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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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#日記

こころ

濃厚な雲 うつしだされる 希薄なこころ 戸惑うわたしに 澄んだ空は 何も言わず  何も隠さず ありのままを 突き付ける 何も包み隠さない 笑っているようにも 平然としているようにも さげすんでいるようにも 私の目には映る ときおり見上げながら ただ前をあるく あるきながら 強い気持ちで強くなる 自分の思いは それだけは 強く保ちづづけている

中秋の名月

今日9月10日は満月の中秋の名月。 なぜわざわざ満月と書いたかといえば、 中秋の名月が満月に当たるのはめずらしいのだ。 それだけに楽しみでもある。 あとは天気次第だけど、今は晴れているが どうやら夜は雲行きが怪しい。 月の出の頃は曇りらしい。 雲の合間からでも中秋の名月が見えればいいが。 月といえば、ぼくが月に興味を覚えだしたのは アポロ11号の人類初の月面着陸からだろう。 1969年7月20日、その日は訪れた。 小学生だったぼくは中継されたその模様を TVで食い入るよ

ワクチン接種3回目

先週の金曜日(25日)は 新型コロナウイルスワクチン接種の3回目でした。 今回は1回目、2回目と違いモデルナ社の ワクチンだったので、副反応がどう出るか 正直心配でもありました。 ところが、発熱はおろか、かゆみも痛さも 倦怠感もなく、いたってこれまでと変わらない。 2日経っても副反応は出ませんでした。 念のために解熱剤や「inゼリー」など 予め準備していたのですが使うこともなく。 ほっとしたら、桜が咲き始めている。 そういえば、今日3月27日は「さくらの日」です。 (

時の刻

あの空の向こうに だれかが刻んだ時間が浮かんでいる 悲しんできた刻や 幸せが溶け込む刻も この海の空にまで写し込んでる だれもが季節に刻んでいる 今 この時の刻 浮かぶ ぼくの大切な時の刻

時代を共有できぬ者

時代は価値観や世界観、 人びとの暮らしまでも変えていく できない者は横暴なやり方で 惨劇を繰り返していく 時代を共有するということは すべてを時代に一致させるということではない 個々の時代観を持ちつつも 大勢の時代に沿う柔軟性を大切にすることだ 時代を共有できない者は やがて時代に弾かれる 時代は力で作られるものではなく 時代自ら意識の中で変化していくものである

ひな祭り晴れ

ひな祭り晴れの今日。 寒さが身にしみた2月が遠くになりそう。 気温はまだ12〜13℃なんだけど、 風もやわらかくなってきているので、 今日なら日向ぼっこもできる。 弥生3月ともなれば、 一気に春めいてくるこの喜び。 人間にも日差しがどれほどありがたいか。 体調が悪い日々が続いていても、 今日は気分も良くなる。これが大事なんだ。 お雛様、ありがとうございます。 そして今宵の月は新月。 何かを始めるにもいいし、 何かが始まる予感もする。 月を眺むれば、人の世の憐れみや可笑

雨水

冷たい雨がさらに空気を冷やす 今日は雨水。 二十四節気の立春の次の節気だ。 雪が雨に変わり春に向かう時季なのだが、 今年はその気配も薄く まだまだ震えるような寒さが残っている。 三寒四温の言葉も虚しいくらい 本格的な春の訪れにはまだ遠い。 今日も朝から雨。 気温も4℃から上がらなかった。 体感温度は0℃近いんじゃないだろうか。 そうは言っても暦は足を進める。 雨水とくれば、桃の節句も近い。 雨水にお雛様を飾れば良縁に恵まれるという。 パンデミックも3年目になると、 お

ある習慣

むかしむかし、じいやはいいました にんげんにはできんことがたくさんある むかしむかし、ばあやはいいました かみさま、ほとけさまをじゃけんにしたらいかんよ ちいさかったぼくは なんとなくはわかったけど ふかいところはわからんかった でもじいやとばあやは ことあるごとに、くりかえしくりかえし ぼくにいったのです じいやもばあやもなくなって ぼくもおとなになりました でもじいやとばあやのことばが ずっとこころのなかにのこっていて ことあるごとにくりかえし、よみがえってくる

時は無情か?

「時は無情に流れる」というが、 時が無情なのではなく、 僕らが時に対して無情なのかもしれない。 人それぞれが持つ固有の時の流れは、 それに向き合わなければ ただただ無情なものとしか感じられない。 固有の時との対話があれば、 時は熟するその時を教えてくれる。

如月

如月に歩みを進めた暦。 この月は複雑な思いと感覚が押し寄せる。 日が差しても空気はまだ冷たい。 風が吹けば体感温度はぐっと下がる。 冴え渡る夜空を眺めれば 星の瞬きは透き通るが如く 月は美しい光を放つ。 このころの月を寒月というが まさに言いえていると思う。 今日は新月、三日月は立春の日になる。 この月を冬三日月という。 春を待つ期待感とまだまだ続く寒さを 辛抱強く待たねばならない両極の面持ち。 とはいえ、かまど猫ならぬ炬燵人間に 成り下がっている私です。

あと1週間

1週間後の2月4日(金)は立春! もう立春か、ようやく立春か、 立春が待ち遠しいかった、と思うかは 人それぞれだろう。 私は待ち遠しく感じる。 コロナ禍に加えてここのところの寒気団。 行動制限を強いられた日常の 冬枯れた空気感を払いのけたい。 昨年からの体調不良がままならないのも この空気感が身体を包み込んだ そのせいではないかと思うほどだ。 だからこそ立春が待ち遠しい。 立春は二十四節気で春の始まりを告げる。 実際は立春がきてもまだ寒い日は続く。 でも気分が変わる。

蕾はささやき 花は歌う 太陽が微笑む限り 風が流れる限り 自分が愛されていることをしる 自分が季節に必要なことをしる 季が動くほどに 無駄なことは起きない 生かされている自分を信じて 周りを信じて 蕾はささやき 花は歌う

言の葉の花

言葉の種を蒔きましょう 心の中が暗闇なら 言葉の芽を育てましょう 心の中が殺伐としているなら 言葉の花を咲かせましょう そして 咲いた花に あなたの名前をつけましょう

新年のご挨拶

さてさて 年も明けて 2022年。 もう1週間近く経つのに 今さら何を言ってるのか? 実は昨年の後半から調子を崩していて 碌に動けていなかったのです。 極力外せない予定のみをこなし、 そのまま年越しとなっての今日です。 だから、碌に投稿もコメントもできずに いたのです。 不義理をお許しくださいませ。 その体調も徐々に戻りつつあります。 今年は「動け」の暗示。 体の声を聞きながらにはなりますが(笑) 今年お会いする人、お会いできる人 よろしくお願いします。