「新型コロナは幻想か」?

 池田信夫氏が自身のブログで「「新型コロナ」は幻想である」との投稿をされている。氏のこれまでの言動なり考え方を全て肯定しているわけではないがその多くで非常に勉強させてもらっている。個人的には非常に博識・聡明な方と尊敬に近い感情を持っている(良い意味で昔のインテリだと思う)。まぁ世間の新型コロナ騒動に嫌気が差しているってのもあるだろうしご本人の性格的なこともあるのかもしれないがこういう書き方は誤解を生みやすいのではないかな。ほとんどの人は哲学なんて十分に理解してない、私も知らん。認識論や存在論なんか語り出すと十分に理解せず一人歩きするだろう。
 「新型コロナ」は科学的に確実に存在する。「電顕でしか見てないから実在を確認していない」なんて言いだしたらありとあらゆる存在を否定しなければならない。そもそも「実在」とはなんぞやとか言い出したら生きていけるのだろうか?氏も言うように結局はどう受け止めるかだろう。尾見氏が言うように「多くの人がインフルエンザと同じような気持ちを持ったときがいわば終息のような感じになるのではないか」が物語っている(いや今度こそ流行が抑えられているうちに十分な医療体制を構築してほしい)。まともな科学者(科学的思考をする方)は新型コロナが根絶できるなど考えてない。考えてるのは頭の悪い人か思い上がった人間だろう。結局そのリスクをどう評価するだけだと思う。ただここで池田氏も指摘していない問題がある。「新型コロナ」は欧米での死者数、被害が大きいということである。私は初期からこのことが問題であると考えていた。結局知ってか知らずか世の中(ニュース、ものの見方)は欧米中心なのである。彼らのマインドが変わらない限り日本でのマインドが変わるのも難しい。欧米であんな状況でなければ単なる風土病扱いだっただろう。ワクチンも費用対効果、リスクベネフィットの天秤で本当に打つ必要があるのか正直疑わしいとすら思う。
 じゃいつ流行もマインド「インフルのようになるか」であるが尾見氏も言うように神のみぞ知るが正しいだろう。欧米に合わせていたら遅くなるかもしれないし欧米もワクチンのおかげで早くに東南アジアなみになるのか、仮になってもそれでよしと彼らもマインドを変えれるのかもろもろ次第だろう。
 あと5年程もしたらいろんなことが科学的に理解されると思う。今回の新型コロナで現状わかったことだが、「冬に流行する」と考えていたら初物は「夏でも流行した」。確かに2009年新型インフルもこういった傾向が見られた。これが次の夏にどうなるかが一つの試金石。「冬に流行する」と考えていたらやはり「流行した」。これもやはり次の冬にどうなるかが問題。インフルエンザより怖がられているが、現状(算出法が異なるが)圧倒的に例年のインフルエンザの方が患者数が多い(肺炎などの死者数も考慮すれば本当に新型コロナがインフルより怖いのかも?な面すらある)。ここが謎なのである。2009年の新型インフル(私はもう記憶がないので世間がどんな騒ぎだったか全く覚えていない)、これはなんと翌年にはかなりの人が抗体を持っていた。またいわゆる風邪は成人でも年に2回ほどは感染し(日本でのデータではないが)多くの人がコロナウィルスに対する抗体を持っているそうだ。私はこの事実から新型コロナも(多くは隠れ感染者として)翌年にはほとんどの人が抗体を持っていると想像していた。ところが現状ほとんどの人が抗体を持っていない。じゃどう考えるかだが結局ほとんどの人はウィルスに暴露しても感染が成立しないってことではないのだろうか?ここでいう「成立」は体内で抗体産生を促すまでウィルスが増殖したような状態をいう。まぁともかく先のことはわからない。様子をみるしかない。繰り返しになるが十分な医療体制を余力のあるうちに国策として整備してもらいたい。それとPCR、検査してもその時ウィルスRNAが体内にあったかどうかわかるだけで翌日以降どうなのかはわからない。症状から診断すべき人には検査すべきだがPCR万能主義もなんとかしてもらいたいものだ。儲けてるとこもあるようだがシビアに言えばリソースの無駄だろう。実はこれが東京都の保健所業務の負荷になっていたのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?