが抜けてない私たちは朗らかにお家の人に感謝を述べ、なんだかものすごく良い経験をしたような、すがすがしい気持ちで港へ向かった。
その足取りはめちゃくちゃ軽かった。

この時のことを、なぜか折に触れて思い出す。
オシッコ漏れそうなどん底から町民との触れ合いとチームプレイの奇跡まで、瞬間でアガりきるあの感じがなんか、感動的ですらあったから。いやこれは、オシッコがあんなに人の心をつなぐことあるんだね、ていうギャップ萌えかな。

それがウ◯コならさらに感動は大きくなるのか?

なんてあの時思わなかったはずなのに…潜在意識がさらなる感動を求めたんだねきっと、この翌年、私はウ◯コ危機からの感動の絆を体験することになる。もう少し汚い話になるけどまたそれはいつか…?

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(Japan, Shimane)