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9月になったのでウォーキングを再開した話

人間は、やらないことの言い訳を考える天才だと、つくづく思う。

この夏、テレビのニュースから執拗に流れる「危険な暑さ」と言う文句を言い訳に、私は2ヶ月以上ウォーキングをサボっていた。今年こそは習慣化すると年初に固く誓ったにもかかわらず、である。おかげで体重は2キロ以上増え、体脂肪率も人生最大値に達した。腹も見るからにふくらんできた。こいつはマズイ。

もちろん、危険な暑さの中を歩くのは文字通り危険なので、私の行動は間違ってはいない。しかし、早朝や夕方に歩くとか、公共施設にあるウォーキングマシンを使うとか、少し考えれば幾らでも歩けたはずなのだ。しかし私は、朝夕の行動はルーティン化していて崩せないという理由を仕立て上げ、この夏は歩くのを休もうと瞬時に決めた。そして、歩く時間は室内でスクワットやストレッチをして筋力を高め、運動の帳尻を合わそうと考えた。案の定、スクワットやストレッチは一度やっただけで途切れた。以来、運動らしい運動をしなかったことは言うまでもない。

習慣化のゴールは、意識せずとも自然と動く体を作ることにある。歯磨きのように、やらないと気持ち悪いと思えれば成功だ。しかし難点は、一度習慣が途切れると、再開に大きな力が必要なこと。心の中では再開したくても、きっかけがないとなかなか動けない。重くなりすぎた腰は、なかなか上がらないのだ。

しかし、気がつけば暦はすでに9月。今年も残り3ヶ月を切った。この「残り○ヶ月」という言葉に敏感に反応するのが日本人の特徴である。

ということで、9月に入ったことを理由に、私はウォーキングを再開した。9月とはいえ風景は濃い緑の只中。たまに赤とんぼを見かけるが、日中の気温は余裕で30℃を超えている。気候的にはまだ夏だ。

川を覆い尽くすような木々の緑
季節を問わない花の代表、マリーゴールド
見るからに夏の雲。今日は夕立が来るかな。

それにしても、9月に入ったというだけで心境に変化が起こり、行動するきっかけが生まれるから不思議だ。おそらく10月になれば、今年もあと2ヶ月と思い、2023年の目標の棚卸しを始めるに違いない。1年を12ヶ月に分けた暦の発明は偉大であったと、つくづく思う。

実は、ウォーキングを再開した理由はもう一つある。歩かなかった期間は、本業の執筆作業も捗らなかったのだ。スランプと言うのもおこがましいが、この夏は全てにおいて、やる気が出なかった。自由な時間はかなりあったはずだが、結果的にダラダラ過ごし、何もしていないに等しい日々が多かった。
もちろん、人から頼まれたタスクはこなし、最低限のやるべきことはやっている。ただ、ライター稼業のモチベーションに直結する「書きたい」という熱が冷め、夏の暑さとはうらはらに一向に熱くならなかったのだ。

そこで私は、やる気が起こらない理由の一つは「歩いてないからである」という仮説を、勝手に立てた。確かに、歩くのをやめた6月下旬以降は、アウトプット量が格段に落ちている。取材の予定も自分から入れることもなく、noteもほとんど書いてない。やはり体を適度に動かして脳に刺激を与えないと、やる気は生まれないのだ。

…と非科学的な理論武装をした上で、私は久々にウォーキングをしている。運動と同じく思考(=書くこと)も、続けなければ働きが鈍る。このことは科学的にも確かだと思う。果たしてやる気は復活し、アウトプット量は増えるのか?いや、ぜひとも増えてほしい。増えるなら何万里でも歩きます。

2023年も残り3ヶ月を切った。今年の自分は何を達成できたのだろう?この切迫感ある言葉を胸に刻み、残り少ない今年の日々を精一杯生きていこう。

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