②肉体は他人

肉体は自分でしょうか。

COSMOSの法則のP68に以下の文が掲載されています。

少し長いですが是非読んでみてください。

自分の願いとは、真逆なことばかりが、他人である肉体には起こっています。 例えば、自分は、幸せになりたい。しかし、他人である肉体は、どういうわけか、不幸ばかりになっている。自分は、健康で暮らしたい。しかし、他人である肉体は、なぜか、病気に罹ってばかりいる。自分は、平穏に暮らしたい。しかし、他人である肉体は、どういうわけか地震や台風などの災害に見舞われている。 自分は、こんな両親からは生まれたくなかった。しかし、他人である肉体は、なぜか、あんな両親から生まれてきた。自分は、こんな子どもを産みたくなかった。しかし、他人である肉体が、どういうわけか、あんな子どもを産んでしまった。 自分は、両親と仲良くしたい。しかし、他人である肉体は、いつも不仲になっている。 自分は、女性だったら良かったのに、どういうわけか、他人である肉体は、男性として生まれてきてしまった。 自分は、女性になんかなりたくなかったのに、なぜか、他人である肉体は、女性の身体で生まれてきてしまっている。 この自分と他人である肉体の「真逆性」の違和感が、LGBTQの人たちの大きな問題となる、最たる原因になっています。 自分は、勉強やスポーツなどが得意だったら良かったのに。しかし、他人である肉体が、どういうわけか、すべてが不得意ばかりで、そのようにはなっていない。 他人である肉体は、何もかもが自分の想いや願いとは、真逆のことばかりです。 「自分」が、好きなことや、やりたいことや、望んでいることは、「他人である肉体」によって、「自由」に叶えさせてもらえません。 「自分」が、嫌なことや、やりたくないことや、望んでいないことは、「他人である肉体」によって、「仕方なく」やらされたり、起こったりしているという、紛れもない「事実」です。 最終的に、自分は、死にたくない。しかし、他人である肉体は、「老若男女すべての人が、死にたくないのに『仕方なく』死んでいきます」。

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