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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2019年12月の記事一覧

「ゆく年くる年」考

今日は、一年で1番「時間」について、 もっと言えば、「時間の流れ」について 考える日ともいえると思う。 それは「ゆく年くる年」の境にいるからだろう。 思うのだけれど、「ゆく年くる年」というのは 自分が居て、惜しげもない時間の流れがあり、 今年が行き過ぎ、来年がやってくることだ。 おかしな言い方だけど、自分は動いていない。 時間が流れているだけで、自分はただ そこに居て、それを感じているだけだ。 言ってみれば天動説のようなものである。 時間に対して受け身の印象ともいえる。

年惜しむ

惜しむ年に感謝です。 「年惜しむ」とは「年の名残り」です。 やりきれなかったことや終えないまま年越し というのもあるでしょう。 でもそれを悔いてはいけません。 それは「しかかり」なのだから。 「しかかり(仕掛かり)」とは未着手ではなく、 取り掛かっていること、その途中であることをいう。 完成にはまだ時間が要すること、思案することが まだあるから仕掛かりなのだ。 しかるにでき上がるタイミングはまだ先であると 考えることが大事である。 できなかったと悔いることはこれまでの歩み

喪中の年用意、静かなる思い

今年は喪中のために 例年のような年用意はしません。 年越しの最低限のことをして、 あとはゆるりと質素に過ごします。 仏壇や神棚のお供え物や花は変えて お墓の掃除も済ませました。 もちろん家の掃除と買い出しも。 (一部残っているのは内緒…) そういう意味では、 慌ただしい師走も忙しい年用意もなく 本来、年を送り、新年を迎えるのは、 こういう静けさもいいものだと感じます。 心で時間の穏やかさを感じるのは こんなときかもしれません。 しんみりとするよりいいと思っています。 今夜

落ち葉掃き

少し遅い朝食を終え 箒と塵取りを手にした僕は いつにない気分で庭の落ち葉掃き 今日は冬空があたたかい コンクリートの庭には風で 迷い込んだ落ち葉が 乾いた音を残して吹き溜まる それをきれいに掃き集める 砂利を敷き詰めた庭園には 濡れ落ち葉がひっついて動かない 冬の日差しは斜めに差し込み 砂利の陰影に落ち葉が光る おおまかにしか掃き集めない 程よく落ち葉を残しておく 季節を惜しむ落ち葉ではないから 朽ちる美しさを残しておく 儚さの美しさは尊さだ 有限の時が深い余情をつく

母と

昨夜から母が体がしんどいという。 今朝もいつもなら起きている時間に 起きてこない。 こんなことは稀だ。 心配で声をかけると頭が痛いという。 血圧も高めだという。 そこで朝は食べるのかと聞くと 薬を飲むので食べるという。 それなら食休みしたら 医者で診てもらおうとこちらもいう。 昔から母のかかりつけの診療所に 行くことにした。 母をクルマに乗せて診療所に向かう。 5分ほどのところにあるが、 クルマの往来の激しい道の傍にある。 年の瀬だが予想ほど混んでいなかった。 診療所

人生という糸

人生の時間が一本の糸のようなものだとすると、 その年々によって太さが違ってきていると思う。 誰でも時間の糸を同じようにもってはいるけど、 それを細くするのも太くするのも本人次第。 糸が太ければ色々な糸(係る他人の糸)が 絡みやすいし、ちょっとやそっとでは切れない。 そんな時間の糸になるのではないかな。 その一本の糸も元をたどれば、 幾本もの糸でできている。 家族や愛するひとたちの糸が寄り添っている。 そうとも考えられる。 僕たちはその糸を大事にしなければならない。 その

クリスマスに思う

クリスマスは3年前から 私にとって特別な意味を持つようになった。 ちょうど3年前のクリスマスの夜、 私は死にかけた。そして、生き延びた。 あれから毎年、クリスマスの日は いのちについて考える日となった。 今年も無事にいのちを燃やし続けられることに 安堵と感謝の気持ちを抱いている。 あの時にいのちの選択肢を間違えれば 今の私はここにはいない。 いのちをつなげた日から半年後に 帰郷するというライフシフトを行い、 丁寧に生きることを考え、実践してきた。 「命が喜ぶ生き方をする」

幸せを前に進める力

本当は誰も争いなんかしたくない。 争いや憎しみから生まれるものは何もない。 当事者だけでなく、 周りも犠牲を伴う、不幸が降り掛かる。 それを詭弁で正当化しても、 根っこは信じていない。 そんな世界など誰も望んではいない。 幸せは、最初はちいさなものであっても、 周りも包み込んで次第に大きくなる。 胸が熱くなるエネルギーをくれる。 人の想像力は限りない生命力の源泉だと思う。 幸せの力だと思う。 その力は誰もが持っているもの。 だから思い起こすことはとても大事なこと。 クリス

自分の居場所

人生には場所選びという大事なミッションがある。 居心地の良い場所、心地よい街、行き交う人と情。 自分で探すのか、何かに導かれるのか、流れに任せるのか、 人それぞれだとは思う。 けれど、自分を生かせる場所が早くに見つかる人と いつまでたっても見つけられない人とでは 人生に差が出るような気がする。 それは「差」というより「深さ」や「豊かさ」かな。 自分の居場所は自分で探すしかない。 誰かが用意してくれるものではないのだから、 迷いながらでも苦しみながらでも自分で辿るしかない。

冬至という節目

今日(12月22日)は二十四節気の「冬至」。 1年で1番日が短くなる日。 明日からは日が少しずつ長くなることから 「運気が変わる節目」ということになる。 これを「一陽来復」といい、 明日から運気が上昇することを意味します。 冬至の日は「八百万の神様、千客万来です。」 「歳神さま、ようこそおいで下さいました。」 となるように 来年の子年を意識して準備をはじめる日。 「季節の節目は運の節目でもある。」 日本は四季があり(最近はあやしいけれど)、 二十四節気があり、七十二候

感受性を育む言葉

感受性を育む言葉の中で 最も作用力が強いのが「好き」という言葉。 とかく大人はロジックが立つものの方が 優れていると判断しがちですけれど、 それは違います。 例えば、芸術作品に触れたとき、 ロジックで意味や意図を考えようとする。 だから現代アートのような作品はわからないと 思って避けてしまうことがあります。 でも、その作品が好きか嫌いかはすぐにわかるはず。 入り口はそれでいいわけです。 好きなら、理由は後からついてきます。 「〜だから好き」というのは、 「好き」という感

総決算とはなんぞや?

1年の総決算とはなんぞや? 師走に入ったと思ったら、あと10日で新年を迎える。 昔から思うけれど、師走に限っては日が経つにつれ、 その早さは加速度的だ。 忘年会やクリスマスなどのイベントがあるし、 家中の大掃除だの、お墓まいりだの、行事も色々ある。 何より大きいと思うのは、今年1年の総決算なるものだ。 総決算といえば、何かと成果を上げなければいけない 妙な気分に追い立てられる。 TVや新聞などのメディアでは今年の10大ニュースを 特集を組んで流すし、先日発表された今年の漢

もう一度君に会えるなら

涙が落ちる速さは 雨が降る速さと同じかもしれない 実らなかった恋のままでいいから もう一度君に会えるなら 悲しみが増してもいいから もう一度君に会えることができるなら 胸の痛みが強くなってもいいから もう一度君に触れることができるなら 果たせていない夢を 忘れたわけじゃない 届けられなかった想いを なくしたわけじゃない 閉じられた空の蓋を 開ける鍵はなくしてはいないはず 時間の片隅のどこかに置き忘れただけ もう一度君に会えるなら僕は鍵を探す

投票権

1票の投票権は かけがえのない一つのいのちである。 そのいのちを生かすか蔑ろにするか、 立候補した政治家は 当選すればもちろんのこと、 そうでなくても その集まったいのちに 応えなければならないと思う。 投票に行かない者は そのいのちを捨てる行為をどう思う。 その覚悟やあるか?! それをでき得る限り見極めて 1票のいのちを生かしに行こう。 いずれ近いうちにその時は来る。