つらつら

梅雨の足音がする。

もっぱら青春を追体験している。目に映るその瞬間はあの頃の自分が経験しなかった何かで、時々とても眩しい。

16歳の自分にこの眩しさは無かった。光を避けていた。太陽が苦手。日焼けしたくなかった。体育祭に出たくなかった。なんとか光を避けられないものかと思案して放送部に入った。教室で感じる同級生の放つ光は放送室で過ごすことで避けられた。体育祭ではずっと放送席で競技の招集や実況をした。原稿を読む技術だけは上達し、気づけば体育祭で毎年玉入れの玉の数をコールしていた。自分の掛け声とともに高く投げられる玉、沸き上がる歓声。3年間玉の数を数え続けたことは18歳の自分の小さな光となった。

今、誰かの放つ眩しさの中にいる。小さな光をそっと抱いていた高校生が誰かの光に寄り添う大人になるなんて思ってもいなかった。自分が放てなかった大きな光を願い、ときどき放たれる閃光にそっと拍手を送る。大人になるとはこういうことだ、自分が選んだ大人は。

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とてもとてもありがたいことに、ロングコートダディの過去の単独ライブが再配信された。早速「たゆたうアンノウン」と「ふくらまくら」を見た。

「たゆたうアンノウン」

2020年の作品。当時コロナ禍真っ只中。初見の感想は「原石」。この先のロングコートダディが辿る未来を思うと、この時すでに単独ライブの代名詞とも言える表題コントの世界観がある程度完成されていると思った。だから原石。

冒頭いきなり葬式の場面。テーマは「蜜」。あの時期だったからこそのコント。どこか風刺的でちょっと皮肉めいてもいるけれど、世知辛い世情の中で確かに生きた“蜜が好きな旦那さん”の存在を笑う。あの当時の人間の機微のようなものも的確に捉えられていて、途中で奥さんが実は「蜜」がダメで急に気分が悪くなってしまうところが絶妙。あの頃「蜜」が心理的に無理だった人はいっぱいいたし自分もその1人だった。人のイラストがびっしりで圧巻の蜜状態セットの上に座る兎さんも良い。しかし今思うとソーシャルディスタンスってなんだったんだろう。

表題コント「たゆたうアンノウン」、とても良かった。人の考えていることなんか分からない、だから自分の良いように、楽しいように想像すれば良い。そんな生き方を体現して暮らす想馬さんという圧倒的に空想的だけどリアリティのある不思議なキャラクター。そんな彼に魅了され、ポジティブな想像力の可能性を考えさせられる。

一方で、自分の気持ちはどちらかというと堂前さん扮する大家さんの息子に肩入れしてしまう。前職での出来事を引きずり、どこか陰鬱な雰囲気を纏って想馬さんと一線を引いていた大家さんの息子。彼の存在は我々と紙一重。そんな彼が粘土に触れて自動販売機を生み出し、想馬さんの世界に徐々に理解を示し、自己開示とともに何かが変わっていく。ラスト、敬語からタメ口に変わった瞬間、この先の彼の人生が変わっていくことが予感できた。

大家さんの息子の背中をそっと押した想馬さんとあの空間に「たゆたう」何かたち。こんな風に表題となる長尺コントで誰かの人生が好転していく様を描いて、言うなれば誰かを救って終わっていくのがいかにもロングコートダディ。そんなところがとても好き。

「ふくらまくら」

2022年の作品。自分がロングコートダディを強く応援し始めて間もない頃の単独ライブ。

これはもう表題コント「ふくらまくら」に尽きる。何度見ても傑作すぎる。作中のあらゆるコントに魔法を掛けていくかの様な煌めく展開、現実と夢の境界を超えて紡がれる物語、冴えない誰かの人生がそっと上向きになる予兆を残して終わっていく優しい目線……多幸感と充足感でいっぱいになる。

誰からも必要とされない報われない現実に絶望しながら夢の世界での人助けに生き甲斐を見出し、あらゆる悪夢を変えていく宇壁さんという人物。そのキャラクターが獏からインスパイアされていると堂前さんのnoteで知って見るとまた奥深さを感じる。

そんな宇壁さんに興味を示し、一緒に夢に入り込む今野さんの存在も大きい。今野さんのフラットな思考によって宇壁さん的には別々の世界だった現実と夢の境界が超えられていく。2人の関係性も同僚から友達に変わっていく。今野さんの考え方はどこか堂前さんっぽくもあり、それがまた魅力的。

最初は会話のラリーもままならなかった宇壁さんがメガネをコンタクトに変え、初めて今野さんを飲みに誘うラスト。人生がそっと上向きになる予兆を示して終わっていく。宇壁さんという人物も、作中のあらゆるコントも、すべてがハッピーエンドに好転していく。鮮やかなまでに。

ここで冒頭の居酒屋のコントを思い返す。ポテサラを2個頼もうと敬語で同行者に許可を得ようとしているのも、身分証明書を持っていなかったのも、あれが宇壁さんだったからだと気付くのに十分すぎた。

ハッピーエンドがループする、それはさながらビューティフルドリーマー。いつまでも夢の中にいるような単独だった。現実をもっと夢のように生きたい。

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カベポスターが漫才劇場の夏フェスMCになった。カベポスターが劇場のトップに立つ時代。ラジオで浜田さんが「正直俺らはそんな感じやないやろなと思って過ごしてた」と言うと永見さんは「1年生で教室の隅でポケモンカードをやってたヤツが2年で文化祭のメインやってるみたいな」と喩えて、とても感慨深そうにしていたのが少し嬉しかった。

MCになったから確定というわけではないけれど、見取り図→ロコ社→kfビスブラ滝音という近年の傾向を見る限りでは、なんとなくふんわりと、カベポも近々東京に来てしまうのだろうと思った。このまま大阪にいて欲しいとは言わないけれど、東京に来て欲しいともそんなに思わない。

ラジオで喧嘩の一件もあったのでついでに言うと仲良しであって欲しいとも思わない。お笑いコンビは不思議な関係性だと思う。相方という言葉は一緒に仕事をする者同士以上の何かを感じさせる力をもっている。そこにドラマ性を見出して解釈し、ともすれば仲良しであることを偏重するのがお笑い芸人のファンダムの傾向。ただ自分としては、ことさらコンビ仲に重きを置いた過剰な消費とは距離を取っていたい気持ちがある。ネタが面白かったり発言が良いなと思ったりして応援している人がある種のロマン込みでアイドル的に消費されていく様を見るのはすり減っていく何かが見える気がして結構しんどい。自分の感覚とSNSに溢れる言説との乖離が著しいという面でもしんどい。

お笑いコンビに多くを求めない。生業としてお笑いを続けていてくれさえすればいい。2人が同じ方向性で同じような物事をおもしろいと思い、かつ互いの存在を変え難いものと思えるようになると活動は続きやすいだろうし、その先に芸人人生で見たことのない景色が見えたりするとなお良い。

カベポについてはあわよくばまたラジオで喧嘩して、やってしまったと反省して、お互いに気まずさを抱えて翌日のお昼のラジオを迎えて、2人きりで話をするような蒼さをもっていて欲しい気もする。なんとなく今の感じのままでいて欲しいというか。

ただただ、末長くおもしろくあってくれればいい。そうあってくれと願うばかり。

2976文字。

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