「多声的な歴史叙述のために ―フィクション・フェミニズム・日本中世史」を読んで  その1

本来はこのnoteは新型コロナのことを書くのに登録したものだが、ツイートばかりになってもう実質使っていないのでこちらに書いておく。なぶり書こなので誤字脱字はご愛嬌で。

『歴史評論』という雑誌に掲載された一部に話題の、

多声的な歴史叙述のために ―フィクション・フェミニズム・日本中世史―For a Polyphonic Historical Narrative: Fiction, Feminisim and Japanese Medieval History 
杉浦鈴

の感想をつらつら記しておく。なお私は人文学を専門としておらず社会科学の十分な素養もない。そしてこの論文ぽいのを批評するためにはイヴアン・ジャブロンカ氏の著作を読み彼の考え(私が納得するかそこに新規性を見いだすかはともかく)を十分に理解してからでないと本来はできないことをまず記しておく。そこに批判すべき問題・齟齬があるならほとんど意味のない論文だと思う。またフェミニズムはさらに門外漢なのでそのあたりはスルーする可能性が高い。
 あとそもそもこういう投稿文に査読はあるのだろうか?本文から推察するに2022年5月頃に書いたもののようだ。

章立ては以下のとおりである。
一 女性差別.実証史学.日本中世史
二 実証史学批判とフェミニズム
三 フェミニズム・ポップカルチャー・日本中世史
四 アニメ「平家物語」
 (1) 女性の物語としての「平家物語」
 (2) 叙述モードとしての感情
五 おわりに

「一 女性差別.実証史学.日本中世史」に関して
 呉座氏舌禍騒動の経過を記載。ただし著しく公平性に欠く。呉座氏が指摘する点以外に私が違和感を持つのは、

  1. 「事態は事件から一年が経過した現在も終息しているとは言い難い」としそれを受け呉座氏が行なっている民事訴訟や名誉毀損を取り上げている。また第三者による北村氏やオープンレターの呼びかけ人・賛同者への嫌がらせがいまだに続いているとしている。後者はともかく前者はどうだ。呉座氏には自身の名誉を守る権利はないというのだろうか。彼が訴えをおこしているから事態は終結していないと言わんばかりだ。呉座氏の一連ツイート全体を見、検証するのが歴史家の持つべき態度、アカデミアにおける女男参画(あえてこの順にしてる)を考えるもののもつべき態度ではないだろうか。

  2. 「学界に関与する社会的に弱い立場に置かれやすい属性を有した人たちが、非常に強い不安と恐怖に襲われた」。ふつう、大学院生、ポスドク、期限つきの研究員・教職員だろう。場合によっては女性研究者もあるだろう。最近は男性被害の例もみたがこの業界の性被害は多い。ただしパーマネントの地位をもつものが決して社会的に弱い立場とは言えないと思う。

このほんまに必要あるんかという前振りをもって、「学会の実証史学中心主義と「女性差別的な文化」は強く結びついているのではないかという疑念」の私的には問題発言が出てくる。いや多くの組織とみなせるものほぼ全てに「女性差別的な文化」いまもあるだろう。どうしてことさら「実証史学中心主義」、「日本中世史」だけが槍玉にあがるのだ(理由も書いているが私には弱いと思う)。

まずここまでで呉座さんの騒動は正直書く必要がない。わたしが編集者ならばっさりカットするだろう。日本中世史にも拘る必要もない。それよりも歴史学者イヴアン・ジャブロンカの研究手法を具体例(『私にはいなかった祖父母の歴史』を取り上げ)をもって説明することにこそ紙面を割くべきだろう。なお私はジャブロンカ氏の著作はまだ未読である。それでも著者が取り上げたアニメの平家物語は、ジャブロンカ氏のとった研究アプローチ、彼が探し求めるもの(この部分こそが歴史家として大事なんだと思う)に辿り着くために取った方法論、とはかなり異なるものではないかと思う。ここが崩れれば論文は成り立たない。なおもちろんだかアニメ製作者を批判しているのでないので。

たぶん続く。

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