潜在意識へのかつてない潜水ー潜在意識領域への冒険

先日の記事でも記録してみたが、月曜と火曜はセラピストとして催眠ベースの(しかも深い)セッションを行い、水曜と木曜は催眠療法の養成講座を立ち上げるための上級講座の受講で、セラピストとしても受講生としても深い催眠をひたすら行き来する一週間となっている。

しかも、昨夜、受講後に受講仲間と翌日の練習約束について話しており、「今日は(催眠の中でも特に深く入れる実習ばかりだったから)ぐっすり眠れるだろう」「明日も約束は午後だし、ゆっくりして下さい」というような話を何気なくしていた。

そうしたら……それが「朝ゆっくり眠って良い」許容の埋め込み暗示として潜在意識にも見事にズドンと入ってきたのか…

7時半まで起きることができなかった。

ちなみに、しっかりといつも通り5時頃にはだんだんと目覚めようとはしていたし、はっきりと目覚めたのは6時半頃(これも私にしては非常に遅い)なのだが、7時半頃まではまるで身体を動かすことができない、まさに深い催眠状態にいた。

そして、恐らく目覚め自体はいつも通り5時頃に訪れながらもーちなみにそれまでは本当に記憶もないほどぐっすりと眠っていたのでー、その後、なんと不思議なことに、夢ではない領域(私は催眠療法士であるので、催眠の中で見ているものと夢の区別はわかる。また、明らかに別の世界であると自覚をしており、不思議なことに外側の世界を認識している顕在意識も働いていた)において、とてつもなく深く(つまりわけのわからない)メタファーの複雑な世界をさまよった。

文字通り、その世界を旅していた。

ユングがひとりでやっていた潜在意識の探検とは、こういうことだろうか。ある種、本当に引きずり込まれて戻って来られない可能性があると感じた(起きてから)。

ユングのいうところの集合無意識のシンボル的なものも大量に出てきたし(私の顕在意識が教科書で学んだ具体的なシンボルを覚えていないのが残念だ)、本当にごく一面的な内容を言うと、「あらゆる宗教の神様がひと(私やそれを言っている人たち自身)に危機をもたらそうとしている(しかも自然災害などという意味ではなく、ひとりひとり直接的に肉体的に)」というようなことを友人たちが言っており、「いや、何を言っている、そんなわけはない、神とはそんな偶像のような話ではなく、更に外側から我々を見ているようなものなのだから、人間にそもそも理解など及ばない、概念すら超えた全てなのだから」と言って、私はなぜか一人で旅に出て、独りで見知らぬ様々な外国へ飛び(労力だった…)、そこで本当にあらゆる危機をこの身に感じながら、本当に美しい景色に感動ばかりしながら、様々な間(部屋)を彷徨い歩き、物凄く大きな威圧感のある仏像(踏みつぶされたらひとたまりもないどころの大きさではない)やらのある間などにも到達する。

信仰心で揺ぎ無く安心しているのだが、何かあまり知らないような気がするので同時にとてつもなく恐ろしい。友人たちが「いろいろなところの神々が直接肉体的に私を襲おうとしている」というようなことを口々に言っている気持ちも、わかるような気にもなってくる。

最後に(いや、最後かどうかはわからないが)、超巨大な教会のような場所に辿り着いた。ちなみにこれらは全て場所だけでなく時代もなぜかさかのぼっていたらしい。しかも、なぜか誰もおらず、時代が遡ったというよりそのもの自体が埃を被って忘れ去られたようなところへ飛んでいる。

キリスト教にはかなり縁があり知っている自覚があるためか、何やら安心感。しかし同時にやはり潰されそう。誰もいない礼拝堂を探検して扉をあけると、足場の悪い階段の途中にひとつの小部屋が。礼拝堂にも響くようになっており、この部屋はなんだ?しかし、安心して良いのだというような気になり、なぜだかわからないが、突然、この器が近く演奏することになっているバッハの受難曲のアリアを歌い出す…

読んでいる方には恐らく支離滅裂に見えるかもしれない。

が、私は今書いていて、全てにあまりに意味が凝縮されており、私の今一番深いところで向き合おうとしている全ての問題たち、同時に大きな問題小さな問題、こんなものは問題ですらないと感じるようなことにまで対して、何重にも何重にも深く複雑な気付きのメタファーとなっている。

あまりに深すぎて広すぎて、現実にいる人間も実はたくさん登場しており、更には非常に細かい会話やら、あまりに不思議過ぎる、些細な些細なトラブルなどもある。レシートだとか荷物を預ける機械だとか携帯電話だとか、そんなものまでもたくさんたくさん登場するのだ。

文字化言語化していたら、いつまで経っても表現しきることなどできない。

そこから完全に顕在意識で外側の世界に戻ったのが6時半頃。それからまだ解催眠しきれていなかったか、暗示に従っていたか、身体が動かず一時間。

その後は完全に解放され魔法が解けたかのように。


かつて経験したことのないほどの深い大変な催眠療法を、この身体(潜在意識)が私に提供してくれたわけだった。

そして、今(午前9時ごろになって)も、何やらインスピレーションにも歯止めがかからない。

それでいて、今朝の超巨大セッションの後を潜在意識が労ってくれているかのように、いつものようにつけっぱなしにしているラジオからも、落ち着かせて集中にぐんと持って行ってくれるようなバッハの対位法の楽曲が多い。

昨日などはヒンデミットなどまあ激しい現代音楽で、さっさとラジオを切って受講時間に向けて切り替えることができたのだが。

本当に、本気で我々は自分を筒に、人生で体験すべきとばかりしがみついてきた問題を今こそ完全に脱しようとしている…

そして、どうやら、本気でセラピスト養成の何らかをどんどん立ち上げる気になっているようだ

だからこそ、今、ここまで体験した。

ユングが意識的自発的にやっていたことには遠く及ばないかもしれない。

が、今の私の顕在意識にとっては、これ以上は本当に危険でしかないということも実感した。

普段、もう私は随分社会に適応するようになっている…その今の私の顕在意識ではとてつもなく恐ろしかった。

しかし同時に、交代人格(と、世間では言われてしまう)として、しかし明らかに潜在意識領域から「繋ぐ」ために浮上した私にとっては、紛れもなく、なつかしく、居心地がよく、あまりに美しく、詰まりがなく、紛れもなく私はあそこから来たのだ、と感じるのだ。


さて、月末月初の事務作業。

そして、宿題に取り組もう。

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