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雨宮天という声優とそのサイン会の様子について

念の為断っておくと、ここから先には雨宮天(あまみやそら)こと天(てん)ちゃんを褒めそやす文章しか出てこない。このTrySail詩集(カクヨムで連載中)を司るのは僕こと江戸川台ルーペであり、同時に青き民でもある。どのような文章でここを埋めようが、あるいは埋めまいが、僕の指一つでどうとでもなるという事を、どうかご了承いただきたい。いただけただろうか。それでは、後は語るのみである。 何について?

秋葉原で起こった小さな奇跡について。

2020年1月13日月曜日に僕が写真集にサインをして貰った時に感じた事について。あの日は曇っていた。


雨宮天の美しさについて

詳細は後に記すとして、まずは雨宮天さんの美しさについて記したい。熟考した結果、これこそ僕が最も記しておきたい事だ。以下、雨宮天さんのことを【天ちゃん】と記載する事があるかも知れない。先にその事についてお許しをいただきたい。ちゃんと書けるだろうか?

 空の美しさを言葉に変える時の無力感を覚えた事がある人には、この不安を分かってくれると思う。空の青さや、運動場の水道水の冷たさや、夕方の誰もいない学校の渡り廊下のように、正確に書こうとすれば身を翻し、遠くへ去ってしまう錯覚に囚われる種類の物事が存在している。近付こうとすればするほど、それは等間隔を保って数歩先にあり続けてしまう。そうした現象は、突き詰めれば人間同士のコミュニケーションにおける不完全性について、という事になると思うのだけど(人間と言っても同じ人間は一人もいないのだ)、とにかくまあ、書いてみよう。天ちゃんの美しさについて。雨宮天という存在の不確かな美について。


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(画像はロイホの季節のパフェの写真です。ずいぶん前のやつなのですが、文字ばっかりだと疲れると思うのでいい感じのを挿し込みました。すごく美味しかったです)

直接間近で見た天ちゃんは、明るくて透明だった。
っていうか、光だった。雨宮天という物質が確かに存在し、そら、宇宙、億兆分の一にも及ぶ確率のガチャで勝ち得た美しい唇の形を開閉させ、そこから言葉を発していた。声を発していると言うことは、声帯を震わせ、空気にその衝撃を伝播させ僕に音として認知させたと言うことだ。マイクとか、アンプとか、そういう電子製品を介さず、直に空気から空気へと伝わった波動が僕の鼓膜に届いたという事だ。信じられるだろうか。僕の為に発せられたリアル声が僕の鼓膜を震わせた。.wavでも、ましてや.mp3でもない。.real。ドットリアルとドヤ顔で言いたい。

雨宮天はまず、美しい。綺麗。
美しいとは何か。しのごの語りたがる人はまずそこを定義せよというかも知れない。これはまさにPARADOX、矛盾だ。美しいとは何かを知りたい時、雨宮天を眺めればおおよそ9兆8000億万割の理解が可能なのだ。世界にはありとあらゆる美があるが、女性の顔というジャンルの中で、「雨宮天」の属性は「クール型」に含まれる事になるだろう。つまり「かわいい」よりは「綺麗め」に寄るという事だ。ツモリチサトというより、ジルスチュアート。リラックマというより、サラブレッド。北千住より、恵比寿。ジャカルタよりもパリ。TBSよりもテレ東。トヨタよりプジョー。ドコモよりノキア。ビクターよりソニー。4℃よりもシャフト。AQUOSじゃなくてREGZA。雨宮天が綺麗ゾーンの中でも世界レベルで突出しているのは間違いない。うまくいけばハリウッドデビューだっていける。

 ──このようにして、執拗に顔面について語るのに若干引き気味の方もいらっしゃるかも知れないが、雨宮天を語る上において特筆すべきは顔面である。

待てと。
分かる。言いたい事は分かる。
顔面をいの一番に語ることは人としての品位を落とすのではないか?

落ちるかも知れない。ただし堕ちるのは僕こと江戸川台ルーペの品位のみであり、雨宮天という努力家天才声優にして完璧な美をたたえている女性に対して貶めるものは何ら一つもない事を明言しておきたい。純粋に美しいという事がどれ程の希望や勇気を周囲に振りまくことか。キムタクだって近くにいたら男女問わず、みんなが幸せになるはずだ。横浜流星がよそったご飯と僕がよそったご飯、まったく同じ味がするとでも?


本当に、本当に雨宮天の特筆すべき点は顔面なのか?

顔面である。顔面ファーストである。

顔面をスルーして内面を語るには、あまりにもインパクトが強大に過ぎる顔面の美しさである。例えばそこに巨大な美しい絵画があるとする。東京ドーム8個分くらいデカイ巨大な絵画だ。あなたはそれを水道橋駅あたりから鑑賞する事になる。すると、まず目につくのは【絵が巨大だ】という事ではなかろうか。『でけぇ絵だなあ! ……美しい絵だなぁ!』の順番で人は見ていくだろう。その「巨大な絵」と最初に認知するとっかかりこそが、雨宮天にとっての顔面の美しさなのだ。念のため言っておくが、決して顔が大きいという訳ではない。


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(写真はロイホの季節のヨーグルトジャーマニーです。2020年7月まで、今年イチの最高美味いパフェでした。熟成したマンゴーって一瞬カツオの刺身の味がしませんか?)


仮に顔面がやや美しい程度であれば、スムーズに内面のたおやかさや麗しさに触れる事が出来るだろう。上手くすれば相乗効果で顔と内面の両方を高める紹介の仕方もあるかも知れない。あるいは、普通に美しいのであれば、雨宮天を「たまにテレビで見かける綺麗なニュースキャスター」として鼻濁音や、陰で努力を惜しまないストイックな内面について語る事も出来るだろう。だが、雨宮天はそんな程度の美しさではないのだ。美しいという言葉で一括りにできる程の、生易しいものではない。だからこんなに文字数を割いてその美しさを説明しようと苦労している。おかげさまでまったく話が先に進まない。これというのも、天ちゃんが美しい過ぎるからである。本当に困ってしまう。美しいは罪でしかない。ああもう、本当にまいった。まいったまいった(破顔)

具体的に触れていこう。
まず目が大きい。幾分かのメイクの力もあるに決まっているが、それにしても切れ長の美しい形をしている。その眼に映してきた全ての景色に嫉妬せざるを得ない。そして鼻。雨宮天という生きる芸術に酸素を送り込むという生命維持に不可欠な性能を持ちながら、顔面を美しく引き立てる重要なパーツとしてその中央に位置する世界で一番働き者の鼻である。こちらも大変美しく、素晴らしい。鼻というのは高ければ良いというものではない。勿論、雨宮天の鼻も高い。だが高さというのは単なる数値的指標であって、本来求められる鼻の美しさは、顔面との調和にあると僕は思う。雨宮天の鼻は鼻そのものだけではなく、周囲の眉、目、耳、口、それぞれに完璧な美しさを引き立てる天才的バランサーとしての鼻である。しかも生きる為の酸素まで天ちゃんに供給しているのだ。信じられない。ありがたい。天ちゃんの鼻ありがとう。一番高い時給をもらって欲しい。顔面リーダー的立ち位置は間違いなく天ちゃんの鼻である。花粉症じゃなかったらもっと最高だったんだが。

そして頬である。
天ちゃんほっぺこそが世界唯一にして天ちゃんを天ちゃんたらしめる美しさの根源であり、芸術とは、人にとって生とは何か、死とは何か、生きる為の喜びとは、悲しみとは、世界の成り立ちと、魂の震えをもたらす思いの旋律は何か。それは例えば地球の反対側に住む少年が、言葉に出来ない幸福と希望を明日に繋ごうと瞼を下ろす満月の夜のように、生きとし生けるものが総力をもって守護すべき、まさに世界の宝の一つである。天ちゃんの頬は美しいカーブを描いている。目元から顎にかけたその線というにはあまりに華奢な線は優しくなだらかで、学校の帰り道に望む夕暮れの丘陵のように胸を打つ美しさだ。天ほっぺこそが、雨宮天を究極に美しく、魅力的に魅せる唯一無二のポイントだと僕は思う。天ちゃんの顔面の美は主にその頬の線であると断言して良いだろう。

そして口。とても大きい。放っておくとへの字になる形の良い唇が印象的な口は、普通の人に比べると実際のところとても大きいようだ。だがその大きいが故の口こそが、雨宮天という人間のポテンシャルを十分に引き出している。ここに神が定めた天命とも言える、神グッジョブ、天の采配美がある。唇を開けば歯がギザギザである事が分かる。まずそこが良い。大変愛らしい。歯並びは綺麗で、ニッと笑うといたずらそうな口元が現れる。まるで無垢な少女が真っ白いワンピースにトマトのシミを作ってしまったみたいに。そこから美しい声と歌声が紡ぎ出される。僕が知っている限り、素晴らしい歌い手は全員口が大きい。まさに美と機能を兼ね備えた何兆分の一の確率で天ちゃんが勝ち得た身体的特徴と言える。声優となるべくして生まれた口であり、美を司る為の顔面。100万歩譲ってそれら二つを兼ね備えた女性が居たとして、さらに声優を志すという意思を得る奇跡を奇跡と呼ばずして、一体何が奇跡と言えようか。

頬から顎に掛けてのラインが、繰り返しになるが美しいとしか言いようがない。あのせっかちなカーブ。深い森に住む鳥が朝露を探し求めるように描く、ふっくらと愛らしく美しい線。心底最高だと言わざるを得ない。耳は普段は髪に隠れているが、実にちょうどいい場所についている。ここしかないな!、という場所にちょうどいい大きさの耳があるのだ。耳ってどうやって褒めるんだ? 普段は長い髪に隠れて露わにならないけれど、形の良い耳である。これからもインカムとか突っ込まれて大変だろうけど、ぜひ天ちゃんのために色々頑張ってほしい。いい声の為にはいい耳が必要だ。リーダーの鼻と協調しながらしっかりいい仕事をしていただきたい。って上から目線で語る僕は一体何者なんだろうね、とふと思った。単なる気持ち悪いオタクです。ニチャァ。キチキチキチキチ。みゅみゅみゅみゅみゅ。


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(写真はロイホの季節のヨーグルトジャーマニーである。甘酸っぱく、歯応えプチプチジューシーイチゴとヨーグルトの相性はまさに計算され尽くした芸術と言える。っていうか、どうして僕は天ちゃんの記事にパフェの写真を貼ろうと思ったのか、自分でも既に定かではない)


雨宮天の顔面についてずいぶん語ってしまった。未だ言葉が足りず、十全にとは言い難いが、キリがないのでこれくらいにしておきたいと思う。僕が知る限り、詳細に女性の顔面について記載している文章というのは読んだことがない。それはやはり、あんまり顔にフューチャーし過ぎると下品だし、無礼だという世間一般の常識というようなものもあるのだろうし、書く者には「顔ばっかり褒めて! 性格度外視か! このゲス野郎!」という誹りを受ける勇気と心構えが必要だからではなかろうか。

僕は基本ゲス野郎と罵られても仕方がないと、一定の諦観を持って日々暮らしているし、誰も書かないのであれば「俺が書いてやる!」程度の意気込みを持つアマチュアweb小説家である。

だから僕は雨宮天の顔面が美しいと執拗に書いた。それは誰かがキチッとそれを書いて残しておかなければならない事だと確信を持っているからだ。天ちゃんが好きで好きでたまらないファンの人が、仕事が終わって一息ついた深夜、その思いを共有したいとインターネットを徘徊する時に、この記事が引っかかり、深く共感いただければそれに勝る幸いはない。美しいね、あるいは時々かわいいね、を誰か知らない人と分かち合えるというのは、短い人生の数少ない楽しみの一つだ。

理由のもう一つは端的に日々天ちゃんに美容を意識して欲しいというのが挙げられる。いつかご本人が『中学校時代は「自分が世界で一番かわいい」と思っていた』というような趣旨を話していたが、後にそんなプライドを『粉々に打ち砕かれる出来事』があったと語っていた。その打ち砕かれついでに、自分の顔面の攻撃力の高さを低く見積もってしまったのではなかろうか。その落差がネガティブを産んだのではなかったか。人間的に成長する上で、天ちゃんのプリミティブ(原始的で無根拠)な自信を打ち砕かれた事は、一人の女性として長くより良い人生を送る内ではトータル的に幸いであったかも知れないが、持って生まれた顔面の美しさを過小評価するのは本人にとっても、世界にとっても損失である。是非、日々のケアを怠らずにやっていただきたい。

僕には顔面が良い人間の生活というのがうまく想像ができないのだけど、身近なそういう人を見ていると、普通の人たちに比べて、総体的に色々と良い事や嫌な気分にさせられる事が増えるのだろうなと思う。雨宮天=ネガティブという図式が崩れてきた最近においては、是非ポジティブに顔面の強さを受け入れていただき、日々、世界の為に、積極的に顔面を研ぎ澄ませていただきたいと願うばかりである。である、と何の衒いもなく書いちゃう系の物書きで申し訳ない。っていうかこんなに顔面顔面連呼する記事ってある? 通算何顔面よ。さすがにどうかと思うよね。ごめんねオール!


雨宮天のファンでいること


雨宮天のファンは青き民と呼ばれているが、僕みたいに「顔面!顔面!」と、どこかの演劇演出家が「人生!人生!」と連呼するみたいな下衆いファンはあまり見掛ける事もなく、主に声や歌、そして内面に惚れ込んだ方々が多い。僕は昔ほどアニメを観ないので、天ちゃんの声優としての実力を評価する程の者ではない。ただ、仕事の量からすると相当な実力の持ち主である事が分かる。僕が言うのも今更だけど、天ちゃんは顔面だけではないのだ。


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(続いてロイホの季節のパフェ三連星。左から葡萄、美味しい葡萄、綺麗な葡萄とその仲間たち)


僕が一番好きなのは「リケジョ」の低い声だ。「このすば。」の一生戻る気がなさそうなテンションのアクアちゃんも好きですけど、これはキャラが好きなのか、天ちゃんの声が好きなのか判別が難しい。「Beatless」の天ちゃんは素晴らしかった。これは作品自体がnot for meだったので、純粋に天ちゃんの声や演技の良さが理解できた。それだけが僕が見続ける理由だった。主題歌もTrySailの中で一番好き。しかし話がまったく思い出せない。

歌については、これはもう聴いていただくしかない。僕がファンになったのはViperが出る前だったのだけど、歌唱力、声量声質がもう完全に歌手だ。ViperをTrySailの仙台公演で生で聴いた時は感無量だった。全部MVも買って、その中で一番好きなのは「Defiance」で、次に「Absolute Blue」だ。いつか良さについて語れればいいな、書ければいいな、と思う。僕はnotesで外部リンクが貼れない人なので申し訳ないが、雨宮天の公式YouTubeチャンネルでショートバージョンがあるから是非観て見て欲しい。その中で一番再生回数が多いのは「PARADOX」の112万回だそうである。このMVでは大勢の大人達が寄ってたかって天ちゃんの顔面を最高に整ったコンディションに仕立て上げたザ・ベリー・ベスト・オブ天ちゃんの顔面が堪能できるので、ここまで読んでいただいた天ちゃんを知らない人達に、また、ここまで病的な文章を読んで、さすがに天ちゃんの顔面にも興味が湧いてきたノーマルな人達に一番お勧めです!

雨宮天の性格

などと、上ではついに顔面以外の天ちゃんを書いたが(いや結局顔面で話を終えたが)、さらにその雨宮天を下支えする内面・性格は不思議である。顔面ありきのnote記事なので、あんまり内面には触れない予定だったけれど、ここまできたら触れざるを得ない気もする。顔面の事ばっかり言いやがって!、と怒られてしまうのも不本意だ。

内面の事は、想像や状況から導く不確かな事しか書けないのが難しいところだ。顔面は一目で良いと分かるのでいくらでも書けるが、こころについてはそうはいかない。良い所は角度によって悪い所にもなるし、悪い所はまた別の角度からはとても良いところになるからだ。一般論。道徳の教科書みたいになってしまった。だから苦手なんです〜。自分の想像で好き勝手に書ける文章なら良いんだけど、実在する人の性格を書き記すって、一体どういう立ち位置で書けばいいのか。自分の性格すらよく分かってないのに。っていうか、何でパフェの写真貼ってんだよって話じゃん。


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(貼るが。っていうか僕ロイホのパフェ好き過ぎじゃないですか? このパフェは思い出せない。先日リニューアルされた定番のチョコレートホットファッジサンデーのような気もするけれど、上から掛けるチョコレートソースが写っていない)


天ちゃんは以前まではネガティブであったが、最近ではとても楽しそうに、ポジティブに仕事や生活をエンジョイしていらっしゃるようだ(2020年7月)。推しとしてこれ以上なく嬉しく思う。おじさん目線で申し訳ないけど、ホントにおじさんだから許して欲しい。良い仕事には良いメンタルが必要だ……って書くといよいよしみじみとおっさん臭くて死にそうになる。でも生きていないと天ちゃんの新曲が聞けないから生きるよ!

天ちゃんは本人が認めている通り、あるいはTrySailの他メンバーのラジオから時折伝え聞き想像するに、少年のように裏表がない性格、というのが僕の想像である。あまりに素直に自分を表現していらっしゃるのか、腹が減ると手のつけようがない程不機嫌になるらしいし、道で困っているおじさんやおばさんが居ても「手を貸す事はない」と某黄色が断言する程の自分ファーストな性格がうかがえるエピソードが満載である。であるにも関わらず、僕がファンで居続けるのは顔面が良いから、というのはもちろんあるが(その内熱狂的雨宮天内面至上原理主義者に刺されて死ぬかも知れん)、それ以上に惹きつけられるのは、隠さない野心と揺るがない向上心に基づいた自らを律するストイックさにある。やると決めたらやる。やらない事はやらない。目標を設定したら、人に言わず自分にタスクを課して突き進む、そんなプロ気質がたまらなく良い。リスクを進んで取り、正しく怯える。人間、ガチでやる時は他人に気を使う事など最低限になってしまうのだ。

普通の人間ではそうはいかない。他人に嫌われないように気を使うし、仲良くなろうとするし、優しさから思ってもいない行動をとったり、嘘やおべっかを使う事もあるだろう。ファン商売であるなら尚更だ。でも振り返ってみると、人間関係の複雑さやひとの生き辛さは、そうした「当たり障りのないように」放った一言や、空気を読んで思ってもいない事を言ってしまう所から生まれるのだ。良かれと思って言ったこと・やったことが地獄への片道切符である事の多さときたら。悲劇はそこから産まれる。そして僕の想像では、顔面が良い人はそうしたケースが一般の人より100倍くらい多い。そのリカバリ・フォローする煩わしさを考えれば、限られた時間と神経を自分の為に使うのは極めて自然ではないか、と拝察する次第である。また【である】って言っちゃったね。

また、天ちゃんはファンに対してさえ「単なる雨宮天ファン」である事を求めない。挑戦し続ける姿勢を応援し合う関係であろうとする。発信される情報からは「私はこうした。で、あなた達はどうする?」と問いかけられるようだ。 ファンであるに恥ずかしい生き様は晒せない。

必然的に天ちゃんの元にはある種のポリシーというか、哲学をもった人達が集まってくる印象がある。僕がその人達の前で顔面が好き、と大声で言おうものなら「ちょっと面貸せや」と体育館の裏でしばかれてしまいそうだ。僕は地面に倒れ、血を流しながらなお叫ぶだろう。「だって顔面が良い!」

「顔面良いだろうが!」

僕の腹にいくつもの足蹴(長渕キック)が飛んでくるのが目に見えるようだ。天ちゃんファンは顔面を良しとし声高に叫ぶ雨宮天顔面至上原理主義者を忌み嫌う風潮があるような気もする。ドラクエでいう気っ風と器量が良い女海賊の首領に「(……ポッ)」となっている乗組員のイメージだ。伝わるか? 伝わって欲しいな。

実際にTrySailの公演(2019年6月仙台公演)に行った時、数人の「青き民」とすれ違った事があるのだけれど、目付きの鋭い「胸に何かしらブツを抱えている」系の人達が多い印象を持った。あいつを支えるにゃ、あいつを理解するにゃ、俺しかいねぇんだ、という風な、古来日本の義理や人情、任侠伝的趣を大切にしていそうな人達だ。これはまぁ、全くの印象だけの話でしかない。直に話した事がないので、想像とはいささか違っている場合もある。工藤静香ファンの層と近いんじゃないか、と僕は勝手に思っているのだけれど、工藤静香のファンと交流した事がただの一度もないので、なぜ僕がそんな事を思ったのかさえ既に自分で謎である。なぜ工藤静香なんだろう。無言、色っぽいなんだろう。そして、嵐を起こしてるのだろう。

上半戦まとめ

ここはnoteの書き方ノウハウに倣って、今まで書いた事をまとめてみたいと思う。既に1ヶ月ほどこの文章を弄り続けているので、内容が重複してしまったり、読みづらいところがあるかも知れない。大変申し訳ないと思う。ただ、書いてる時はとても楽しい。

①天は顔が綺麗だよ〜(●・▽・●)

②性格は難しそうだけど、きっとガチで努力してるからだよ〜(●・▽・●)

③ファンはそんな性格も含めて熱狂的な人が多いよ〜(●・▽・●)

と言ったところだろうか。文字数に対して語った内容が少なすぎてひくわ〜。語尾の(●・▽・●)マークは何となく和むかな、と思って置いただけで、特に意味はない。

(●・▽・●)

握手会顛末


以降は成人式の日に開催された雨宮天ちゃんのサイン会について記載していく。2020年1月、サイン会は秋葉原某大きなビル5階だった。

15時9分秋葉原駅到着。前日から、天ちゃんに直で会えるという緊張感で大変だった。今まで好きになったアイドルは数あれど、コンサートを除いて直接会ったことは一度もなかったから、想像が出来なかったのだ。直接至近距離で顔を見て、話をするという事が。その時の自分の心の動きというものや、その後に見える風景の違いというものが。天ちゃんはどういう顔をしているのだろう? もちろん写真や動画で何度も見たし、コンサートでは遠目からお見掛けしたけれど、本当に存在しているのだろうか? イマイチ信じ難い。直接お話しが出来れば、その短い時間から何か分かることがあるに違いない。ミッションはそこにある。

まずは伝えたい事をちゃんと伝える事。前日にメモに箇条書きにしてある。それと、天ちゃんを知る事。BDやラジオや写真、歌などから受けている印象と、会って話した時の印象の差異を自分自身で検証し、自分だけの宝物とすること。結果から言うと、残念ながら後者は叶わなかった。天ちゃんはどこまでも美しい天ちゃんであって、ファンに与えたい印象は前述のメディア群から発せられるもの以上でも以下でもなかった。なにか人間らしい所が垣間見れれば…と隙を窺ったが、一分の隙もなかった。天ちゃんは本当にそのまんまみたいだ。ブレがない。

15時20分に会場到着。
おなじみの秋葉原はビックカメラ斜め前の会場へ。階段を登っていくと張り紙が貼ってあり、先客は五名ほど。途中で後から来た男性に「ここ雨宮天さんの会場ですか?」と聞かれ、多分そうですよ、と答えた。衝動的に「天ちゃんマジ最高だよな、ちょっとおじさん緊張してるからさ、一緒に交代で天ちゃんの好きなところ挙げていくゲームしようぜ!」と肩を組みたくなってしまったが、グッと堪えた。遊びじゃないのだ。いや、遊びだが、遊びじゃないのだ。ポッケに入っているメモを確認する。前日の夜に書いた伝えたい事8点。頭に叩き込む。直接伝えられる機会は恐らくこの先、二度と訪れない。青いものが身の回りに見当たらなかったので、唯一あった青いネクタイを締めてきた。緊張で苦しくなり、緩める。

15時30分少し前に、待っている階段でゲーマーズ応募葉書組と、アニメイトメール組に列を分けられた。印象ではゲーマーズ葉書組の方が多かった。このご時世にハガキがメールに勝つとは……と思ったけど、実際に数えた訳ではないので、同等の数かも知れない。僕はアニメイト応募組だ。

15時30分ジャストに会場。受付開始。
受付前に待っていた階段から2列で3名ずつになり入室。僕はアニメイト側の三人目。衝立で、座席が用意してある会場はまだ見れない。仕事で行った研修を受ける大部屋のような印象。

僕の番。スマホのメールと身分証明書である免許証を提示。紙とペンを渡される間、免許証と僕の顔をチラッと確認される。
「書いてもらう名前を本名の下の名前、平仮名で」
との指定。
「え、本名ですか?」
「はい、本名、平仮名でお願いします」
と、きりりとしたお姉さんにハッキリと言われる。僕の下の名前はシンプルに三文字だ。せめて格好つけてカタカナにしようかとも思ったが、平仮名と言われたのを思い出してリフレクションペンの後ろでグジグジと消して、ひらがな三文字を記入。渡して、中に入場したが、席の抽選を引く必要があった。
「席の抽選をお願いします」
呼び止められてしまった。ビギナー感かつおじいちゃん感がやにわに高まった。

箱から紙を引く。ビギナーなので何番が良いのか分からない。

二桁最初番。悪くない。ここで会場に通される。総勢50名と知る。かなりの狭き門であっただろうと思う。本当にありがたい(僕が何冊買ったかは内緒です)

正面にしっかりとした雛壇。マイクと花、写真集ハイテンションのポスター。番号が置いてあるパイプ椅子に着席する。前から二列目。両隣に誰もこない。小さな音で流れている最新シングルRegenerationをリピート聴きながらソワソワと待つ。数人、知り合い同士で来場しているらしく、大変羨ましく思う。開始十分前に左右が埋まる。サイン会場では時間が過ぎるのが恐ろしく早い。

時間。前振りの男性が登壇する。以下、終わった後に思い出しながら書いたメモです。もっと詳細に書かれているブログが沢山あるので、「こんな感じ」くらいでお読みいただければよろしい。よろしいって、偉そうだな。

「こんにちは!」

コニチハ……(緊張と待ち疲れで元気がない)


「うーん。声が小さい。写真集の題名知ってますか。ハイ テン ション。ほらね ハイテンションでおねがいしまぁす。みなさん声出ししてないから、声小さくなってるんじゃぁ無いですか? 一回声出しましょう! ハイテンション! はい!」


(ハイテンション)

「はぁい、だいぶ大きな声になりましたありがとうございます。これからサイン会ですが先に注意事項をお伝えします。これから順番に前に出て四角いテープ内に立って(※ひな壇の前に立ち位置がバビってある)雨宮さんとお話しをしてもらいます。雨宮さんは顔がとても小さいです(おにぎりみたいなジェスチャー)。思わず前に出ちゃいそうになりますが、大丈夫です。ちゃんとそこにいますので枠内から出ないようにお願いいたします。また、プレゼントを渡したり創作物を見てもらったり、キャラの声をやってくださいというのはNGですどうぞよろしくお願いします。

では、雨宮さんをお呼びしましょう。ゆってもすぐそこにいますのでね。拍手の練習良いですか。ハイ!」

(ピチピチピチピチ)

「良いですねー。写真集の名前を忘れずにハイテンションでお迎えしましょう雨宮天さんでーす!」

拍手(パチパチ)


天ちゃんがひょいと現れる。(会場がどよめいた気がしたけども、覚えてない)

ぴったりとした体の線が出るサイズのパンツルック。まず「本物や!」という感動。次に細い、綺麗という印象。

「ハードル高い呼び方でしたねありがとうございます(笑) 今日はお越しありがとうございます。(ここから写真集のお話。松本シェーブアイスでTシャツを二枚ももらった話。自転車の乗り方には自信がある。ハワイは美味しかった。マラサダオススメ。写真集に写っているサラダはイマイチであったが、それ以外は全て美味かった、など)」

※松本シェーブアイスはテレビによく出る有名なかき氷のお店で、店主がタレントに「何枚でもTシャツ持って行っていいぜ!」と言って、タレントが山のようにTシャツを持って帰った所を覚えていて、「二枚貰った!」と喜んでいる天ちゃんが慎ましく可愛らしく思えました。でも本当に嬉しそうだったので、ハワイは超絶楽しかったのだと思います。写真集を開いてこちらに提示しながら、撮影話をしてくれたのだけど、ページが振ってなくて「えーっと、このページ!」という直接の指示があったものの、みんな目の前に超絶美麗天才声優生きて動いているバージョンの天ちゃんがいるのに、写真集に目を向ける訳もなかった。

おもむろにサイン会開始。天ちゃん壇上のテーブルに着席。天ちゃんの後ろに二人か三人立ち、謁見用の我々が立つべきバビられたテープ横に男性が一人立った。何かあったらすぐに取り押さえられる。天ちゃんはそう、芸能人であったのだ。否が応でも会場の緊張感が高まった。

座席番号1番から順に、2番がネクストバッターサークルに留まってその様子を五メートル後ろから見守るという図式。サイン会のトップバッターにはなりたくないな、と思った。緊張で嘔吐しそうになると思うし、頭が真っ白になって記憶も残らないような気がする。想像ではサラサラとサイン、お疲れ様!かと思っていたけど、結構ガッツリとお話が出来るようだった。天ちゃんの方にはマイクがほんのりと向けられていて、耳を傾ければ何となくその会話の様子が会場にいる人に聞こえるようになっていた。BGMは変わらず。成人式に行った帰りの人、感想を述べる人、天ちゃんに写真集の好きなカットを聞かれて、答えるひと、それに笑顔で応える天ちゃん。幸福で会場が二億万パーセント満たされてた。

僕、ネクストバッターサークルに立つ。

頭は真っ白であるが、一方でどこか冷静な自分もいた。

言うても、天ちゃんは年下の女の子ちゃんである。

僕はおじさんである。

人生のパイセン。

「なかなか良かったよCD」

などと写真集のサイン会であるにも関わらず楽曲の感想をぶっ込んだりとか、

「今回、ソラソラ感があんまりソラソラし過ぎないでアール・デコ風のアプローチがとてもデストロイだね」

などと緊張のあまり意味の分からない事を上から目線で語ったとしても、

「あ、(ちょっと風変わりな)おじさんなんだな」

と天ちゃんが許してくれそうな年の差である。

こちとらオッサンやぞ!

どんと来いリアリー天ちゃん!!!

スタッフさん「どうぞお進みください」

雨宮天に歩いて近付いていった。

天ちゃんに向かって歩いていった五歩を忘れない。決して忘れない(AZURE感)

荷物を置く時に少し屈んで、同じ高さの目線でリアリー生きてるガチ天ちゃんと目が合った。距離は3m弱?

おうふ、う、美しい〜⤴︎

無理ぃ〜⤴︎

なんですかぁ〜?⤴︎

これなんですかぁ〜?⤴︎

お慕い申し上げておりますぅ〜⤴︎


雑誌やネットで見る天ちゃんと、寸分違わぬ天ちゃんだった。

ぼく「こんにちは」

天ちゃん「こんにちは。お名前、●●さんって言うんですね」

下の名前で呼ばれた〜⤴︎

三文字で恥かしぃ〜⤴︎

どうして十五文字くらいないんですか僕の下の名前〜⤴︎

今だけ江戸川台ラインハルトフォンミューゼルに改名していいですかぁ〜⤴︎

末代まで語り継ごう〜⤴︎

僕の代で終わりだけど甥っ子に語り継がせよぅ〜

すごく近い〜⤴︎

笑顔が〜⤴︎

あ、あぁ〜^)…  ⤴︎

ぁ〜^)…  ⤴︎

)…  ⤴︎



🌟 










ひとり、祭りのあとで


謁見(そう、あれは謁見だったのだ)が終わった後、暗いビルの階段をフワフワと覚束ない足で下りて街に出た。秋葉原の街は明るい夕暮れで、ものすごく綺麗に見えた。あんなに空気が澄んでいる秋葉原をみたのは初めてだった。ザワザワと普段なら鬱陶しい人並みも、ゴテゴテに広告が貼り付けられているビルの壁面も、柔らかい光を斜めに受けて何もかもが違く見えたんだ(スキマスイッチ感) いや本当に。退出する時の、あと数十分後に天ちゃんと謁見するであろう、パイプ椅子に座って順番を待つ番号が大きい青き民達に祝福あれ、と思った。僕はもう先に逝った。後は好きにしろ。

居ても立っても居られず、街中で端っこに立ったままリアフレの高野ザンクに興奮のまま思いの丈をラインを送ってしまった。彼は会議中で結構な迷惑ぶりだったようだけど、本当に申し訳ない。一人で抱えるにはあまりにも巨大過ぎる幸福であったのだ。感謝申し上げる。

まっすぐに電車に乗って、一人で地元の鳥貴族へ行った。僕はいい事があった時も、悪いことがあった時も、頑張った時も、必ず鳥貴族へ行く。死んで焼かれた鳥は僕を裏切らない。とても美味しいし、プレモルもキンキンに冷えてて美味い。

ちゃんと伝えたい事を伝えられただろうか?

大丈夫、ちゃんと伝えた。

会話を思い出しながら、手元のメモで一つずつ確認した。

サインをもらった写真集を眺めた。

隣に焼き鳥とプレモル。

僕の三文字の名前と、天ちゃんのサイン。

僕ばかり一方的に喋りすぎたかもな。

ちょっとだけ反省したけど、悔いはない。

メモを千切って丸めて食べた。

嘘です(^。^)b

でも、メモを捨てたのはホント。

何だかラブレターみたいで気恥ずかしかったので。

それは失われてはいない。

ちゃんと僕の心の中にしまってある。

それはいつでも取り出して読むことが出来るし

これからずっと続きを書き足していく事だってできる。


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終わり。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

江戸川台ルーペ





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