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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2020年4月の記事一覧

父の一周忌 〜時代を刻む

父が永眠してから今日で1年経った。 一周忌の法要を午前中、取り行ったわけだが、 今は外出自粛で移動に制限もしなければならない故、 家族だけでこじんまりと行った。 ふと考えると父は強運だったかもしれない。 一年前に亡くなった時は改元前の平成最後の日。 これが一年ずれて今年だったら、 葬儀はできなかっただろうし、最悪の場合、 新型コロナウイルス感染と噂されたかもしれない。 最後は肺炎を患っていたから。 今年は法要を取りやめるところが多いと聞く。 それを思えばなんてタイミングが

のどかに そらはある

おそらが のんきに  あくびをするものだから ぼくもつられて こえにならないような あきれたこえで あくびをしてみる ばんしゅんはしょかに  バトンをわたしたように あくびをしたぼくのかたを ポンとたたいて どこかにいっちまった ぼくのあくびは だれかにつないだろうか あおい おそらは ひろすぎて ちきゅうのどこまで つづいているのか ぼくにはわからない うかんだくもなら しっているだろうか のんきにうかんで ときおり わらってみせる よのなかは なんとかウイルスで う

口は一つ、耳は二つ

最近、話すこと、見ること、聴くことについてよく考えます。 どれもできているようで、なかなかできていないと この歳になっても思うのです。 それは、これらは三位一体になっているからではないかと。 その中でも、話すことと聴くことは相互に強く関係しあっています。 そのことを考えるとき、昔書いたコラムを思い出し 読み返すのです。 そこで、今、改めてここに記そうと思います。自戒を込めて。 昔読んだ本の中にこんなことが書いてあったのを時々思い出します。 「なぜ、人間には口は一つしかないの

生ける本

本を読むのに 書かれた文字を目で追う必要はない 眼が疲れているならそうすべきだ 耳を澄ませ 匂いを嗅げ 触ってもみよう なんなら味わってみてもいい それも本を読むことに変わりはない 本とは 書籍の形になっているものだけではない 野も山も 土や川の流れも 太陽も月も星も すべて本だ 家人も 恋人も友だちも 街で出会う人も 読み物なのだ 難解な読み物かもしれないが本だと思え この世界にあふれるものは すべて本としての命を得ている 自分とて 存在し人生を歩むからには 物語を

自制の上で生き抜くこと

緊急事態宣言が出て、 外出も、より一層控えるようになった。 仕事も在宅勤務にテレワークにと家にいる。 学校は休校がさらに延びて、 新学期がはじまったというのに 通学することもできない。 あれほど学校嫌いだったけれど、 いざ、行けないとなると学校が恋しくなる。 皮肉なもので、 日頃の感情と相反する感情が芽生えてくる。 最初のうちはまだそれでもよかった。 春休みが長くなったくらいのものだった。 「ラッキー!」と思う気持ちもあった。 ところが、しばらくして様子が違うなと 思う

春の入口

春の入り口に立って 後ろを振り返れば 白い粉雪が 風にあおられて 踊っていた錯覚を覚えた 引き止めるような力を 感じたけれど 振り返りもせず 前を向き 春の入り口をくぐる そこは同じ場所でも 暖かい光に満ちた世界で 草木も芽吹き 花は咲き 虫は目覚め 小鳥がさえずり 小川のせせらぎが 風に乗って耳元に届く 硬い時間が ゆっくり溶け出して 柔らかくなる 気がついて冬を脱いだ 春の入り口は背後にある 次第にかすかに消えゆく 軽くなった身体で 空を飛べる気がした

野花

野に咲く花よ 私に名をおしえてはくれないか 青い花びらよ 笑みばかりうかべないで 何か話をしてはくれないか 私はこうしてここにいる 雨が降れば 帰らねばならない 言葉なき会話ができるのなら それもよいが 私にはできない 野に咲く花よ 私に名をおしえてはくれないか 何か話をしてはくれないか 空がこんなに重くなり もう青い光ではささえられなくなって いまにも雫がおりてきそう 私はただこうして君を見つめ 返事を待つことしかできない 野に咲く花よ 君と私の間には まだ一

地球は悩んだ

地球人は増えすぎた。 それでも地球のことを考えていれば 今ほどの問題は起きていない。 これまで文明は地球と 折り合いをつけてきたからこそ 人間は生きてこれた。 でもそれができないとなると 地球も猶予の臨界点を超える。 地球年齢46億年の中で 何度となく臨界点を超えた時代がある。 地球は破壊的革新を繰り返してきたのだ。 46億年を1時間に換算すると、 人類の年齢は2秒ほどだという。 さらに文明を築いた人間の年齢は 1秒にも満たないだろう。 それなのに今の人間ときたら

自制しながらも心は開いておく

物理的におこもりをしていても、 心理的にもこもる必要はない。 心は外に開いて、内なるエネルギーを 出せるようにしていたい。 そのためには元気がなければいけない。 物理的に耐えながらもその意思を持つ。 今は我慢する時ではない。 今は辛抱する時である。 我慢は自分を正しいと我を通すことから 意味が転じた。 元々は自分だけが正しいと思う自惚心。 これでは自制はできない。 辛抱は辛さを抱いて耐え忍ぶということ。 これは自制するための心の有り様でもある。 外界は春。自然の

未来は笑うか 2020

済んでしまった過去に表情はない 今は進行形だ ころころ表情が変わる 笑っていれば 泣いてもいる 恐れてもいる 苦虫つぶしてもいれば ふさぎ込んでもいる 一つに決まってはいないのは生きているから 生きて 生き続けていれば 未来はどんな顔をしているのだろう 刻々と変わる表情のどの先に 未来は存在しているのだろう 茫漠とした時間だけがそこにあるのではない 終わってしまった過去と同じ道はもう歩けない 道行く先は 同じ顔をしてはくれない どんなに願っても 同じ時は待っていない 今の

好きの準備

「好き」は1枚のシャツ。 「愛」は重ね着。 だから「好き」は集めやすい。 だから「好き」は着やすい。 「愛」は組み合わせをあれこれと 考えるけれど なかなか決まらない。 だから「愛」をやたら振りかざす大人は嫌いだ。 だから「愛」をむやみに口にする大人は苦手だ。 お気に入りの「好き」も 季節にあわせて着替えることもある。 心にかなう「愛」は 身軽な季節に合わせられずにしまい込む。 不器用なぼくでも「好き」は集められる。 抱えきれないくらいに集めよう。 ワードローブ

はるのそら

そらは ひとりではかがやけないので たいようのひざしを かりたりする そらは いつもみおろしているので ちじょうの にんげんを おかしがっている そらは ひとりではさみしいので たまに はなをさそってみる はるは そらが すきなので ちりかけたさくらを そらに おくったりする

置き石のように現れる

わたしがまだ少年だったころ まだ知らない悩みが 歩む先々に置いてあった だれが置いたのかは知らなかったが それが行く手をさえぎる 邪魔をする あまりの重さに退けることもかなわず わたしは乗り越えることにした 時間はかかったけれど 越えたころには わたしはちょっぴり大人になっていた その先も またその先にも 苦しかったり 切なかったり 悲しかったり いろいろな石が置いてあったけど それを越えるたびにたくましくなっていった わたしが大人になったと思ったころ もう何も置いてい

花びらと空とあの日

桜の花びらが散り始め 初々しい葉の子どもが バトンを受け止めた 今まさにその時を迎えている 毎朝、生徒たちを迎え 夕には送り出すあの桜だ 生徒たちがいない校舎で いつもと同じように 校舎を背に、青空に映えて、 季節を体現している。 幾度となく 青春を見守っただろう 僕が通った校舎はもうない 建て替えられた校舎だけど 胸に刻まれた時間は消えない あの時と変わらない 花びらは一枚一枚 花柄を離れて飛び立つ 散ることは飛び立つこと 命のバトンを渡し終えたから 青さは未来を