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美術館の空気は、迷いの肯定に満ちていた。

美術館を出ると、なんとも心のすみまでほっとした日があった。

しばしば美術館には来るけれど、その日は後味に大きく立ち上るものを感じた。

喫茶で窓を眺めながら、時が止まったかのようだった。

美しい絵を観られた喜びとはまた違う、リラックスして穏やかになる気持ち。

これはどこから来たのだろう。

その日は、ピカソを観た。

ピカソの表現手法の変遷は、「青の時代」「キュビズムの時代」と言ったように、時代の区切りができるほど潔くあった。

どこか一貫性を持たなければという観念を壊してくれる。

それは表向きに現れる行動だけでなく、習慣や、思考の癖、感情の反応といった内なる部分においても言える。

過去から引き出された観念に縛られるだけでなく、ゼロにリセットして今の瞬間に湧き出てくるものに集中することなのだとも思う。

慣れ親しんだことは安心感があるが、新しいことに挑戦するのは勇気が必要だ。

ピカソの時代変遷を見ていると、そんな懸念など感じさせないくらい、軽快にたくさんの島をひょいひょいと飛び交っているように感じる。

迷いが生じたときは変化のサインだ。

ポジティブにとらえれば、改善や改良の余地があるときに迷いが生じるものだ。

挑戦に迷いが生じるのは、安全地帯の領域を外れるからだろう。

北斎には生涯にペンネームを30回以上改名し続けていたという逸話がある。

晩年に“画狂老人”と名づけるあたりは、個性的という言葉を凡庸に感じるくらいに、なんだか超越してしまっている。

たしかに作品は熟練の達観のような重みが出そうなところに、バランスをとるように潔さが共存しているようにも感じた。

令和の閉塞感はずるずると長引いていて、どこで収束するのだろうとモヤッとするが、迷いがあってもいいんだということを第一に受け止めた。

そしてここから自分のやりたいようにまた道を作っていけばいいんだ、と気が楽になった。

芸術は綺麗なものだけではない。紆余曲折の曲がりくねったものから傑作が誕生することもある。

迷いを肯定して、変化を受け入れる勇気を持ち、次への挑戦をはかる力を与えてくれることが芸術の力の一つなのだと思う。

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