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『イタリア的』を読む 第5章イタリア的悲観主義〜終章 イタリアから何が学べるか

いよいよファビオ・ランベッリの『イタリア的』も今回が最後。イタリア的なるものの底流にある複雑な背景を読んできた。
【概要】
<第5章>

■系譜
イタリア人の表面上の陽気さ・呑気さ・明るさは一部に過ぎず、闇もある。「理性の悲観、意志の楽天」(アントニオ・グラムシ)にあるように、明るさとは根源的な不安の表れと言え、「イタリア的悲観主義」は思想や芸術のレベルでイタリア人の世界観/心性を形作っている。

詩人のレオパルディは「パッスィオーネ」には情熱/熱意、つまり陽気さだけでなく苦悩があり「宇宙論的(絶対的)悲観主義」を唱え、自然を超越するものは存在せず、自然は少なくともニュートラルで人間の苦に対しては冷淡で無関心である、だからこそ絶望せずに生きることが自己目的として能動的態度を取り、友情の重視と人への不信を強調した。
作家のヴェルガは資本主義による発展への失望的な見方を示し、新しい「正午/南部の思想」の基になっている。
小説家で現代演劇生みの親でノーベル文学賞を受賞したピランデッロは普通の人の日常生活の根底に渦巻く否定性を描いた。真実と嘘、本気と滑稽、幻想と妄想、夢と現実との区別のない世界に生きる(合理的)絶望があり、この言葉にも現れている。

ユーモアは火にかけられたカタツムリのようで、パチパチと音を立てて笑っているように聞こえるが、じつは死にかけているのだ

ノーベル文学賞作家ルイジ・ピランデッロ『ユーモアについて』

芸術家としては前衛で社会習慣の恣意性や権力主義を強く批判したが政治的には保守的で大衆の勝手な意志に振り回されるより独裁者の秩序に従う方が楽と考えていた。
グラムシはマルクス主義の思想家で「理性の悲観、意志の楽天」という名言に表れているように、理性的に考えれば根本的にイタリア人の世界観や生活様式を変えることは困難だが、人間の精神に重要な影響を与える社会習慣を変えるために知識を中心に自己意識を生み出す教育があらゆる人に必要というヘゲモニー論を唱えた。
パゾリーニは時代に適した知的表現の創造への取り組みと同時に経済発展による消費社会の限界を認識していた。習俗の変化による安定した社会や価値観が変化し、人はモノに夢中になり人間同士もモノ・商品として扱って人間性への尊厳という根本的価値を見失っている現象を「イタリア人の人類的な変化」と定義して嘆き、偏見・枠組み・常識を破る必要性や「異端者」の役割の重要性を強調した。
小説家・評論家・政治家のシャーシャはマフィアと政治の繋がりを権力一般のあり方として捉え、イタリア人の権力や当局に対する不信を表現した。

イタリア悲観主義の根本にはモダンへの拒否感や失望があり、理想として北欧の制度にある合理主義・民主主義・教養・人間尊重・オープン性・当局への信頼が挙げられる。国民を権力の犠牲者として見なし、権力や制度に対する自立した対抗運動の必要性を主張する。

■南型の思想
イタリアの北と南の違いは一般常識になっているが、自己アイデンティティについては曖昧な概念であるが
北:北欧・米中心の近代化と社会像・生活様式に近い
南:不完全な発展と近代化=伝統的・歴史的・取り残された・後退的
というニュアンスの文化システムに当てはめられてきた。カッサーノは南からの立場をポジティブに捉え、ゆっくり動く生活リズム、価値観、美学、そして生活基盤にあるフロンティアに生きることのファッショナブルさ、さらに地中海的陽気さを強調した。彼が選択した「meridiano」という南を指す言葉だが「正午」を意味し、南が孕む人間的ユートピアへの建設的可能性を訴えた。
これらのように苦境の中でうまく切り抜け、生き残るために生み出された「arte di arrangiarsi(うまく切り抜ける芸術)」はイタリア人の心性を表す。

<終章>
日本も世界的な存在感を見せることは可能で、イタリアは地域に根づいた個人や集団が国際社会と直接つながることができ、それが日本が将来歩むべき道かもしれない。ただイタリアは国内では資本主義的世界観を完全に取り入れず地域性や家族関係を守ったのに対し、日本は地域性・個人差を否定して全国的都市化と人生=労働の方向性となり「生活観」「人生観」が欠け、世界に供給できたのは商品だけだった。

イタリアの憲法第1条に「労働に基礎を置く民主的共和国」と定義しているように、労働をカトリックは神の働き(恵み)との出会いの場、社会主義・共産主義は労働者階級の革命的運命を実現させる場、自由主義は世俗的経済活動の場と主張した妥協の試みでもある。
イタリア人にとって仕事はアイデンティティの一部であり、自由時間(家族や友人と一緒に過ごす時間)とうまくバランスを取ることである。仕事は社会ネットワークの利益のための手段でしかない。そのため自由職への憧れがあり、背景には以下の4点がある。
①イタリア企業内にある経営者と労働者との対立
②昔から存在し続ける職人の伝統
③地域における協同組合運動の存在と社会的影響
④家族経営型企業を中心とした資本主義(※家族=個人を中心としたイタリア的社会ネットワーク)→起業はこのネットワークがベースであり、失敗してもソフトランディングが可能
つまり、地域がベースで強い職人志向があり、個性を出せる差異化を目指し、国家への不信・不依存があるため外国に進出する。

絶対真理が存在しないため、考えや意見の表現/表象を重視し、寛容さの中で激しい対立・議論があり、最終的に妥協していくことがイタリア人の人生哲学であり、このプロセスがイタリア経済の活性剤である。
これからの日本の新しい社会モデルには、家族・地域を中心に伝統を意識しながらイノベーションを求める、権威・権力に対する健全な不信を抱き、労働を自由時間を支える手段にして、人間のコミュニケーションと想像力を重視することが必要ではないか。

【わかったこと】
イタリア社会のベースにある要素が日本のこれからにとてもヒントになるというランベッリの主張にとても共感する内容だった。もちろんイタリアのことをそのまま日本で当てはめようというわけではなく、20世紀という時代の中で失いかけている地域文化と社会のあり方をもう一度偏見・思い込みなく根源から見つめ直し、これからの時代に合った形で再構築していくことが必要であると思う。
特にイタリアでの宗教の影響を見るにつけ、日本における明治維新以降の神仏分離の悪影響を感じざるを得ない。民衆の暮らしと自然に根ざしてきた仕組みが明治政府の中央統制の都合に合わせて変えたことで、日本人の心性に合わなくなったことの矛盾が今、心において限界を迎えているようにも思う。経済や社会についても同様で、自分たちがどこへ向かっていくべきかを考えるためには、どこから来たかというこれまでの歩みを日本の自分たちの地域において見つめて自分を確立すること、そして外国を含めた多文化の交流の中から、今後のゆく道を考えて行動し続けることが大事である。
決して外国のことを礼賛するのでもなく、日本人のダメなところをあげつらうのでもない理性的視点と情熱的議論・行動であり、「日本的」なるものを確立することが各自に求められていると思う。


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