一緒に迷子になろう

 テンフィートがわたしの一部になった経験から書こう。

 院試の勉強に本腰をいれていた二か月ほど、たいへんなおもいをしていた。不安で勉強いがい手につかず食事も睡眠も邪魔なほどで、寝ていると金縛りによくあった。好きでやっていることをこんなに苦しくしてなんの意味があるのかと疑うのをやめられなかった。正解がほしかったし、間違ってないと言ってほしかったけれど同時に、間違ってなどないことは自分がいちばんよく分かっていて、それでも迷っているのだから、誰になにを言われても納得できないであろうことを感じてもいた。理屈としては問題にならないことだからこそしんどかった。

 そのころテンフィをよく聴いた。学校からの帰り道や、ベランダで煙草を吸うあいだなど、少しの時間にすがるように聴いた。いまも「淋しさに火をくべ」を聴くと胸がつまる。あの曲の解決のなさに救われていた。歩く気力をではなく、しゃがみこんで泣く場所をもらい、背中をさすってもらっていた。

生きる意味なんか最初から無く日替わりの心をただ乗りこなす
思い出が美しさを増すのは僕の心が汚れてくからさ
あぁ僕は忘れた事にしてみた

 こうやって歌詞を書き写していても、ライブがめちゃくちゃたのしい太陽のような笑顔のバンド、あの印象はふしぎに崩れない。サビにこんな詞をもってくる彼らだからひねくれ者のわたしを受け入れてくれたんだろうか。いや、自分がひねくれているとおもっていたのが実はありふれた悩みで、みんなそれなりに、けっこう不信なことがあるのではと気づいたのかもしれない。たのしいことが浅薄なことではなく、笑顔でいるからって全然つらくないわけじゃない、こわばって癒えないでいても明るいひとがいる。答えってかんたんに出るものじゃない。当たり前のことをようやく知った。

 わたしは彼らになにかを教えてほしかったのではない。音楽にたいして「だまっている」というのはおかしいだろうか、でもテンフィはだまって近くにいてくれた。会話ができなくても体温を感じていた。波打ち際の砂をあるくように、自分の形が包みこまれていくやすらぎがあった。引用した歌詞に、わたしが完全に重なったわけじゃないが、夕陽のひかりのような音に照らされたあのかなしみ、あのむなしさ、あの痛みのてざわりは知っている気がした。

 テンフィが手をにぎってくれるような気がするとき、たぶん彼ら自身が、出口のない迷いのなかにいるのだとおもう。むりに抜け出そうとはしないで、”ちゃんと”迷っている。むきあって、曲をつくる。その掘り下げがわたしのところまで届いたのだろう。急かされなかった。自分を醜く思うこともなかった。結局選ぶのは自分自身であることも、迷った経験じたいが選択の正しさに関係なく糧になることも、ゆっくりとわかった。迷子だったわたしにとって、同じように迷子でいながら、その道で拾い集めたものを大切に磨き、笑顔でうたうテンフィの存在は救いだった。

世界に別れを告げる日の朝 僕は誰を想うのだろう
君に別れを告げる日の朝 僕は何を言い残すのだろう
世界に別れを告げる日の朝 僕は 僕は

 このあとを空白のまま残すことでテンフィは、目立った形でなくても、わたしを含めたくさんのいのちを生かしたにちがいない。バンドの生命もきっとそこにある。迷いに出口を与えるのではなく、迷っている人と一緒に迷うことを、テンフィはみずからに向き合うことで実行している。そのことを考えるたび、出会えてよかったと心底おもう。

 あの二か月を繰り返したくはないが、いま振り返ってこう書けることは得たもののひとつだ。あのときテンフィが助けてくれたように人に寄り添えたらとおもっている。

本買ったりケーキ食べたりします 生きるのに使います