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コロナ倒産した僕が、みんなに伝えたいこと【2話】-会社の歴史の話その1-

これは、僕の物語を少し脚色して読みやすく書いてくれている記事「コロナ倒産した僕が、破産を決意した日のこと【1話】」との競作でもあります。もしよければそちらもどうぞ。

僕の会社は、タイで作ったゴム風船のセットを日本のコンビニやスーパーや100均で売って頂く商売をしておりましたが、2020年3月25日に事業をストップし、4月6日に東京地方裁判所に破産申告書を提出し、4月10日に破産開始決定となりました。後でわかりましたが、都内で6件目のコロナ倒産企業でした。

なるべく迷惑が少なくなるようにと様々な対策を施しましたが、倒産の結果、やはり債権者のみなさんには多大なご迷惑をおかけしてしまいました。改めて、お詫び申し上げます。そして、そんな僕に再度人生をやり直せるチャンスを頂いたことに感謝申し上げます。ありがとうございます。

そんなコロナ倒産した僕が、コロナ父さんとなり、みなさんに伝えたいことを少しずつ書いていきたいと思います。

<会社の歴史の話その1>

戦前より東京都台東区蔵前の辺りが、おもちゃの問屋街となっており、祖父はそこで丁稚奉公(住み込みで働くこと)をしながらゴム風船の商売を覚え、結婚して独立しました。創業は1950年で、戦後の子供が増える時期と重なり商売は順調な滑り出しでした。

やがてテレビで様々なアニメが放送されるようになると、そのキャラクターの権利を取得して、キャラクターの印刷された風船のセットを販売するようになりました。

そして売り先は大きな量販店(今でいうと、イオンやイトーヨーカドーなど)、スーパーマーケット、ホームセンターやコンビニなど店舗が多くて、大量に売れる売り場に時代にシフトしていき、順調に売り上げを伸ばしていきました。

あわせて、祖父が南米のお祭り(普通サイズのゴム風船に水を入れてぶつけ合う)を見て、小さくそして割れやすくと改良して作った水玉風船(一時期は商標登録を取得。後に業界のためにと更新をしなかった、またの名を水風船)を開発して、これが大ヒットしました。

最盛期には、国内の協力工場では生産が間に合わないため、メキシコのメーカーから飛行機の貨物室を借り切って、4トンとか6トン(約800万個から1200万個)を輸入したそうです。

ところで、水玉風船ってわかりますか?下のような薄くて小さなゴム風船で水を入れてぶつけ合って遊ぶ風船です。小さな頃に遊んだことがある方は多いのではないでしょうか?

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さて、話をもとに戻しましょう。僕の会社は当時は本当のメーカーではなく、風船自体は作っておりませんでした。今でいうファブレスメーカー(工場を持たず外注工場で作ってもらうメーカー)の走りで、協力工場に作ってもらった風船をうちでパックして販売する会社でした。

日本国内でも1980年代まではゴム風船を作る工場がいくつかありまして、僕の会社ではその協力工場に風船の製造依頼ができました。しかし、1980年後半にもなると海外から安く入ってくる風船に国内の風船工場は太刀打ちできなくなり、次々と国内の風船工場が閉められていきました。

僕の会社でも懇意にしていた協力工場では値段的に合わなくなり、海外に工場を求めて見つけた、タイの風船工場と1995年ごろから付き合いはじめるようになりました。

続きは「会社の歴史の話その2」

<コロナ父さんに任せなさい>

会社がなくなって一番つらいのは、実は仕事がなくなり家でじっとしていることでした。自分が落ちて行っているときは、友達のフェイスブックの投稿がキラキラしすぎて、一時期は見ることができなかったです。

でも、なにか浮上できるようなきっかけが必ずあるものです。だからその時は無理をせず、神様に与えてもらった猶予期間として、落ち着いて過ごしましょう。

何かあったら「コロナ父さんに任せなさい」。

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