課題曲・練習曲の暗譜―必要性があって拓くヒトの可能性

ただの日記。

私は、週に1回ほどの割合で実家へ行き、音楽家である母と演奏の時間を持つことにしている。
ただ、月末などが重なると、週に2回ほど行くことも。

年に1,2回、演奏会をしてきたため、別に次にこの時といった演奏会予定がなくとも、新しい曲に挑戦する習性がある。しかも、なぜだか専門である歌以外も、やたらと難曲となっていく。

今回、フルートは成り行きでとんでもない大曲に挑戦することとなってしまったため、これ以上は増やさない(恐らく)…のだが。
歌や打楽器はどうも増えて行く。

母も母で、私に持ち得るものは生きているうちに引き継いで…という気持ちも持って下さっているようだ。親子関係というものは、生涯の師弟関係だ。
しかしそれと同時に、母は自分のボケ防止というつもりで、演奏して遊びたい、遊んでくれている気でいるらしい。
世界もジャンルも楽器も股にかけてきたプロの音楽家相手だ、「遊び相手」の私は当然真剣そのものとなるわけなのだが。(笑)

私も私で、せめて遊び相手になるくらいに歯牙にかかるようになろうと、食いつく習性が育っている。

そんなところで、この前、週の中盤と週末に実家へ赴いた時があった。

週の中盤で、最近、母は友人を招んで歌謡曲の伴奏などして遊ぶ趣味が増えており、歌謡曲をぱらぱらとめくっていた。私は声質としても性格としても人生経験(…?)としても、歌謡曲はどうにも合わないものが多いのだが、ひとつ、覿面に合うと認定されたものと遭遇する。そもそも歌謡曲らしくない上、これがまたミュージカルナンバー並みの大曲。

歌詞だけで言っても総量としては5番くらいまであるものを、とりあえず持ち帰った。

週末にまた行ったとき、他の曲をすべて合わせ、
「この前の…コピーしてないけど、できる?」と言われ、歌った。ちなみに、間奏に入れたら面白いと思ったフルート付きで。
初めてこの曲を聞いてから、3日目だったろうか。

やはりとても合うという評価とともに、
「上げてきましたか…!」

母としては、さすがこの短期間で仕上げて持ってきたかと唸ってくださったのだが、それと同時に、この母、私が演奏するにはやはり覚えることがまず当たり前に最初に来るのだと、体感でわかってくださるようになったのだと感じた。
通常であれば、やはり別にそんな早期に無理やり覚えてやる必要はない、歌詞を見ればいいじゃないか、という頭が先に働くから。
だから、もし評価したとしても「すごいな良く覚えたな」というような方向の感想が出て来たりする。
そもそも、中途半端に覚えて練習して行くことには、善し悪しがある。

暗譜したことに関しては何一つ言わず、ただ「上げてきたか」という唸り方をしてくださったこと、深い部分で安心と嬉しさがあった。

私は、「一生懸命に」見ようとすれば、逆に演奏できない。
日常で視機能を使うこと自体、かなりの苦痛と混乱があるのだから。

母は理論的なところやメカニズムは一切わからない。聞く前にシャッターが下りて放棄状態になってしまう。
が、視覚障害の音楽家のイメージなどが恐らく身体にあるのだろう…そりゃ覚えるんだろうな、という感覚が、頭より先に身体で理解してくれたらしい。

まあ、フルートの10分ほどの大曲を数日で暗譜したという前科(苦笑)もあったからかもしれないが…。

しかし、私(私たち)は、決して、暗譜は、しかも歌詞の暗譜は…得意ではなかった。それこそ本番に来ても、見たら見たでどこだか特定するのに時間がかかるので歌えなくはなっていたが”楽譜をはずす”こと自体が恐怖の塊だったタチだったのだ。

もともと暗譜が好きで得意であったのならまだしも、実をいえば我ながら毎度毎度、自分で思うのだから。「こんなもの良く覚えたな…」と。その上、今回の曲にしてもこの中2日間は仕事があったので、聞ける時間や暗誦する時間はごくごく僅か限られたものだった。他、「覚えたところまで」は私はいつも調理をしながら、食器を洗いながら、湯を浴びながら、どんなシチュエーションで何をやりながら気を取られながらでも歌詞が出てくるよう、暗誦練習をする癖もついてはいるのだが。


…ただの可能性を閉ざす自分で自分の能力を信じなかっただけのディスカウントだったのだと…そして必要性があれば人とはやる(できる)ようになる、しかもここまで突然に真逆にでも変わるものなのだと、そしてヒトの可能性というのは本当にフタさえ開けば底抜けなのだと、自身の身をもって証明している。

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