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8期目の4月1日

COS KYOTOは2013年4月1日に株式会社として法人登記、つまり「設立」した。順風満帆だったわけではなく、1年目は売上がほとんどなくて毎月月末が恐怖だった。冬頃のある月末には俗にいう「不渡り」を出しかけた。融資枠も使い切っていたので「設立1年目での倒産」を覚悟した。そのときは、今も会社を支えてくださっている方に「北林さんのことを信頼しているから」という言葉をいただき、翌月必ず返す約定を結びお金を借り、なんとか生き延びた。(もちろん翌月しっかり返した)

2期目以降は事業の方向性や組織も大きく変更・縮小し、ほぼ1人になって出直しに近い形で再スタートした。自分しかできないことはなにかを考え、そしてもちろん会社の、というより人生のビジョンである世界を持続可能で豊かな社会にすること、そのために自然の恵みの範囲内で豊かな文化を作ってきた日本の地場産業の価値を現代の世の中において国内外に伝えていくことという軸を持って大きくやり方を変えた。
少しずつ「文化ビジネスコーディネート」の必要性が伝わってきて、たくさんの方々に支えてもらい(ご迷惑もおかけしながら)、7年が経過した。

8期目に入る今年の元旦に僕は次のようにfacebookページに投稿した。
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自然への畏敬と感謝の念から生み出されてきた文化的背景を持つ日本各地の地場産業と生活文化を世界に広げることで、自律・循環・継続する社会をつくることに貢献するため設立しました。

折しも2019年は「サステナビリティ」が世界中でビジネスを展開するための「前提」として語られる年となり、日本の地場産業を取り巻く環境の急激な変化を実感しました。
ますます「地場産業」をグローバルに通用する「文化ビジネス」とし、世界に伝えることが必要であると確信しました。

2020年は、事業の深化・充実に力を入れていくことで、急激な変化を乗り越えていける「文化ビジネス」の構築のため、国内外の様々な方々と協力しながら、より一層精進して参ります。本年もどうぞよろしくお願い致します。
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この約3週間後の1月23日に武漢は閉鎖され、4月1日の今、世界は全く様変わりしてしまった。収束はいずれしていくだろうが、医学関係者でもなく政治家でもない僕にできることはあまり無く、じっとしているしかない。

ニュースで誰かが言っていた。「これは自然災害とも言える」と。もちろん影響の拡大を抑制できる/できないの面では人災による面もあるが、それも含めて地震や台風などの自然災害と同じとも言えるだろう。

自然の前に人間は無力だ。だからこそ畏敬の念を持ち、人間の分をわきまえることで、その自然がもたらしてくれる恵みを少し分けていただき、地球の上で生きさせてもらえる。
ある高名な地球物理学の権威の先生が地震のことについて言っていた。
「1000年に1回、10秒我慢することで自然は豊かな恵みをもたらしてくれる」

もちろんその10秒がもたらす甚大な被害はある。一方で、確かに過去の先人たちはその被害を最小限にする努力をしてきた。その分を超えると超えた文だけ被害が大きくなる。

このことは今後の持続・循環・自律する社会を構築していく上でとても大きな教訓ではないだろうか。人間の活動自体がある意味地球にとってオーバーシュートしている現状、どうその活動を抑制しつつ、豊かな生活を継続してけるのかが大事だと思う。原始的な生活に戻れば良いというものではない。人間の英知を結集しつつ、バランスの取れた豊かな生活の仕組みを構築すること。

14世紀のペストの大流行のあと、ヨーロッパではルネサンス期に突入した。世界が繋がった時代に起きた1918年のスペイン風邪では第1次世界対戦が終わり、国際連盟等「話し合う」仕組みが生まれた。

今回の100年ぶりの大流行から人類は何を学び、次の時代を創っていけるか。それが今取り組まねばならないことだと思う。

COS KYOTOはしょせん京都の片隅にあるちっぽけで、たかだか8年目に突入したばかりの会社だ。だからこそ元旦に宣言したこの内容を今こそ改めて取り組まねばならない。
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2020年は、事業の深化・充実に力を入れていくことで、急激な変化を乗り越えていける「文化ビジネス」の構築のため、国内外の様々な方々と協力しながら、より一層精進して参ります。
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トップの写真は先日お墓参りに行った帰りに立ち寄った故郷・奈良にある又兵衛桜だ。大阪夏の陣のあと、武将の後藤又兵衛が遁世した屋敷に植えた桜と伝わっている。今から400年後にも桜は咲き続けているかもしれない。400年後の子孫たちがその桜を愛でられる社会にできるように、今、全力を尽くしていく。

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