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母の月に書きたい、私のお母さんのこと

こんにちは、ゆきんこです ◡̈
今年は、なかなか実家に帰れなかったり人との接触を避けていたりで、"母の日"ではなく"母の月"と呼ぶようですね。

わたしはマガジンでリハビリ中の母のことをたくさん書いているので、今日のテーマは普段の、もともとのお母さんの話。

そもそも、こうやって母の日に『お母さんについて書こう』と思えること自体が、私にとってはありがたい。思いのままに、書いちゃいます!

私のお母さんってこんな人

私の母は、25歳で7つ歳上の父と結婚し30歳までに私と弟を産みました。父の職場の託児所で働いていて、職場恋愛からの結婚だったそう。

B型で基本的にはおおらか。
頼まれたことは断れない。
ミーハーでドラマか大好き。
気がついたら靴と鞄が増えている。
ちょっとだけ忘れっぽい。
なんでもやってみたい、好奇心旺盛。

私から見た母はこんな感じ。

私と弟が小さい時は専業主婦で、小学校くらいになるとパートで仕事を再開。
基本的にお母さんが家に居てくれたのでお父さんが単身赴任の時期もありましたが寂しくありませんでした。

とにかく色んなことに興味があるタイプでフラダンスを習ってみたり、ポップを書く仕事をしてみたり、お花のアレンジの教室にいったり...時間の使い方が上手な人です。

料理と裁縫も得意で、小学校の時はお母さんが作ってくれた、水色のチュニックとチロリアンテイストのスカートがお気に入りでした。

とっても童顔で背も低いため、大学生の時に中学生と間違えられたこともあるお母さん。本人は不服そうでしたが、私にとっては自慢の母。

友達から『ゆきんこのママかわいいよね、若いよね』とよく言ってもらえて嬉しかったのを覚えています。

こんなところが好き

①小さいけれどパワフルなところ

50になっても、ジムに通いヨガの体験に行き、旅行にいったら誰よりも早歩き。
遊園地に行ったら、必ず絶叫マシンに乗るし、家でもなかなか座らない働き者。

疲れを見せずにいつも元気な母。近くにいるだけで元気をくれるその存在が、大好き。

②料理上手で家族の健康を守ってくれるところ

食べる物にはすごく気を使っていて、食品添加物をなるべく摂らないように、ドレッシングやおやつも手作りしてくれていた母。
クッキーや、サツマイモチップスを一緒に作ったこと、今でもよく覚えています。コーラやポテトチップスの類もほぼ食べさせずに育ててくれたおかげか、大きな病気もせず中高ほぼ皆勤で卒業できました。

家族の健康を1番に考えている、母の手料理が大好きです。

③愛情深いところ

転勤族で、引越しが多かった幼少期。3つ目に入った小学校で転校生いじめにあいました。当時小4なので大した内容ではなかったけれど、それなりに辛かった。
大事に育てて貰ってるのに、いじめられてる自分が申し訳なくて、なかなか言い出せずにいたのですが、堪えきれず泣いてしまったある日。

「お母さんが居るから大丈夫だよ」
何も聞かずに言ってくれました。 
いじめられても泣いても、お母さんは私を嫌いにならないとわかって、気持ちが楽になりました。

大人になってから、お母さんにその事を言ったら全然覚えていなくて。
「え、そんな事あった?」と言っていました(笑)
お母さんからしたら子どもの味方でいるのは、それくらい普通のことだったのだと感じられて、それもまた嬉しかったな。

社会人2年目、教え子が事故に合ってしまい、精神的にかなり落ちこんでいた時。
「辛かったらいつでも戻ってきていいんだよ。」
そう言ってくれたから頑張れました。

なにがあっても最後まで見方でいてくれるって無条件に信じられる。
その安心感と、帰れる場所が変わらずあることは、私の精神をすごく強くしてくれている。

長い期間ずーっと愛を与えつづけてくれる、優しいお母さんが大好き。

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母娘2人で、京都に行ったりディズニー行ったり、大人になってからは友達に近い感覚もあるけど、まだまだお母さんに教わりたいこと沢山あるよ。

一緒に行きたいところも、してあげたいことも。

今でも気持ちが落ち込んでる時、お母さんの声が
無性に気きたくなる瞬間がある私は
いつまでたっても、親離れできる気がしないよ。

近くに居られない今、思いの丈を連ね始めたらキリがないけど。
次会うときは笑って一緒にお祝いしたいな。

結婚して一年、
私もいつかはお母さんみたいな
"お母さん"になりたい。

大好きなお母さん、
いつもありがとう💐

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