光の一滴(ひとしずく)45『高次の愛って何ですか?⑰』
私に言葉が来るようになったのは、「我が子の住む世の中が明るくなりますように」と願うようになってからです。
そのことを先生に話したところ、「利他の心やね。」と言われました。
100%!我が子の幸せのために願ったのですが、思いがけずそれが他の人々の幸せにもつながる願いだったため、神仏のお導きがあったのではないかということです。
そう言われても、ピンとはきません。
我が子のために世の中を明るく変えようなんて、なんて傲慢で大それた願いだと思いませんか?それが「利他の心」だなんて・・
また、自由にスピリチュアルを探究できるのは夫が応援してくれるおかげです。そのことを先生にお話しした時、「与えられる愛は、奪う愛でもあるよ」と言われました。
ショックでした。でもここから、高次の愛について考えるようになったのです。
いろいろ教わるうちに、まず自分が楽になっていきました。
そして、少しずつ人の仕組みがわかってきました。
すると、わかったことをお伝えしたいと思うようになりました。
同じ所で引っ掛かっている方は、「あ!」と気づいて先に進めるはずです!私も日々「あ!」と気づかせていただいています。
そうしていろんな所で人々が「あ!」と気づく情報がシェアされていて、アセンションへと皆で向かっているのではないでしょうか。
この共有するというのが、引きこもりだった私はお手紙から始まり、電話になり、ついにはブログになりました。
そしていつの間にか、心が開放されていました。
それはデパートの1階と同じだと思います。
通り抜けてもいいし、お店を見てもいい。そんな気楽な感じです。
でもそこは公共の場ではなく、デパートという個の場所です。
ここがとてもヒントになりました。
「個でありながら、開かれている」これが、第二段階の高次の愛ではないでしょうか。
ところで神仏の愛とは、最終段階の『包み込む愛』だそうです。
今私達みんな包まれているということです。なんだか嬉しいですね。