白杖使用者の冒険ーありがたい出逢いー

先日、久しぶりに地下鉄を乗り換え、外出。
とはいえ、最寄り駅から1駅で同じ構内の電車に乗り換え、その後2駅。
月1回程度、もう半年以上通っているため、全く同じように動けば、慣れてはいる。

たまに声を掛けて下さったり、行きがけにさっと補助して下さる方がおられるのだが、先日は、何とも特筆したいことが。

この帰り、行き先の駅で地下に潜ろうとしていた時(ここは別段複雑な駅ではなく、余程方向を間違えなければエレベーターを1回乗り継ぐ他は誘導ブロックに沿って一本道でホームまで行けるのだが)、ほんの少し年配と言われるに差し掛かったくらいだろうか、女性が声を掛けて下さったので、お言葉に甘えてホームまで一緒に行って頂いた。

気さくな方だったが、手引きは全く経験がなかった中、声を掛けて下さったらしい。「どうすればいいのかしら?初めてでわからなくて…」と聞いて下さり、ひとまず腕をお借りして歩き出すと、何と、「こんなガイドする機会なかったから…経験させて下さって、ありがとう」と言って下さった。何とも心温まりながら、安心してこちらも礼を伝え、なんとも最近対人恐怖が増していた時でもあったもので、気の利いたことが言えなかったものの、だからこそ本当に互いに安心できる出会いとなった。

しかも、敢えて「こういう経験をさせてくれてありがとう」など、思う方はおられるかもしれないが、例え思ってもなかなか口に出さない。
しかし、この類の言葉は、恐らく当事者には心底救いとなる言葉だろうと思う。
私は、差し伸べられた言葉と手を悉くうまく受け取ることができず、遠慮してひたすら丁重に”手数をかける、しかも私は受けるべきではない(と思い込んでいた)”ことを断ってしまっていた時期があったから。

しかしこの女性、そんな会話で歩き始めたすぐ次には、「この先エレベーター…あ、でもまた独りで歩く時があるのよね?ご自分でやってみた方がいいかしら?ボタン、押します?」と聞いてくれ、独りで歩いた場合を想定しながらその後も「(エレベーターの中のボタンを押した時)あ、そうね、今、ホーム行きのボタン押せてますよ。これ、左側のボタンがホームなのね。わかりづらいわねぇ」「あ、今次のエレベーターの前にいますよ。じゃ、ボタン押してみましょうか」と、次に一人で歩いても安心なように、見守り・確認・寄り添いで一緒に動いて下さった。

その方も御眼の患いがあるらしく、「もしかしたら私も見えなくなってしまうかもしれないし、見えている内は助け合いたいと思って」とも言っておられたので、ご自身が同じ立場になった場合…という想定はあったのかもしれないが、しかしながら、手引きの経験なく、この気遣い(しかも特に的確だったことに驚き、ありがたかった)は、まず難しい。

あとは殆どまっすぐの駅の廊下を歩いている時は、誘導ブロックに沿わせている白杖を見ながら「なるほど、そうやって伝ってわかるのねぇ…」と言いながらもしっかりとつかまらせて歩いてくれ(独りだとどうせ気を張るが、この時まで独り想定をせずとも、一緒にいる時は気を張らずに済むように…という意図があったのかはわからないが、結果的にしっかり支えて下さっていた)、この方は反対方面に乗車される予定だったのだが、先にこちら側の電車が来たので(ホーム扉付きの線)、それでも必要以上に支えてくれることなく、しかし「乗るまでみてますね」と声を掛けて下さり、極めつけに乗った後、大抵もう声をかけてくれずそこにおられるのか判断できずに挨拶できないことが多いのだが、扉が閉まる時に「お気をつけてね」と小さな声を張り上げて下さり、大変心地良く挨拶をし別れることもできた。

本当にありがたい出逢い、と同時に、深い学びの啓示を頂いた、非常に貴重な出来事となった。

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