見出し画像

『イタリア的考え方』を読む−第1章「幻想のイタリア」

今回からファビオ・ランベッリの『イタリア的考え方』を読んでいく。前回までの同著者の『イタリア的』に続いてイタリアについての理解を深めていく。

■概要
イタリアの表面的なことを理解している日本人は増えたが、その深層構造を考察し、思考を解読するためには異文化の理解を妨げるイメージを越えていくことが必要である。
イタリアに対する日本人のイメージの源泉は
①戦後〜60年代までのイタリア映画 ②日独伊旧枢軸国の神話(中高年)
が挙げられるが、深層構造は第二次世界大戦よりも遡る。

常識は文化の理解のために必要な要素であり、クリフォード・ギーアツによると「1つの重要な文化的システム」で「あいまいに組織化された思考や省察のセット」であり、秩序だった体系を意識的に否定することが特徴であり5つの特性がある。
①自然:現実を一つ一つ意識して解釈しない
②実践的:生活の知恵
③簡略:世界は一般の人に見える通り
④非方法論的:認識は矛盾・スローガン・諺として現れている
⑤平易:常識によって知る現実はシンプルで当たり前で自明
常識は文化的に歴史的に作られており、一定の文化の中で考えられる思考の一形態にほかならない。こういった特性を持つ常識の絶対化による異文化間の誤解を防ぐために、異文化に対する常識の構造を明らかにする必要がある。
常識は虚偽的だからといって誤っているのではなく、その文化内では非常に有効であるが、それによる価値判断を一般化し、無理に違う文化に当てはめると誤解が起きる。

日本のイタリアへのイメージは欧米各国から近代文明を学んでいた明治時代に形成された。
ドイツ:法律、中央集権的国家のイデオロギー
アメリカ:公立教育制度
フランス:軍事
英国:ファッションやライフスタイル
イタリア:「なんとなく」美術、周辺的な役割
このような先入観や偏見レベルで常識が働いている。

しかし1870年代のイタリア王国は明治日本も関わった、国家と宗教の関係とう重大問題の解決にも間接的に貢献した。ローマ教皇庁中心の宗教体制への対策を島地黙雷が研究し、
国家:政治的・軍事的役割
宗教:国家の精神・霊性を象徴し強調
と区別はすれど国家・国民のアイデンティティを作るのに相関関係があると紹介した。
大正時代はルネサンス芸術への崇高なイメージを広めていった人たちのために、イタリアが欧州諸国に貢献した文化・芸術のスタイル・傾向を無視しがちになった。

■わかったこと
私たちの「常識」は、ブローデルを読んでいるときにも思ったことだが、底流に幾重にもなって流れている、あるいは埋もれているものによって形作られている。あまりにも大きく、なおかつ長い年月をかけて熟成されてきたものであるため、自分で自覚することは難しいものである。特に同じような「常識」が通じ合う関係性の中で生きているだけでは、その「常識」が世界の全てになってしまう。
だからこそ、異文化の人たちとの日常的な接触により、世界には多彩な「常識」があり、自分たちとは全く異なる複雑な地層の上に形成されているのだと捉えて、その地層を理解していくことを楽しんでいくことが異文化コミュニケーションの第一歩なのかもしれない。

蛇足
『進撃の巨人』を思い出した。お互いの「壁」(鳥かご)の中で物理的に囚われていただけでなく精神的に囚われていることが招く悲劇。背景を理解し合うことがその解決策というのは変わらない。

よろしければサポートお願いします。日本各地のリサーチ、世界への発信活動に活用して参ります。