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神の島・久高島で感じた「感覚を開く」意味

11月に約10年ぶりに沖縄に行ってきた。今回は副代表を務めている「テキスタイル産地ネットワーク」の第5回が沖縄で開催されることに伴い訪問した。そのことはまた別の機会に書きたいと思うが、今回はその会が終わったあと訪問した久高島での感動を伝えたい。

きっかけは今年の3月に久高島に訪問された放送作家の谷崎テトラさんだ。テトラさんとはその3月に京都でお会いし、今後の地球社会を考える上での仕組みや人材育成等について話していた。その中で「絶対久高島に行くべき!」と言っていただき、11月の沖縄訪問が決まっていたので、ではそのときに是非!ということで、今回テトラさんと一緒に訪問することとなった。

今回お世話になったのは、久高島を拠点に活動されている椚座 信さん。(以下、「信さん」。)

久高島がどういうところかということについては、改めて僕が書くよりも紹介されているサイトがあるので、こちらを。

神の島

久高島は琉球王が祈りを捧げ続けてきた島であり、まさに神の島。沖縄本島には久高島に祈りを捧げる遥拝所「斎場御嶽(せいふぁーうたき)」があり、世界遺産にもなっている。

今回訪問したのは、まさにこの祈りを捧げられていた神の島。島はサンゴ礁でできており、岩や砂浜に見えのは、すべてサンゴ。

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浜から見ると沖合に波が立っている場所がある。サンゴの環礁が島を取り巻いており、その波が立っている向こう側は「あの世」とされる。

島の中で人が居住しているのは南西部に固まっており、そのエリア以外は神域とされている。

神域には、まさに神を感じる自然が広がっている。どういって良いかわからないが、また写真でどこまで伝わるかわからないが、まさに畏れを全身で感じられた。

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神域に育っているガジュマルの木。枝から根のようなものが地面に向かって伸び、それが地面に到達するとその部分が育っていき、新たな木となっていく。そうすると元の木の部分は枯れていく。木が輪廻転生を繰り返しながら、少しずつ移動していく。沖縄ではガジュマルの木が崇拝の対象とされているが、それが分かった気がした。心が美しい人には、木霊が見えるらしい。(僕には感じられたが残念ながら見えなかったw)

これは島の北東端にあるハピャーン岬へと続く道だが、この道を通っているときにも、人々が祈りを捧げるためにこの道を長い、長い間歩き続けてきた風景に思いを馳せ、神々しさを感じた。

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岬に着くと、祈りが捧げられてきた遥拝所の先に、とても美しい光景が広がっていて、自然と涙が浮かんできた。自然の偉大さ、雄大さということだけではない。そこに神を感じ、人が崇拝し、感謝し、その恵みを少しずついただきながら暮らしてきた沖縄の人々の思いや文化に思いを馳せた。そして今の人間の社会が失いつつある状況に対しての悲しさ、そして失ってはいけないという思いを全身が貫いたという感覚だった。

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こういった祈りの場は、神域にだけ存在するのではない。そもそも久高島すべてが神域なのだ。そのため、このような人々が暮らす居住域にも聖域は存在する。この岩の塊にしか見えないこの場所も聖域。

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信さんが話されていた中で印象的だったのが次の内容。

本来、地域の人々が祈りを捧げる場というのは、こういうものだった。しかし、そこが聖域と分からない外からの人も増えてくると、目印や境界を作る必要も出てくる。それでしめ縄をしたり、鳥居を建てたりしてわかりやすくしていく必要があったのだろう。

僕は、この話と風景から、奈良の三輪大社の御神体の頂上の風景を思い出した。三輪大社は本殿がなく、拝殿から御神体である三輪山を拝む。この頂上には、まさに岩や石があり、しめ縄がめぐらされた聖域がある。

日本各地には、こういった場はたくさん存在している。京都にはたくさんのお地蔵さんがあり、祈りを捧げている。神社の鎮守の森、川のせせらぎ、路傍の石…色んなところが今も存在しているが、それを感じる側の心や感覚が鈍っているのではないだろうか。

本来持っている感覚を開くために、母なる海に浸かる

すべての生物はもともと海から生まれた。人間の血液は海水と同じような成分でできている。人は生まれるときに母親の羊水の中で浮かんで育つ。まさに海水の中で育つのだ。つまり海で生まれ進化した時間を母親の胎内で一気に過ごしているとも言える。

信さんが久高島で塩作りをしている理由をこう語っていた。

海から生まれた人間は、海を必要としている。それがゆえに人間は塩分がないと生きられない。だから塩を摂取するし、海藻や魚などを食べて海を補給しないといけない。
神社で塩をお浄めのために撒くのは、本来は海水を撒くものだった。だが遠いところまで海水を運んだり、保管したりするのが大変なので、海を凝縮した塩を用いるようになったのだろう。
塩は人間の原点なので、良い海水から作る必要がある。世界中、日本中に色んな海を見てきて久高島の海水が素晴らしいので、久高島の海水から塩作りを始めた。

今回、その久高島の海に浸らせていただく機会を得た。体から全ての力を抜き、海に全てを委ねる。そして海の音を聞き、肌から海を感じる。まさに母の羊水で浮かんでいる状態というのはこういうことか!と感じた。
これを3日間(本来は一週間はいてほしいというのが信さん談。次回こそ)これを繰り返しているうちに、だんだんと感覚が開いていくということを実感した。明らかに太陽光や風を感じる肌の感覚が変わっていったのだ。

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浸って感覚を開いて深く感じるからこそ、深い思考と行動ができる

信さんやテトラさんと話している中で印象的だったのが、こうやって海など人間の原点の中で浸ることで感覚を開き、そして様々なことを感じることで知識や経験はより深まり、それに伴って思考が深まる。意味のある行動、本来あるべき行動、幸せになる行動は、そういった思考に基づいて生まれてくる。

もちろん毎回久高島に来ることは距離もあって大変だが、「浸る」ことができる場所は上述のように身近にたくさんある。例えばということで挙がっていたのが温泉である。大地の力を感じ、人々がまさにそこに浸ることで回復力を得てきたのは、そういった理由もあるのだろう。あるいは森林もそうだろう。ときどきこういったところに足を運び、感覚を開くということを繰り返していくことが大事なのではないだろうか。

今後、ぜひこういった感覚を開くという共通体験をした上で、仕事や社会のことを考えていくといった取り組みをしていきたいと強く感じた。

改めてテトラさん、信さん、お世話になった皆様ありがとうございました!

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(久高島に流れ着いた椰子の実が芽吹いていた。
海に運ばれ、新たな地に根を張っていく。命の連鎖を感じた光景)




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