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限界集落の未来を考えながら、歩く

私は月に一度、社協のボランティアで高齢者のお宅にお弁当を配達している。配達エリアには道が狭い集落が多く、車を降りて歩いて届けることも多い。その日も厳しい残暑のなか、私は90歳近い独居老人にお弁当を届けるため、廃屋だらけの限界集落の小道を歩いていた。ここが行き着くであろう未来について、思いを巡らしながら。

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私が住む自治体は高齢化率が高く、限界集落も多い。人口も昭和30年代から減り続け、ここ数年は1年間に約100名のペースで減少している。しかも、私が住む全13世帯の集落は、80代から90代の高齢者が大半を占める。昨年は3名が亡くなり、2世帯が消滅。今年に入ってからも1名が逝去した。一人、また一人と人がいなくなっている。

改めて限界集落とは、65歳以上の高齢者が人口の過半数を占める集落のこと。平成に生まれた比較的新しい概念で、ウィキペディアには、「農業用水や森林、道路の維持管理、冠婚葬祭などの共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落のこと」と記載されている。
ただ、地域の65歳は若手の部類に属する。70歳を過ぎても現役バリバリで働いている方も多く、悲壮感は感じない集落も多い。一方、そんな現役をとうに過ぎて、よぼよぼの高齢者ばかりが残る限界集落も少なからず存在する。そうした集落は限界を通り越して消滅の一歩手前にある。限界集落も2極化しているのだ。

そんな消滅一歩手前の集落の細道を、私は歩いている。数少ない住民は暑さで家に閉じこもり、表で人は見かけない。ただ蝉の鳴き声だけが、やかましく聞こえるばかり。

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日本の人口が減少に転じている以上、地域の人口減少が止まらないこと、日本の多くの集落が今後消滅に向かうことは、避けられらないように思える。これまでも多くの集落が消滅してきたし、今も現在進行形でなくなりつつあるからだ。私が住む自治体も、この3年で1つの集落が消滅(無人化)した。

集落から人がいなくなるケースはさまざまだ。住民が亡くなるほか、何かと不便な集落に住むのをあきらめて街場のアパートに引っ越すケース、子供が心配して高齢の親を引き取ったり施設に入れたりするケースなどだ。昭和時代には、利便性の悪さから住民が話し合い、集団移転した集落も多かったと聞く。
昔から集落に暮らしていた住民にとって、思い出が残る故郷を離れるのは切ないと思う。しかし、じゃあ何ができるかと問われれば、何もできない。「わしらがいなくなればこの集落は終わり」と感じている住民は多い。
もちろん、若い移住者が中心となって地域や集落を盛り上げている事例はある。しかし、それは全体のごく少数。地方移住の動きも活発化しているとはいえ、日本に点在する多くの限界集落が消滅に向かうのは、自然の成り行きだ。昔から維持されてきた日本の原風景が失われるのは何とかしたいが、全ての集落を今のまま存続させることは、まず無理だろう。
 
そもそも、減少、衰退、滅亡は、万物にとって避けられない現象である。人もいつかは老いて、死に至る。すべての物事に栄枯盛衰があるように、限界集落も、かつて果たしていた役割を終えたとも考えられる。減ったから増やす、寂しいから賑わいを取り戻す、滅亡しないよう延命させることもいいのだが、衰退をいつくしみ、残り少ない日々を味わうマインドも必要ではないか?散った桜、樹々の葉が落ちた晩秋、アンティークな古物に美学を感じるように、地域の衰退期にも、ノスタルジーだけでは語れない独特の味わいが私には感じられる。

そんな限界集落のひなびた風情に惹かれ、私はいま、この地域で暮らしている。一人、また一人と集落から住民が減り、ついに自分一人になってしまった時に、果たして何を思うのか。せめてそれまでは生きていたいものだ。

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