器の証明


ある人物との対話の中。
唐突に放たれたその一言で、今までこの身が受け取ってきたものや現在の自身とそれが見据える先の根源が何に起因するものなのかを、何となく感じ取る事ができた。

それまで靄がかっていた景色がはらはらと揺らぎ、今は少し違うように見えている。
つまりきっと、その言葉自体がすとんと腑に落ちたのだと思う。

進行形で狭間に立ち鬩ぎ合うものに振り回されてはいるけれど、自身の扱い方をさらに理解していく為には何よりも有益な情報であることに間違いはないだろう。

時は止まらず最後の瞬間が訪れるまで地続きであることに変わりはない。けれどその中で時として様々な要因が重なり合い、一塊の出来事として降りかかってくることもある。
自身においてはそれが今現在だった。ただそれだけのこと。


風を強く感じる。それは感情を急きたてるものでもなく、後押しするものでもない。ただ在るがままの身体に吹き付けるだけの、風。ここで風を受けていること自体が、私を私たらしめる。歪んでしまった器の形を今、はっきりと感じる。

傷は治癒する。毛は伸びる。注がれなければ乾いていき、吸収しなければ萎んでいく。一時々の状況で結果が常に変わりゆく、曖昧で不確かな器という存在。
風を受け続けてざらつく肌を摩りながら、その地平線の先を想う。  

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