どうやって、ワークショップゲリラになろうか?

WSD(ワークショップデザイナー育成プログラム)修了生のアドベントカレンダーが始まったので「面白いじゃん、僕もやる!」とうっかり言ってしまいました。
現時点で17時…19時から映画、22時半から会議の予定ですが、果たして間に合うのか…?

僕は青学23期、2016年12月頃の修了生です。
もう4年も経つんですね~。
同期には仕事でワークショップをやってたり、ワークショップをビジネス化しようとがんばっている仲間もいますが、僕の場合、完全に趣味でやってます。
「インタビュー力を高めるワークショップ」とか「強みを発掘するワークショップ」とか色々とやってきて、今年は地域コミュニティで「友だちをつくるワークショップ」をやろうと思っていましたが、コロナで全部延期中…オンラインでできなくもないですが、地域コミュニティの在り方そのものを見直さないといけない気がして、今はワークショップよりコミュニティデザインに軸足を移しつつあります。

…と、軽く自己紹介をしつつ、本題に入っていきます。
まずは、僕が以前からずっとモヤモヤしているファシリテーション…「今からアイスブレイクやります!」というやつについて語ろうかな。

こういうファシリする人、すごく多いですけど、これってつまり「あなたたちの間にはアイスがあるから、それを私が壊してあげます」っていう意味ですよね?
う~ん…ぶっちゃけ、余計なお世話だよねw
誰も壊してくれとか頼んでないのに、いきなりブレイクし始めるとか…。

何か前振りがあったら、全然良いと思うんですよ。
たとえば
「みなさん初対面同士なので、ちょっと緊張してますよね~。今日は気楽な会なので、みなさんがリラックスできるように、簡単なアイスブレイクから始めますね~」
みたいなノリだったら別に違和感ないし、参加者も納得だと思います。
でも、何の前振りもなく「では、まずはアイスブレイクからやりますね~」みたいなのって、もう、儀式としか思えないですよね。
「ワークショップの目的とか参加者の属性とかを考慮した上で、このファシリテーションが最適と思ったんですか?」…と、思わず聞きたくなってしまいます。

ぶっちゃけ、儀式的なワークショップは、すごく多いと思います。
チェックイン(アイスブレイク)⇒本編⇒チェックアウト(ふりかえり、ハーヴェストなど)
…と、一連の流れでやるのがお約束みたいな。

でも、それって、本当に必要なんですかね?
というか、チェックインとかチェックアウトの意味、ちゃんと考えてやってるの?て思う事はよくあります。
そこにプログラム的な意味を持たせるなら、何分用意するか、何人でグループを分けるか、どんな対話をしてもらうか、どんな気持ちや感情を呼び起こすか、すべてに設計が必要ですよね。

僕がWSDで子供(小学生)向けの実習を終えた後の飲み会で、ある人から「なんで、どのチームもふりかえりをやるんだろう?」という疑問を投げかけられました。
「子供は親と一緒に来てるんだから、ふりかえりで存分にアウトプットをさせてしまうより、アウトプットしたい気持ちが高まってる状態で親と一緒に帰らせる方が、家族の会話が弾むんじゃないの?」…と。

ふりかえりに重要な意味があるというのは、それ以前の実習などから感じていた事ですが、やらない事にも意味がある…その発想は僕にはありませんでした。
このチェックインは何のためにやるのか?このチェックアウトは?
そういうところから考えていかないと、儀式的なワークショップからは抜け出せない気がします。

僕は、ワークショップには大きな可能性があると思っています。
今までの社会では、誰かが正解を持っていて、それを手に入れると幸せや成功につながる…どこか、そんな幻想の元に成り立っていました。
でも今は多様な価値観が交錯する、正解のない時代です。
「正解よりも、ひとりひとりが納得解を求める」というワークショップの存在意義は、今後ますます高まっていくと思います。

しかし一方で、本当にリーチしたい人には、なかなか届かないというジレンマも感じています。
たとえば僕がやっている強み発掘のワークショップは
「自分には特別な能力なんて何もない…」
「自分にはたいした価値がない…」
と思っている人にこそ参加して欲しいプログラムなのですが、そういう人たちはそもそも「ワークショップ」などという未知の領域には、足を踏み込んできません。
こういうワークに参加してくれるのは、そこそこアンテナ感度が高く、すでに色々なプログラムを体験しているような人たちだったりします。

今では、すっかり市民権を得た感のある「ワークショップ」ですが、それもごく一部の、限られた人たちだけの話なんですよね。
多くの人にとって「ワークショップ」は、相変わらず、得体の知れない何か…なのだと思っています。

以前、23期生の修了生が集まって、教育イベントの運営をやった事があります。
その時、ある学校の中高生たちに当日スタッフをやってもらう関係で、事前レクチャーのワークショップを行いました。
その後、イベント主催者からのあいさつで
「今日のワークショップはどうでしたか?」
と投げかけたところ、学生たちはみんなポカーンとしていたんですね。
つまり、彼らは自分たちがやっていた事が「ワークショップ」とは認識していなかったのです。

この時、僕の中に浮かんだのは「ゲリラ…!?」て言葉です。
23期のeラーニングで、一番みんなが盛り上がったのが、佐伯先生の「WSDはゲリラであれ!」みたいな講義です。

…そんなんじゃなかったけ?
もう4年も前だし、なんかゲリラという言葉のインパクトが強すぎて、勝手に妄想が膨らんでいるかも…?ですがw
でも、ワークショップ的な活動を展開するのに、自ら「ワークショップ」なんて名乗る必要はないですよね。

で、冒頭のアイスブレイクの話に戻ると、わざわざアイスブレイクなんて言葉を使わずに、自然な流れで、気が付いたら緊張がほぐれ、これからやるワークの準備ができている…そういうファシリテーションが理想なんじゃない?というのが、僕の率直な気持ちです。

僕はWSDの有志で「ワークショップ的なアナログゲームをつくる会」というコミュニティを立ち上げていますが、これも「ゲーム」というツールを使う事で、自然な形でワークショップ的な体験ができないか?という一つの実験です。

もちろん、他にも方法はいくつもあると思っています。
僕のWSD仲間の中には、仕事の会議や子供との遊びの中に、ワークショップ的な手法を持ち込んでいる人たちもいます。

僕の昔の彼女(20歳年下の中国人)は、お互いの価値観のズレが生じた時
「あなたは私の何が許せないの?全部リストにして、10段階で教えて」
と言って、夜中のファミレスでディスカッションを始めました。
結構、この体験を通して、国民性の違いみたいなものもハッキリ分かったし、今となっては良い思い出ですね。
まあ…その甲斐もなく、半年ちょっとで別れましたけど…。

まあ、僕が言いたかった事を一言で言うと、
イベントとしてワークショップを行うよりも、日常の中にワークショップ的な何かを取り入れていく方が、自然な形で広げていけるし、本当にリーチしたい人に届けられるんじゃないのかな!?
…という事です。

…全然、一言じゃなかった。

さて、今の時間は00:25…ヤバイ、8日が終わってる!
ミーティング中に内職するつもりだったのに、議論に白熱してしまった…。
ちょっと遅れたけど、許してね!

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