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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2019年3月の記事一覧

「新元号」をまじめに考えてみた

明日4月1日に平成の次の新元号が発表になる。 いろいろな予想が飛び交っているのを見ると いい加減なものから誰かに忖度するようなものまで 実に多くの案が見てとれます。 と言いながら、お前はどうなんだ? と聞かれることもあるのですが、 私は私なりに考えている案があります。 言葉を生業にしていることもあり、 またネーミングのプロとして仕事もあるので まじめに考えてみたのです。 そこで、備忘録としても考えた過程を ここに書いておくことにしました。 まず、新元号の与条件を整理すると

コドモの変な悩み

オトナという漢字は大きな人と書く コドモは小さな人と書かない 大きな人がオトナなら いっぱいご飯を食べて からだが大きくなればそれでいい 変じゃないか それだけでオトナなのかな からだが大きくても 中身はコドモよりコドモの人がいる からだが小さくても 中身はずっとオトナの人もいる どこか変だぞ オトナの社会はコドモにはわからない コドモの社会をオトナはわかったようにいう でもオトナは全然わかってない 自分がコドモだったことさえ きっと忘れている やっぱり変だ コドモより

いのちは変化で鍛えられる

変わらないと思っていた風景が いつの間にか変わっていたように 変わらないと思っていた関係が いつの間にか変わっていた 心の置き方を少し変えただけで 居心地が変わってきたように 目線のやり方を少し変えただけで 見方がまるで変わってきた ぼくらは自由に生きているようで いつも何かに囚われて ぼくらは身勝手に振舞っているようで いつも誰かに見張られている まやかしの世界が拠り所になったのは 変わらない風景をよしとしたこと 変わらないだろうと諦めたこと 変えられないと匙を投げた

言葉が怖い

言葉が怖い。 毎日のように文章を書いていると、 そう思うことはよくある。 でも・・・ 毎日一言も話さないで過ごせないように、 臆せず書くことも 弱さを克服することでもあると思う。 特定に人ではなくて、 モノローグのようなものでもいいから 書いてみる。 一種の実験のつもりで書いてみる。 それがリハビリになると思っている。 書いていると免疫力も上がる。 スランプに対する免疫力、 言葉の恐怖感に対する免疫力、 書くことでした克服できない。 そう信じている。

努力は素敵なカタチになる

努力は、毎日の水やり。 努力は、毎日の日差し。 努力は、毎日の挨拶。 努力は、毎日の笑顔。 努力は、じんわりと沁みて ここぞというときに花を咲かせる。 努力は、何も特別なことではない。 努力は、特別な決意が必要ではない。 努力な、特別な鍛錬をすることではない。 毎日、あたりまえのように過ぎていくことを ていねいに繰り返すこと。 それがとても素敵なこと。

咲き急がない

桜は月末から来週前半には満開に近くなると思われる。 そうなると来月の入学式の頃には桜満開か。 そうなるといいな。 学校の入学式には桜景色が似合う。 桜はゆるやかな気温変化では咲かないらしい。 寒い時季を耐えて、気温が上がると一気に咲く。 花は自分の咲き時を知っているというから、 いま咲くのならその時なんだろう。 だけども桜だけは、人の勝手な思いだが、 咲き急がないでほしいと思ってしまう。 人生においては、人も咲く時季がある。 だけども人は自分の咲き時を知らない。 咲き時

ウソはなぜばれる?

ちいさなウソはすぐばれる おおきなホラはうたがわしくてもばれない なぜなのか? ちいさなウソには ちいさな良心の呵責がのこっている それにくるしむからみやぶられる おおきなホラにはそれがない だからうたがわしくても ばれることがすくない おおげさにウソを誇張するかていで 良心の呵責はうすまっていき ホラができあがるころにはきえうせている ちいさなウソのだんかいなら まだ更生のよちはあるけれど ホラふきになったあとではむずかしい ただホラふきにもレベルがある ウソつき

浮雲

ふくよかな雲がうかんでいた やせほそった人間がねころんでいた おおらかにひろがった空の青が 雲をうかせていた ぎちぎちにつめこまれた社会に 人間はせきたてられていた ふくよかな雲は形をかえながらほんわりと 冬と春の幕間でやんわり過ごしている やせほそった人間は身を削りながらあくせくと 冬と春の幕間でもせめぎ合っている どこふく風が笑みをのこして通り過ぎ ここふく風がくすっと苦笑い 昼はひねもす夜はよもすがら 切れる間もない時間のなかに 浮雲のように生きる者は 沈

イチローの言葉

2019年3月21日、 イチロー選手が現役を引退した。 日米合わせて29年間のプロ野球生活に ピリオドを打った。この日の試合後、 1時間24分にわたる引退会見が行われた。 この会見を生で見られた方も多いだろう。 私は今日、ようやくYoutubeで ノーカット版を見ることができた。 それまで色々な記事を読んだり、 SNS上の投稿を見たりと断片的には どんな内容かは知ってはいたけれど、 自分がこのことについて書くとなると やはり全編を見ないと書けない気がしていた。 たぶんそれ

はるがきた

はるがきた はるがきたって みんないっているけど はるさんは どこにいるの? どこからきたの? どうやってきたの? わたしもあいたいのに どうして わたしにはみえないの? はるさん わたしのそばにきて わたしも あいさつしたいの みんなにも じまんしたいの わたしはるさんと おともだちになったのよって なんとなく はるさんとわたし なかよくなれるきがするの だからすがたをみせて はるさん わたしまってるね

春の愁い

今日は春分の日。 朝方こそ雨が残っていたけれど、 昼過ぎにはすっかり春の陽気が漂って 気温も上がり暖かな空気に包まれた。 三寒四温の間中、 ずっと耐えていた桜のつぼみが膨らみ 花を咲かせ始めた。 来週には一気に満開に向かうよう。 こうなると春の勢いは止まらない。 今日を境に昼が長くなっていく。 「春の日永(ひなが)」といい、 春の暮れそうで暮れないことを表現する。 うららかな春の陽を感じる頃になると それについていけない心身の状態に なることがある。 季節の変化に心身が

特別な思い

なにか特別な思いがなければ ひとを愛してはいけないと思っていた あなたのことは好きだけど その特別な思いがなんなのかはわからなかった あなたと会っている間 それをずっとさがしていたような気がする だけどあなたと付き合っている間は 特別な思いがなんなのか ぼくは見つけられないでいた そしてあれやこれで あなたと別れてしまったのだけれど そのときも特別な悲しみが おそってきたわけではなかった ただただ胸の真ん中あたりに ぽっかりと穴が空いたようで 妙に風通しがよくなったのだ な

「春霖(しゅんりん)」

予報通り、今日は朝から雨。 先ほどようやく雨が上がった。 今週は雨が降ったり晴れたりの繰り返しの 一週間になりそうだ。 3日以上降り続く雨を「霖(りん)」と いうが、今週続くであろう雨は「春霖」 にあたるだろう。 菜種梅雨という言い方もあるが、 私は「春霖」の方が好きだ。 秋霖はどこか物悲しさを感じるが 春霖は逸る気持ちを少し抑えるための小休止 と言った趣きがある。 同じように、音静かに、しとしと降る雨でも、 心に描く情景は違って見えるものだ。 この雨は草木の芽吹きを促し

ぼたもちをいただく前に

今日3月18日は春の彼岸の入り。 ご周知の通り、お彼岸は春と秋の年2回ある。 春の彼岸は春分の日を中日として前後3日を 合わせて計7日間を「彼岸」といいます。 春彼岸:毎年3月の春分の日をはさんで     前後3日合計7日間 秋彼岸:毎年9月の秋分の日をはさんで     前後3日合計7日間 ご先祖様がいる世界を「彼岸(ひがん)」、 私たちがいるこの世界を「此岸(しがん)」といいます。 彼岸は西に位置して、此岸は東に位置します。 春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇り真