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コロナ倒産した僕が、みんなに伝えたいこと【7話】-会社の歴史の話その2-

これは、僕の物語を少し脚色して読みやすく書いてくれている記事「コロナ倒産した僕が、破産を決意した日のこと【1話】」との競作でもあります。もしよければそちらもどうぞ。

僕の会社は、タイで作ったゴム風船のセットを日本のコンビニやスーパーや100均で売って頂く商売をしておりましたが、2020年3月25日に事業をストップし、4月6日に東京地方裁判所に破産申告書を提出し、4月10日に破産開始決定となりました。後でわかりましたが、都内で6件目のコロナ倒産企業でした。

なるべく迷惑が少なくなるようにと様々な対策を施しましたが、倒産の結果、やはり債権者のみなさんには多大なご迷惑をおかけしてしまいました。改めて、お詫び申し上げます。そして、そんな僕に再度人生をやり直せるチャンスを頂いたことに感謝申し上げます。ありがとうございます。

そんなコロナ倒産した僕が、コロナ父さんとなり、みなさんに伝えたいことを少しずつ書いていきたいと思います。

<会社の歴史の話その2>

こちら会社の歴史の話その1の続きです。

タイで見つけた工場の良かった点は、1つは当初から品質と価格のバランスに優れていた点、2つ目は日本の市場に合わせてより一層の高品質を目指そうとする姿勢でした。当時社長であった僕の父が工場を訪れると工場長がずっと張り付きで、この風船はどうか?と熱心にアドバイスを求めて、課題をクリアしていったそうです。

最初はその工場に作ってもらったゴム風船をそのまま日本に輸入して、社内や社外の内職さん(個人宅で、うちの風船をセット組してくださる方)でパッケージにセットして、商品にしておりました。しかし、日本国内も人件費が上がっており、内職を担う手も少なくなってきていたため、数年後にはタイにゴム風船のパッキングをする会社を作ることにしました。中心となったのは、得意先にいた父の友人である日本人のJさん。彼は20代から台湾・中国・フィリピン・タイで工場の立ち上げや日本向けの製品づくりをしてきた人間で、今回は父のパートナーとなり、タイで弊社のゴム風船セットをパッキングする専用の会社Uを立ち上げました。

そこではタイ人の工員さんが、紙の台紙にゴム風船をつけて、袋に入れて封をしてという作業をしておりました。そうして出来上がった風船セットは10個、12個、24個など所定の数量にまとめて小袋に入れて、さらにその小袋を20-40パックで段ボールのカートンに詰めて、封をしていきます。こうしてできた商品は全て日本のへ送られ、僕の会社から国内の卸問屋さんを介して、日本全国の売り場へ商品が並べられます。

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タイの工場でゴム風船をパッキングする様子

僕は会社へは2001年の入社でした。その時点で上記のような仕組みはすでに構築されていましたが、入ってすぐの12月に上記のタイの会社を作った日本人パートナーJさんの日本の会社が倒産してしまいます。その会社は僕の会社の売上の40%近くを依存している会社で、またタイからの輸入もその会社が一手に引き受けていました。そのため、会社始まって以来の大ピンチを迎えました。

幸いな事に、実は僕は大学を卒業後にそのJさんの会社で3年間修業をしており、その会社の売り先も知っており、その会社を通して売っていた売り先とつなぐことができ、なんとか売り先は確保できました。

しかしもう1つ問題がありました。それは、タイからの荷物の受け元つまり輸入もそのJさんの会社が請け負っていたことです。僕は当時は輸出入の経験はなかったのですが、僕以外にやる人間はいないため、やるしかなく、本を片手に、乙仲(おつなか、輸出入業務を代行してくれる会社)と相談しながら輸入を始めました。

続きは「会社の歴史の話その3」へ

<コロナ父さんに任せなさい>

コロナ父さんが暮らしているのは東京都墨田区という場所です。町工場が多く、コロナ父さんの仲間の多くが製造業を主とする経営者の方々です。そしてこのコロナ禍の中で、すみだの町工場のオープンファクトリーイベント「スミファ」がオンラインで開催されます。今年9年目を迎えるイベントですが、コロナ父さんはこのイベントにずっと関わっており、ものづくりの相談等も受けることができます。

何かあったら「コロナ父さんに任せなさい」。

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