見出し画像

のど飴のススメ

先日のnoteで、小説を書くために喉の薬を吸引し始めた、というような話を書かせていただいたのだけど、そもそものきっかけは咳が止まらない方の風邪を引いてしまったからで、それはというとコロナ鍋における「もっとも掛かっちゃいけないタイプ」の病気であった。電車の中で咳をひとつするだけで「やばいひと」扱いをされる昨今、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

僕は2月7日を待たずして、すでに書くことがなくなってしまって、早くこれを書き終わってテトリス99をやりたいと思っている。皆さんは今、何をしたいですか? 早めにやっておいた方がいい。2秒後の世界は闇。まったくもって、この先何が起こるか分からない世界に我々は生きているのです。

のど飴の話がしたい。

僕が咳を止めるために選んだのど飴は「甘草のど飴」というやつで、綺麗なつるっとした飴ちゃんがなんと60粒も入っている奧田製薬の飴である。「沖縄産黒糖使用」と書いてあって、パッケージとしては、祖母の家に遊びにいったとき、小銭が溜まってそうな見た目だ。僕がなぜこれを買ったかというと、少し安くなっていたからだ。多分200円とか、300円しないくらいだったと思う。こうやって、安いから買ったやつの割に、いくらで買ったかを覚えていないところが僕の甘いところだ。

これをチュピチュピ舐めながら小説を書いておった訳ですけれども、

あ、すみません。

なんかリンクも貼ってしまったのですけれども、もしよろしければご一読いただけたら大変嬉しいのですけれども。

ともあれ、のど飴という飴の偉大さを、もっと我々は知るべきだと思います。最初は、値段が割引されていたから買ってしまったこののど飴に、僕は不満でした。味が独特過ぎる。ハーブエキスの味が優しく黒糖と絡み合い、えも言われぬお味を醸し出しているのだ。決して美味しいものではない。

でも、僕は気付いてしまった。

この飴は優しい。

アーモンドチョコレートのような色で、つるっとしたフォルムは、いくら口の中に入れて舐めても、全然口の中が傷付かないのだ。パイン飴をつい最近まで嗜んでいたのだけれど、あれはジューシーで大変美味しいのだが、食後の口の中はズタズタである。ボロボロである。である、と普通に書いてしまう方面のもの書きで大変恐縮である。偉そう。ともかく、こののど飴はツルっとしていて、いくら舐めても全然平気だ。人類の叡智はここまで到達したのか、と感動さえしてしまう。

そもそも、この飴の蓋を開けると、飴がずわぁっと入っているのではなくて、小さい穴が空いたセカンド蓋、もしくは蓋Part2が内側に仕組まれており、「何の為のセカンド蓋やねん」と思っていたが、これで無用な飴の動きを封じ、口の中の傷をつける要因であるところの飴ちゃんの表面の傷を抑え、ツルツルを保つ為の存在であるような気がしてきた。この飴は、100%の優しさで出来ているのではなかろうか。

最後の一粒を食べ終え、何となく寂しくなってしまって、「甘草ののど飴」を讃える文章が書きたくなって書いた。ものを書きながら飴を舐めるというのは、とてもいいかも知れない。ガムだと詰め物が取れたり、ここぞという時に思いっきり口の内側をガリッと噛んで「んっ」などと悩ましげな息を吐いてしまいがちだが、優しい飴ちゃんはずっと口の中でじんわりと喉を癒し、乾燥した夜から僕やあなたの口腔を優しく保護してくれる。一粒6キロカロリーくらいだし、今後は手元にのど飴を置いて置くのが僕の習慣に・・・・・・ならないかも知れないし、なるかも知れない。

推しのど飴の一つくらいあって良いんじゃないかな、と思う。

今回は全く小説と関係のない話を書いてしまった。

現在、推し小説投稿サイトカクヨムにおいて、一年に一度の祭典「カクヨムコン6」が大絶賛読者選考期間中であります。僕も頑張って書いた小説を投稿させていただいたので、ご一読いただければ大変な幸いであります。どうぞよろしく、どうぞよろしくお願い申し上げます。

この宣伝を兼ねたエッセイもあと二回。最後までお付き合いいただければ、とっても嬉しい。



この記事が参加している募集

べ、別にお金なんかいらないんだからね!