日々の選択
私たちは、毎瞬毎瞬、何かを選択しています。
それは意識しているかもしれないし、無意識かもしれません。
今の私は、一人の時間は感情をかき乱されることも、揺さぶられることもなく、望むことに意識を向け、選択できていますが、社会の中で人と関わると、それが常にできていないと感じます。
目の前で起きている出来事に対して、まだ、反応している自分がいるのだ。
愚痴を言いたくなったり、あんなことが起きた、こんなことが起きたと話したくなったり。
目の前で起きている現実は、自分の使っている周波数で映し出した映像に過ぎないイリュージョンであるのに。
ふと、3年ほど前に友人が開催してくれた自主上映会にて、映画「リーディング」を観たことを思い出しました。
この映画は、20世紀アメリカで「奇跡の人」とも称せられたエドガー・ケイシーと、ケイシーが行った「リーディング」について、回想ドラマを交えて描いたドキュメンタリーです。
彼はアカシックレコードに繋がり、たくさんの情報を私たちにもたらしてくれました。
この時、この映画から私が受け取ったメッセージを、今の私に送りたい。
カルマは、魂に蓄積された記憶である。
過去生も含めて、過去に体験したストーリーの中で
自分が感じた感情や思いが魂の記憶として残っているのであって、
今、目の前で起きているストーリーとは関係ない。
「私」は記憶から反応してしまっているだけである。
また、同じ体験をした相手も、同じカルマを持つとは限らない。
私たちの本質は魂であり、
魂はエネルギーフィールドにカルマを蓄積している。
振動(エネルギー)として、蓄積されているのだ。
自分は、起こった出来事をどのように捉えているのか?
思考パターンを整理して、
反応・衝動から行動するのではなく、どうしたいのか?
自問し、行動パターンを変える。
反応するのではなく、自ら選択する。
行動パターンを変えることで、新たな振動を発振する。
その振動が神とともに在るならば、
地球にも、宇宙にも、良い影響を与えていけるだろう。
私たちも宇宙の一部なのだから。
神から祝福される振動を選び、
いつでも、宇宙の恩寵の中に在ることを忘れない「私」でいたいと思う。
いついかなる時も、自分の本当の望みを選択できるとき、
私たちは「空(くう)」でいられる。
完全に自由であり、自分軸で生きられる。
感情が揺さぶられたときは、一呼吸おいて、このメッセージを思い出そう。
気持ちを新たに、今ここから、どんな自分も許し、反応するのではなく、本当の望みを選択し、個の私を楽しみたいと思う。
あなたは、自ら望む人生を選択できていますか?
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