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○死ぬまで一緒に生きるつもりなら、自己肯定感を高めてくれる人が良い

結婚について今でもよく考えます。

私は25歳。社会人5年目のバリバリの働き盛り。今の旦那と付き合い初めて一年も経たずに結婚しました。

周囲の人に「早くない?」「本当によかったの?」と言われることが多いです。

まさか自分が結婚するなんて、数年前の私だったら考えもしていませんでした。旦那と付き合い始めた時でさえも。

結婚とは、夫婦になること。婚姻とは、社会的に承認された夫と妻の結合である。「婚姻」は配偶関係の締結のほか配偶関係の状態をも含めて指している。

私は生粋の個人主義者でした。一人親で育ち、高校を卒業したら親元を離れ何年も一人暮らしをしていました。一人の時間が大好きで、趣味もたくさんあったし、ホームシックになることなんて一度もありませんでした。

だって仕事終わりに一人でプライムビデオみながらからあげくん食べてビール飲む時間って至福すぎないですか?


プライムビデオじゃなくても、全盛期だった頃のニコニコ動画の実況動画とかね、可愛い女の子が囁くASMR動画とかね。

ベッドまでたどり着けなくて、コンタクト着けたまま床に寝ちゃった翌朝は割りとへこむけどね。

まあ辛いときは大好きな音楽を聴いて、物思いに更ける。孤独を愛せる女だったんです。

そんな私が結婚という名の契約の元で、血が繋がっていない赤の他人と苦楽を共にする、というのが全く考えられなかったのです。楽しいときはいいですよ。でもきっと困難も多い。そんな時に自分を犠牲にして献身的になることが到底出来ないと思っていたのです。嫌、簡単に言ってしまうと共同生活が嫌いだっただけです。

横着者で、ズボラですしね。

で、今は結婚しているわけなんですが、古い友人にもやはり驚かれます。

「え、お前が。」と。

なぜ結婚したの?と聞かれたときに自分自身もしっくりくる答えが言えるようにnoteにまとめたいと思いました。

価値観が合うとか、一緒に居て楽とか、お金持ってるか持ってないかとかそんなものではないんじゃないかな。

結論からいうと旦那は、家族を含めて今まで出会ってきた人の中で、一番私の自己肯定感を高めてくれる人であったということです。子供っぽいと思われるかもしれないけれど、私にとってはすごく重要なことでした。だって人は常に誰かと比べられながら生きている。会社でも、SNS上でも、どこでも「私」という人間がどれほど価値があって、必要とされているのか評価されている。

自己肯定感って自分一人だけでは手にいれることができないんですよ。難しい。

一方で誰かの恋人になる上で「一番大切にされる」愛され方をする、というのも簡単なようで実はとても難しいことだと思います。一番って対ヒト以外にも趣味だったり仕事だったりたくさんあるからね。

会社の付き合いを断って、私に一刻もはやく会うために家に帰ってきてくれる。

不細工な寝顔だろうがとびっきりお洒落した時だろうがどんな状態でもかわいいと言ってくれる。

私の周りにいる女の子のことを容易に「かわいい」なんて言わない。

周りにどう思われるかよりも、私が喜んでくれるから、SNSに私とのラブラブな写真を載せる。

どんなくだらないLINEでも絶対に返すようにしてくれる。

私に不安を感じさせるようなことは絶対にしない。

仕事を頑張っている私を認めてくれる。

すべてにおいて優先順位の一番に私を置いてくれていることがわかった時に、深く愛されているという実感を得て、女としての自信を得て、「結婚」を意識するようになりました。

逆にそんな風に自分を愛してくれる人と出会ってしまったら、絶対に手放しては駄目ですね。

特に私は自己評価が元々低い人間だったので。まあ、なんというか、愛し愛され方は結局人それぞれではあるんですが、私が胸はって一つ言えることは、

どうせ生涯一緒にいるなら、絶対に自己肯定感を高めてくれる人がいい。です。 

でもその代わり、同じくらい相手を認めないと駄目だけどね。そして大前提にお互い「余所見をする」があっては駄目ですけどね。

文字に起こしてみて、私も今一度旦那に感謝して、私自身も常に旦那の自己肯定感を高められるような女性になりたいと強く思いました。

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