2023

今年もあとわずか。簡単に振り返ろう。

【また劇場に行くようになった】
自分にとっての大きな出来事。コロナ禍と体調の都合で劇場に足を運ぶのは避けていたところ、2021年のM-1(肉うどん)きっかけで「ロングコートダディを見てみたい」と思うようになり、また劇場に行くことを目標に少しずつ整えていった。願いを叶えるのには結構時間がかかった。そのまま2022年は終わった。

ようやくチャンスが来たのは2023年3月。年度の変わり目で異動を控え、すべての仕事に区切りがつき、ゆとりができたタイミングだった。

3月26日。3年半ぶりにお笑いライブに行った。神保町よしもと漫才劇場。雨の中どきどきしながら劇場に行き、6番目に出てくることを知って案外早いことにどきどきが加速したことをよく覚えている。

ついに、この目でロングコートダディを見た。

配信では聴けない本物の出囃子が流れてきて、パッと明転した瞬間、舞台に兎さんがいた。フリマで同級生と再会するコントだった。目の前で2人がじゃれ合う様子が楽しくて心踊った。大阪所属のロングコートダディをぎりぎり見ることができた。

その後、ほどなくしてロングコートダディは漫才劇場を卒業。奇しくも同じ日に自分も職場を卒業した。

【はじめての人事異動】
これも自分にとって大きな出来事。転職7年目にして初の人事異動。新しい環境にはこれまでになかった「初めて」がいっぱい。

ただ、分からないなりに日々かけがえのない経験をしている実感だけはある。学生時代に植え付けられたコンプレックスのようなものがどんどんと覆っていき「自分はここに立っていて良いのだ」と思える自己肯定感のようなものがすくすくと育った実感がある。

反面、相対的な仕事量は増えに増えた。連日12-13時間労働が当たり前。限界社会人ぶりに拍車がかかる結果に。来年の目標は「倒れないこと」「整えようメンタル」といったところ。

そんな激しい仕事と体調が整ったタイミングを見計らって、何度かお笑いライブに行けた1年となったのは本当に良かった。約3年間「劇場でお笑いを見る」ことが難しかった限界社会人にとっては、劇場に行けるようになった=そんな心身のゆとりが生まれたことがひとまずよろこばしい。

【「この目で見たい」の原動力】
それは間違いなくロングコートダディの存在。東京にやってきて劇場に所属しない道を選んだロングコートダディの各所での活躍は、同じように新しい環境に適応しようと必死にもがく自分の励みになってきた。何より面白く、そして見る度に楽しげな雰囲気に何度となく心が和んだ。飄々としながらも着実に笑いを取っていく様もカッコいい。

以下、ロングコートダディをこの目で見た日の自分のツイートを要約したメモ。

6月2日。ティアラこうとう。ロングコートダディの漫才をはじめて劇場で見た。先輩とカラオケのネタ。やきいもスーツ。営業ネタでやっているツカミをはじめて見ることができて嬉しかった。

8月6日。ルミネ。ロッカーのコント。途中でなぜかスライディングして、堂前さんに「足痛めた?」と心配されるチャーミングな兎さん。よく「表情管理が良い」と言われる兎さんだけど、ロッカーから顔を出す度にそれを痛感した。

8月26日。有楽町シアター。「トークテーマを仲良し芸人達が考えたライブ〜ロングコートダディ編」トークライブを滅多にしない2人の貴重なトーク。和気藹々と話すあの雰囲気。堂前さんに話したくて仕方なくて近寄って行く兎さんを「殺人ピエロかと思った」と言って逃げて笑う光景、堂前さんの新しい腕時計を覗き込む兎さん…今でも脳裏に焼き付いている。これがロコディ最後の有楽町シアター。

12月3日。ルミネ。「RGが90分あるあるを歌い続けロングコートダディ堂前が電話で兎に文句言い続ける会」はじめてロングコートダディが出る企画ライブを見た。コント「あくまで提案」×RGさんのあるあるライブ。RGさん的にロングコートダディあるあるは「ゲーム配信でモメがち」らしいけど堂前さん的には「大事なところで体調崩しがち」だそう。来年はどうかすこやかに過ごせることを願うばかり。

12月26日。よみうりホール。「決断〜2023年悔いのないネタをやって2024年東京に残留するか大阪に戻るか決着をつけるライブ〜」一緒に上京したニッポンの社長、マユリカ、紅しょうがに加えて男性ブランコとともに一列で手を繋ぎ「東京残留」宣言。M-1準決勝(で悔いのある結果になったであろう)ネタがここで昇華されたように感じた。

配信でもたくさんライブを見た。来年はぜひ単独ライブを生で見たいなあ(今年は抽選全落ち勢)。

【和牛解散発表】
年末に駆け込んできた大きな出来事。

和牛に出会って10年経つ。キングオブコント2013準決勝の会場で見た「老人」のコントで呼吸困難になるかと思うくらい笑って、終演後すぐに「あのコンビは…?」と調べて知ったのが和牛だった。

それからというものの、和牛を追いかける日々が始まる。THE MANZAI 2014。2015年からのM-1グランプリ。おもしろ牧場。結成10周年記念NGKライブ。毎年の単独ライブ。アキナ牛シュタイン。バツウケテイナー。劇場もテレビもラジオも可能な限り追いかけた。夢中になって追いかけた。いつ見てもネタに毎回違うおもしろさがあり、その作品は磨かれ続けていた。舞台に立つ2人はいつ見てもカッコよかった。漫才師・和牛の「生き様」ごと好きだった。2人のお陰で見えた光景、感じられた思い、見えた希望があった。

パーソナルな思い出は枚挙にいとまがない。幕張の劇場から帰るとき、バスに乗った自分の通路挟んで隣に川西さんが乗ってこられてしまい変にどきどきしたこと。まだ、たまにしか東京に来ていなかった2人が神保町でお芝居に出るので小さいながらお花を贈ったら「お花ありがとう。また劇場に来てください」と2人それぞれからお礼のメッセージが届いたこと。おもしろ牧場に毎週メールを送っていたら「もう3人目のレギュラー」と言っていただいたこと。M-1の敗者復活戦を現地で観戦し、そのまま復活した瞬間。

その先はもう「たくさんの人が知っている和牛」になって、「仔牛ちゃん」を自称する人々が爆誕して、2人は自分たちのあずかり知らぬところへ売れて行ったなあという感慨深さ込みで見るようになった。

結局、自分が和牛の漫才を生で見たのは2019年のM-1予選(3回戦)が最後だった。配信では何度も見たけど、何度も(そしてそこから不穏な空気も感じ取っていたけれど)。せめてもう一度、この目で見ておきたかった。最後を知った状態でもいいから目に焼き付けたかった。反面、2人が一度決めた未来は変わらないこともなんとなく分かっている。

「すごく夢中で好き」だったあの頃を思うと「普通に好き」になっていた2023年に解散を発表されてよかったのかもしれない。そう思わないと自分の青春に折り合いがつかない。あの日あのとき確かに見た鮮やかな光が泡となり、過去の自分が信頼できなくなることへの怖さもある。

いま好きな人たちを後悔のないように応援したい。後悔のないように生きたい。いつかの自分のためにも、そんな風に思う。

2957文字。

よいお年を。

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