見出し画像

幸せを取りこぼさない方法

初めて来た外国で、気が付けばまったくタクシーの来ない場所に取り残されていた。困っていると、知らない青年が「お金を払ってくれるなら俺が街まで送ってあげるよ」と提案してきた。あなたならその車に乗る? 乗らない?

今日は幸せを取りこぼさない話がしたい。
私の周囲には幸せな人が多い。私も概ね幸せな人生を送っている。生きていく上で、辛い思いもしたし哀しい出来事も経験した。苦い経験も頭を抱えるような気持ちで眠れない日々を過ごした時期もある。それでも、私の人生は概ね幸せだと言える。毎日、寝る前に「ああ、今日も概ね幸せだった」と思って目を閉じる。

私の言う幸せとは、心が満たされた状態のことを言う。欠けるものなく、温かい気持ちで満たされている感覚だ。その日、何か不運なことに見舞われていたとしても、ちょっと痛い目にあったとしても、目を閉じる時に満たされた気持ちであれば、それはもうその日一日は「概ね幸せ」だったと思う。不運な自分も痛い目に合った自分も、振り返ればコミカルで可愛らしい自分だったと思えるのだ。マンガみたいな自分だったと。

一方で、寝る前に一日を振り返ってため息をつきたくなる人もいるだろう。嫌なことばかり思い出されて、早く忘れて眠りに落ちたいとぎゅっと目を閉じる人もいるだろう。

この差はなんなのだろうか。

ここから話すことは私の実体験だ。
日々、出会う人を通じて感じてきたことの結論だ。この結論はいずれ違うものにブラッシュアップされるかもしれない。だから、ここでは ”とりあえずの結論” という位置付けて受け止めてほしい。

私が出会ってきた人たちで、幸せな人にはある共通点がある。それは ”素直である” ということだ。本当にこれは声を大きくして言いたい。素直な人は幸せを取りこぼさない

例えば私がボーカルレッスンで生徒に修正を指摘したとする。素直な人は、言われた箇所を指摘通りに修正しようとする。頑固な人はまず、修正を指摘されたことに引っ掛かる。自分の中に理由があるからだ。その理由を私に訴える生徒もいるし、先生には言ってもわかってもらえないだろうとスルーする人もいる。当然ながら、素直な人は上達するのが早い。頑固な人は納得しながら上達するタイプなのでゆっくり向上していく。

どちらも間違いではないし、どちらも私にとってみれば愛おしい成長だ。それぞれの成長のスピードをそれぞれが自由な選択をすればいいのだ。

ただ、その傾向の違いで幸福度が違ってくるんだなと感じている。

素直の反対は頑固。
頑固な人は、容易に人の言うことや世間の流れに呑まれない強さがある。自分がしっかり納得したことだから、自分の選択に後悔もないかと思う。それで幸せならそれに越したことはないけれど、私の経験則上そうでもないかなというのが現実だ。

例えば、デパ地下の惣菜店で何を買おうか迷っていたとする。
自分は1,200円ほどのオムライスと小さなハンバーグが付いたお弁当を買おうと思っていたけど、店員さんが2,000円超えの半身の鶏肉のグリルを推してきた。「当店の自慢料理です」という言葉に、素直な人は鶏肉の半身のグリルを買うだろう。頑固な人はオムライスとハンバーグのお弁当を買うだろう。

どちらが幸福かという話ではない。
素直な人は「店員さんが勧めてくれたものだし、お店の自慢の味を体験してみたい」というマインドで鶏肉を選ぶ。頑固な人は「店員さんは自分の利益のために鶏肉を推している。私はそんな言葉に乗せられることなく自分の食べたいものを食べよう」というマインドでオムライスを選ぶ。

頑固な人は、自分以外の人の意見や助言をすぐには受け入れない。それはたぶん、他人に対する不安があるからだ。その助言は本当に善意からなのだろうか、その人は本当に信じるに値する人物なのだろうか、信じたら失敗するのではなだろうか。そんな不安を抱くのだ。

不安というのは本当にあらゆる不幸の種で、不安から生まれる幸福なんてこの世に存在しないんじゃないかと私は思っている。不安は不満な状況や緊張した状態を生み出すし、それを回避するために余計なストレスを抱えることが多い。では、その不安というのは何から始まっているのだろう。

私が考えるに、不安の元は ”不足” だ。
不足するかもしれないという思考は不安を生む。
そうして不安は、ありとあらゆる不幸にアクセスする。

冒頭の問いかけに戻ろう。
これは、未知にチャレンジするかしないかという問い掛けだ。未知には、成功と失敗の両方の可能性がある。この場合、素直な人は「乗る」を選択するだろう。そしてそれがどんな結果だったとしても彼らにはその結果を受け止める度量がある。一方、頑固な人は「乗らない」を選択するだろう。しかし、その場合でも安全は保証されない。ただ、その時「どこにも行かない」という選択をしたという事実だけが残るだけだ。その後、どうにかして納得のいく帰路のツールを確保して帰ることになるのだろうけど、手配するための膨大な時間とストレスがかかることは容易に想像出来る。

このケースで言えば、頑固な人は「知らない人の言葉を信じてトラブルに巻き込まれるかもしれない」という不安があったということだ。その不安を深堀すると、未来に対する期待感の不足、自己評価の不足(洞察力、自己肯定感)、もっと言えば金銭に対する不足なんかも影響しているかもしれない。その不足感が不安を生み、その不安が疑心を生み、搾取への恐れ生み、過度な保身に繋がり、身動きが取れなくなるのだ。

どちらがより幸福度が高いかとは言わないが、頑固な人は時に運命の流れに対しても頑固なものだ。そうして、受けるはずだった恩恵を取りこぼす。それどころか、余計なストレスに身を投じることにもなる。それは、幸せに対して遠回りすることになっているのではないか。

ちなみに、冒頭の問いかけは私の旅先での経験だ。私は迷わず男性の車に乗った。私は彼をまったく疑わなかった。この時、私の信じる力を試すかのようなクエストが発生した。男性は「途中でお持ち帰りのお弁当を家に届けなくちゃいけないから寄り道するけどいい?でも、美しいライスフィールドが見られるよ!」と言った。私は「それはいいねぇ。急がないから構わないよ。ライスフィールド、楽しみだよ」と答えた。取引成立ということで手を合わせ、私は車に飛び乗った。彼は言ったとおりにライスフィールドの広がる農道を走り、ポツンとした一軒家の前に駐車して私を車に残して足早に家の中に消えた。私は長閑なライスフィールドをぼけーっと眺めながら「普通ならこういう状況に怯えるのかもなー」なんて思っていた。

しばらくすると彼が戻って来て、約束通り街まで送ってくれた。別に後から法外な値段を要求されることもなかった。観光してるだけでは経験の出来ないようなローカルな生活を感じられるエリアにも行けたし、車内では楽しくおしゃべりをして過ごせた。結果的にとてもいい経験をした。あの場所で、タクシーを呼ぶ術もなくただひたすら帰れるかどうかを不安に駆られた気持ちで時間を過ごすことにならなくて本当によかった。

こんな私を「運がいい」と一言で片づける人もいるが、その運の良さですら「素直である」ということが引き寄せているのではないかと思う。

ただ、「素直であること」と「自分がないこと」は似ているようで全然違うということを付け加えておきたい。素直は人に対して率直に受け止めるのに対して、自分がない人は人の意見に振り回される。人の意見や流れに合わせて自分を変えてしまう。素直な人は自分が変わることはない。

自分軸で生きるというのも幸せに生きる方法のひとつだが、このお話はまたの機会に。

#ドラマを観てても
#主人公が頑固な時に不幸がおこります
#あと人の意見に振り回されている時
#ドラマを観ながらやきもきを声に出す




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?