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「想い出のスクリーン」と「思い出は美しすぎて」の想い出

先日私は音楽メディアサイト「リマインダー」に、八神純子さんが1979年にリリースしたシングル「想い出のスクリーン」に関するコラムを寄稿した。

内容自体は「想い出」と「思い出」との漢字の違いをきっかけにした歌詞の分析(というか深読み)だが、執筆にあたり八神さんの楽曲を聴きまくった結果、新たな発見や気付きが幾つも生まれ、44年前の記憶も鮮明になった。
そこで、八神さんに関する発見とコラムに書ききれなかった「想い出」を、何回かに分けてnoteに記したい。まずは「想い出のスクリーン」という楽曲をカセットテープに録音できなかった「想い出」から。

今から44年前の1979年4月のこと。私は中学生になったのを機に親からステレオを買ってもらい、本格的な音楽ライフをスタートさせた。それまで家にはモノラルラジカセしかオーディオ製品がなかったので、家庭内の文化レベルは格段に進歩したと思う。なにしろ当時のわが家では、音楽はテレビやラジオで聞くのが当たり前。録音して再生する習慣もなく、ステレオサウンドにも触れたことがなかったからだ。
ただステレオが来たとはいえ、中一の私がレコードなど簡単に買えるわけもない。従って、FMラジオの番組表を新聞でチェックし(当時の新聞には、FM雑誌に載っている曲名付き番組表が週に一回掲載されていた)、ステレオの前に鎮座してヘッドホンでFMを聴きながら、これぞと思う曲をカセットテープに録音(当時「エアチェック」と呼んでいた)するという、ラジカセと変わらない勿体ない使い方をしていた。当時は音楽用テープも一本400~500円くらいする貴重品。録音する音楽も、厳選する必要があった。

それと時を同じくして、当時の私は「クラスの話題に付いていけない」ことを理由に、見たかった歌番組「ザ・ベストテン」の視聴権を、NHK派の父から難交渉の末に勝ち取った。だから木曜夜の9時前になるとチャンネルをNHKからTBS系列に回し(当時は回して変えていた)、画面を食い入るように見つめては流行歌をチェックしていた。その中で何度も聴きたいと思った曲の一つが八神さんの「想い出のスクリーン」であり、FMから録音する千載一遇のチャンスを狙っていた。というのも、私が住んでいた地域のFMは、NHK-FMの1局のみ。流されていたのはクラシックやジャズや洋楽がメインで、歌謡曲を扱う番組はわずかだったからだ。
そんな折、NHK-FMで土曜夜8時から放送していた「ニューヒット歌謡情報」を聴いていた私は、司会の曲紹介で聞こえた「八神純子さん」と「おもいで」の2つのワードに敏感に反応し、思わずカセットデッキの録音ボタンを押した。直後に流れてきたのは「想い出のスクリーン」…ではなく「思い出は美しすぎて」であった。

…ということで「思い出は美しすぎて」は、私が使い始めた最初のカセットテープに録音された(映えある)3番目の曲となった。以来私は「想い出のスクリーン」の代わりに「思い出は美しすぎて」を繰り返し聴くはめになり、やがて大好きな曲になった。
そもそもこの曲が八神さんのデビュー曲かどうかすら当時は知る由もなく、「みずいろの雨」以前に出した曲という認識しかなかった。ただ八神さんのハイトーンボイスは、中学一年生のガキの心にも染み渡った。そして、もの悲しいボサノバ調のメロディーは、歌謡曲しか知らない音楽一年生だった私の世界を確実に広げてくれたのだ。

これが、私の心に刻まれた「思い出は美しすぎて」にまつわる小さな「想い出」である(私の定義では、記憶が今も息づいているのが「想い出」)。結局、本来聴きたかった「想い出のスクリーン」を正式に聴けたのは、社会人になってからで、おそらく20年以上後のこと。ベスト盤をレンタルし、パソコンに落として聴いた。昭和の頃にテープに録音して聴いた八神さんの曲も少しはあったが、TVやラジオで断片的にしか聴けなかった一連の作品を高音質で聴けるのは、無上の喜びだった。
そしてこの時、長年思い違いをしていたことに私は気づく。ずっと「想い出は美しすぎて」だと思っていたのだ。その証拠は、今も大切に持っている当時のカセットテープの表紙に、中一の文字でしっかりと書かれている。

なぜか「想い出は美しくすぎて」と書かれている。そう聞こえたのだろうか?
ソニーの「AHF」はノーマルポジションで最高級のテープだったので、録音も厳選した

この思い違いも含めて、八神さんの「思い出は美しすぎて」と「想い出のスクリーン」の2曲は、私にとって宝物のような「想い出」として、心の中に定着している。「想い出」と「思い出」の違いを熱っぽく教えてくれた担任の先生の記憶とともに。

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