ドバイで引越6回

【最初はホテル】

私と娘は、2012年7月にドバイに引越してきました。最初は、Discovery GardenエリアのZiqoo Hotel Apartmentでとりあえず1ヶ月を過ごしました。

日本のリクルートが経営するホテルで、日本人スタッフが何人もいるので心強いと思い選びました。Hotel Apartmentは、台所付きの部屋に家具と家電があって自分で調理ができます。建物内にレストランが併設、部屋の掃除とベッドメイキング、タオルの取り替えのサービスが含まれます。当時は、展望大浴場がありました。

右も左もわからないときに、日本語で相談できるのはとてもありがたかったですが、この地域は、道路が整備されてなかったり建設中の建物が多くて埃っぽく、立地がドバイの端っこでいささか失敗だったかもしれません。そして、部屋の造作がコテコテで重苦しく、寝ていると血液がわちゃわちゃして健康によくありません。部屋にいるほど疲れました。最近は、この辺りは荒れたエリアのようです。

2005年に始まったドバイメトロ建設で、大林組など日本企業の方達が滞在されて随分と流行っていたそうですが、私が滞在した時は閑散としていて、リクルートが手を引き斜陽化の一途を辿っていました。


【The Greensの部屋探し】


Barsha HeightsにあるGulf Oasis Hotel Apartmentに変わったのは、年契約の住処を探すのと、日本人学校のバスが近くまで来てくれるからです。Ziqoo滞在中は、The Greensエリアの日本人学校のバス停まで、朝6時に娘とタクシーに乗り渋滞の道をハラハラして向かっていました。

ドバイのタクシーは安全で安心と言いますが、運転手から助手席に乗って欲しいと言われて乗り込んだらお触りにあい、窓を開けて大声で怒鳴って逃げたことがあります。助手席に乗る外国人はとても多いですが、油断できません。

Gulf Oasisはアラブ系の小さなホテルで、スタッフが英語がネイティブでないので、ゆっくり話してくれるのがありがたいです。ドバイでは、どのホテルもとても清潔でスタッフは親切です。ここは、静かでとても居心地の良いホテルでした。


dubizzleというサイトでThe Greens内の住処探しです。当時は、部屋の大きさやエリア、金額などの条件で検索してブローカーを通じて契約するのが一般的でした。日系企業の方は、不動産屋に直接相談されるようです。韓国人女性の不動産屋さんが大活躍で、彼女は日本語ペラペラで読み書きもできます。私が来た当時から評判がよく自信を持って紹介できます。


The Greensは、気に入った部屋を見つけたらすぐにデポジットを払い部屋を抑えないと他の人に契約されてしまう人気のエリアで、且つ、シリア反体制運動で国から逃げてきた人たちの部屋探しと重なり部屋は取りっこでした。ドバイの物件、外見は素敵に見えますが杜撰な建築で水漏れも多くトラブル続発が当たり前、部屋選びは細心の注意が必要です。旅慣れた駐在者の奥さまたちの経験や情報からの、念には念を入れた部屋探し攻略法を伝授してもらいました。日本人は、こういうことに特化して素晴らしいと思います。

ドバイの不動産は、まずこのエリアにこんなビルを建てますと公表されます。最初は、1棟ごと売り出されます。買い手がつかなければフロアー毎になり、そのあと一部屋ずつ販売されると聞きました。The Greensエリアは、部屋ごとのオーナーです。気に入った部屋が見つかりブローカーにデポジットを払ったものの、電話でオーナーからアジア人には貸さないと断られました。「日本人だもん」という特別意識があった私は、そのときガツンとやられました。


【The Greensの住み心地】


それから1ヶ月、29歳のエジプト人から部屋を借りホテル住まいから脱出しました。彼は、長身でハンサム、賢くて気さくな若者で、部屋に遊びに来ては娘と私にエジプトやドバイの話を聞かせてくれました。エジプトでは、確か25歳に独立して家を出なければならないそうで、25歳ドバイでにやってきてHewlett-Packardに勤めローンでこの部屋を買ったと話していました。いつも私たち親子を笑かしてくれたいい奴でした。

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The Greensは、欧米人が多く住み、近くにスーパーマーケットもあり便利でした。大きな池があり、その周りに歩道がぐるりとあって歩道は緑の茂みに覆われて日陰を作っています。犬を飼ってる方が多く、やたら大きな犬、ドーベルマンとかもいて湿気が多い日はかなり猛獣くさいです。

4棟で囲んだ中庭にプールと遊具、砂場があり子どもたちが安心して遊べます。ここでエチオピア人のメイドさん達と大縄跳びをして、私たちの三倍ぐらいの速さで飛ぶ運動能力に驚き、彼女達の研究を始めたのです。

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朝日の見えるエネルギーいっぱいで幸先の良い部屋でした。どなたかのブログでは、駅は遠くタクシーか自家用車がないと移動に不便と書かれてましたが、健康な人なら駅まで歩けます。人それぞれです。最近は、日本食を扱う韓国食材店や日本人シェフがいる和食屋もあります。

ドバイは、殺虫剤の噴霧やネズミ取り、部屋のあちこちに殺虫剤だか防虫剤をつけてくれるので、部屋を清潔にしていればゴキブリは出ないし外に蚊もいません。殺虫剤を噴霧する作業者は完全防備ですが、無防備な私たちが歩いてるときに噴霧されるというちょっと困ったことが起きます。

賃貸契約は1年ごとで、2年目にはオーナーが部屋を売りに出したので、娘と住んでる部屋を買い手が内覧することが度々ありました。3年目は娘のブリティッシュスクール転校に伴い、隣の首長国のシャルジャに引越しました。


【シャルジャの生活】

シャルジャの部屋探しは、ネット検索なんてありません。まずは住むエリアを絞り込みます。シャルジャのビルアパートは、UAEローカルがオーナーでそれぞれに住み込みの管理人がいます。彼らが、空き情報と家賃の詳細を教えてくれます。学校が始まる9月は、引越しを終えて新生活がスタートしている月で、空き部屋がなく、昼から夜まで小綺麗そうなビルを狙ってかたっぱしからローラー作戦で回りました。

空き部屋は、前居住者が出て行ったときのまんま放置されてます。恐ろしく汚いです。壊れた家具の残骸や古着、ケチャップとか床についたままです。電気と水道は、部屋の契約後に開栓されるので契約するまで汚いままです。そんな内覧は、スリル満点です。私が、築1年の住処に出会うのに10日ぐらいかかりました。

このビルを管理している不動産屋に契約に行くと、日本でダンサーをしていたというルーマニア女性が日本語で対応してくれました。シャルジャは、ドバイ と法律が違います。田舎っぽくてトラディショナルです。ローカルの言い分が優先され、頭が混乱します。不条理が罷り通り、怒りが炸裂します。女性差別があり、私ひとりではひとつも進まず、商社の駐在の方に同行していただきました。まさに神のみぞ知る、インシャアッラー。

部屋は、新しかったですが小さなゴキブリがたくさん出たので、何度もタイルの床を洗い消毒して撃退しました。清潔を保てば隙間からも入ってきません。私が入居してから、なぜかビル全体がきれいになり共有部分にもゴキブリが出なくなりました。設備の不具合は、すぐに管理人が修理してくれるのでドバイの住まいより迅速で助かります。

エジプト、インド、シリア、ヨルダン人が住むシャルジャのアパートでは、外を歩くときは注意しないといけません。彼らは窓から何でも捨てます。中身の入ったペットボトルやおもちゃなど何でも窓からポイ捨てです。火のついたタバコも降ってきます。誰も注意しません。逆に自己防衛してない方が悪者扱いです。

私は、シャルジャの下町人情な感じがとても好きでした。スーパーに行けば、甘いスイカに当たるまで、何個でも切って味見させてくれます。おまけしてくれることもしばしばです。手作り、出来立て、安い、シャルジャは旨いものがいっぱいです。いいことばかりではありません。危険すぎて娘をひとり外に出すことは一度もありませんでした。私が仕事で留守の間は、信頼のおける人に食事を運んでもらったり、送り迎えを頼みました。シャルジャは、レイプされた女子が他のビルから自ら命を経つなんてことが頻繁に起きています。1年間のシャルジャ生活は、良いことも悪いことも盛り沢山で忘れられない経験をしました。たくさんの人に守られて生活した一年でした。


【ドバイ 空港近くMirdifに引越】


娘の学校は、ドバイとシャルジャのボーダーにあります。私たち親子は、ディープなシャルジャに入り過ぎていることに気づき、娘のクラスメイトが多く住むUptown Mirdifに引越ました。

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Mirdifは、ドバイ国際空港の東10キロぐらいのところで、まだ砂漠の多いこの辺りは夜の気温も結構下がります。太陽が低く空気が澄んだ冬は、飛行機の影が部屋の中に落ちてエンジン音で会話が聞こえません。9月に引越したので、冬は驚きました。バルコニーにいるときや近くの道路でも、着陸で低空飛行のAirbus380が来るとつい伏せてしまうほど近いです。空港の東側は、広範囲にわたってUAEローカルの戸建てがあり、Uptown Mirdifもローカルが多く住んでいて香木を燃やす匂いで廊下がもやもやすることもありました。


今度は、イラク人オーナーのアパートでした。彼は、独身で私より3歳上の長身のハンサムです。毎日、自宅のあるMarinaからMirdihのGYMまでトレーニングに来ているので、何かあればすぐに対応してくれました。毎晩自宅近くで若い女の子とサルサを踊ってるというナンパなオーナーは、いくつか持っている部屋のレントとコンサルが生業です。

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この建物の一階は商業施設になっていて、スタバやカリボウコーヒー、各国レストラン、31アイスクリーム、スピニーズのスーパーマーケット、子どものダンススクール、GYM、なんでもあります。最近は、日本風パン屋のYAMANOTEもできたようです。

ただ、メトロの駅からタクシーかバスで5分というのが結構辛いです。ここに引越して、私は車を買いました。

隣接したMirdif Parkは、手入れの行き届いた芝生のグランド、その周りに起伏をつけたランニングコース、バスケットボールとバレーボールコートがある大きな公園です。運が良い朝は、美しいインド女学生がするヨガを見ることができます。このとき筋肉を頭の先から足の先までつなげて、曲線に伸ばしていく美しさに魅了されました。弓のようにしなやかでした。無理のない体の自然な動きがありました。これがヨガなのです。


【ドバイのど真ん中に引越】


気付いたらドバイの南側にお住まいのクライアントが増えていて、深夜でも容赦無く呼び出されてヘトヘトでどこから呼ばれても機嫌よくいかれるドバイの中心へ引越ました。私の友達が住んでいたMazaya Centerは、ドバイのシェイクのお姉さんの持ち物で、建物は古いですが隅々までピッカピカに手入れされていて、ヨーロッパのショッピングセンターの吹き抜けのような雰囲気がすっかり気に入りました。ドバイは、生活のスタイルによって気軽に引越せていつもフレッシュです。

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この立地は、ドバイモール駅から徒歩8分、ビーチまで3.5キロ車で10分ぐらいです。ショッピングセンターなので、大きな駐車場もあり、お客さまにも便利でした。ところが、吹き抜けに面した部屋は日が当たらないうえに、モールの中なので常にエアコンが効いていて凍え、一年でギブアップしました。

翌年は、同じフロアのガラス張りのリビングからバージュカリファが正面に見える明るい部屋に引越ました。ここでは、イタリア人シェフとシチリア料理教室をたくさんやりました。大人気でした。そのうちに、建物の所有者が代わり管理会社の掃除が下手くそになって、あっという間に汚いビルになってしまいました。娘がフランスのボーディングスクールに進級することになったのをきっかけに、ひとり暮らし用の住まいに変えることにしました。



【71階のペントハウス】


一度ドバイの真ん中で生活をすると、便利すぎて離れにくくなります。メインストリート沿いのビルをひとつずつ歩いて「ワンベッドルームは空いてますか?」とセキュリティーに尋ね歩きました。この通り沿いは、ビルの壁面にはRentという文字と管理会社の電話番号が書かれていてビル全体が管理されています。半日歩き続けて、夜8時に辿り着いたのが3年住んでいるこのビルです。最上階71階のペントハウスに案内されて決めました。

ブローカーを挟まずに借りたくて自分の足で探したのに、最後に引っかかりました。セキュリティーがブローカーに連絡して、管理会社の担当者と賃料の5%のコミッションを山分けするというわけです。その分家賃を引いてもらうことで交渉成立、気持ちよく契約できました。

若かりし頃、代理店のオフィスはサンシャイン60の53階でした。耐震構造で地震や風が強い日に壁が揺れ酔いそうになることもありましたが、ここは全く揺れません。快適です。71階には二軒しかありません。隣はインド人母娘です。そう、このフロアの住人は女3人で安心感があります。仲良くしてもらっています。

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The Greensから始まったドバイ生活は、いろいろな事情で6回の引越しをしました。部屋探しと引越業者探し、楽ではないですが毎回楽しんでいます。大変だから生きてる感が味わえます。7月から10年目に入ります。ドバイ に興味のある方は、なんでもお聞きください。必死になれば、人間はなんでもできます。でも健康な体ならという条件付きです。



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