私記7

 歩きたい気分の日、バス停をひとつ前で降りて帰るのだがとちゅうに、牛丼屋のオレンジの看板とデイサービスの暗い建物を橋渡しする横断歩道のあいだで立ち止まりたい気にかられる。唾液をさそう甘からいにおいと、目に痛いほどの洗剤のにおいーー生きている汚れを神経質におとそうとしたせいでよけいに目立ってしまうかに思われるにおい、が、まじりあって神経に奇妙な興奮をきたす。科学的あるいは肉屋的な、じぶん、というもの、食う肉体であるのに食われる肉にはさせてもらえぬわれわれ。死んだら鳥葬にしてくれと何度かひとに言った、たのむでもなく伝えた。生きてめいわくをかけたものたちに死んだらせめて役にたちたい。

 おずおずと再開した図書館をふたつめぐってひるめしをとり損ね、時間もはんぱだったから気になっていた喫茶店に寄ったら定休日だった。どこへ行っても定休日、全面的に惜しい人生。過失ともいえないほどの過失が成仏できなくてにがく残る。微温がきらい、中庸がゆるせない思いがある。それはどうしようもない。毒がたまるのは悪でない。健全のしらじらしさに染まらぬこと。

 このところ文字の夢をみる。さまざまの文字が眼球のうらをすぎてゆく夢。本のページ、スマホのメモ、書類の端切れ。活字と手書きと情報に擬態する言葉。一文であったりひとまとまりの文章であったり、ともかく文字がすぎてゆく。わたしは読もうとしていない。交信しようとしている。交信。読んでしまうことなく伝わらないかと思っている。全然わからなくてとても苦しい。あたりまえだ。読めばいいのになお交信しようとしている。言葉でないなにかで、言葉とつうじあおうとしている。ばかばかしい。ばかばかしいが捨てられない。指の関節が痛んで、それがおさまらないうちは努力が足らんのだと、とおくとおもわれた近くで誰かがささやいていた。叱ってくれたのかもしれない。文字は頭にくるほど端然としている。字、字、字。わからない字。線の集合にまで崩壊することなく、けれどもわたしの知っているのと明らかにちがう姿をして、字。

本買ったりケーキ食べたりします 生きるのに使います