こりゃあ巻き物

今、爆弾級の気圧を感じている。時々頭がかち割れそうだ。雨の日にアクティブに動き回ったり仕事をするようには、人間の体はそもそもできていないと思うのです。。(あまり大きな声では言えないけれど、雨の日休暇なるものの制定を何年も望んでいる。そう、あまり大きな声では言えない、、ちなみに雨だから、、と休んだことはないし自分に鞭を打ち動くが、雨の日休暇があれば使い休みたい体感なのである。)

おとといお湯を浴びてから顔が赤く爛れてヒリヒリしていたし片目の瞼も殴られたみたいに腫れてしまってて赤いしあんまり開かない。
わたしはボクサーとしては活動していないし、これは見た目的に心配されそうなやつ。。寝て起きたら良くなっててほしい。
お湯浴びると調子悪いよう。シャワーはいつもぬるま湯よりぬるい、多分冷水シャワーだが、何を根拠にか、大丈夫だろう、と思ってお湯を浴びたらこの様だ。
暑くなってきて夏を感じて恐れている。暑苦しい季節、いやほんとに暑い日は苦しいしタコになりそう。マスクするのが罰ゲームみたいにさえ感じる。
クーラーをつけて寝るとシャキーンと生き返るのでまだよかった。
一年を通して春みたいな気候の国へ移住したいな。争いのない国がいい。

今日みたいな日はnoteを閉じて眠った方がいいが、文章を書きたくなって開いてしまった。
いつぞや書いた長い下書きに加筆しよう。(更に書くんかいっ。)
(なので、ここから先は急に真面目な文章に。笑)






今生きていることが不思議。歩けることも走れることも不思議だと感じる。
そしてこんな風に生きれているのに、わたしは何をやっているんだろう、という感じの気持ちにもなる。

生きて 生きた、肝心なのはこの先なのにね、余生 みたいな気持ちが長い間抜けなかった。
人生の先輩に失礼だよねと思いつつ、もう80年くらい生きた気分だった。こんな風な気持ちに関して、ひとから理解されなくたって仕方のないこと。

でも、余生、ではなく、第二の人生 が今のわたしにはしっくりくる。
ここから第二の人生だと思って生きてゆきたい。



しかし、何をするのもとても勇気が要ってこわくて尻込みする。
アクセルもブレーキも同時に踏んでしまいエンストするような。そんなわたしを1番責めていたのは自分だったと思う。


どうしてわたしはこうなのか。
勇気を振り絞って行動すれば、もしかしたら変わる(行動しやすくなる)かもしれない。
しかし予想は外れ、傷ついたりした結果的に、また行動しにくくなった。
わたしは行動するのがこんなに難しい理由は何か、自分自身に焦点を当てても、はっきりとした答えは出なかった。

しかし、容易く行動できる他人達を見ていて、ある時に あっ と気がついた。
人は 帰れる場所 みたいなものがあって、初めて安心して行動できるのだ、と。
その見解がしっくりきた。帰る場所(物理的ではなくとも)があり、後ろ盾がいたり、きっと守られている感覚、があるのだろう。失敗しても、自分以外の受け止めてくれる人がいる。危険な目に遭った時は、こわかったね、と包まれたりそっと見守られるのかもしれない。どうも行動的な人には、そんな気配が漂っている。この観察眼が正しいかは分からない。言葉で説明するのは中々難しいけど、これだ、と思った。

帰れる場所、頼れる人、何かに守られている安心感、
何か一つでもあれば、違っていただろうか。なんて思う。無い物ねだりはやめよう。
何にもなくても頑張れ、と思って自分を奮い立たせてやってきたが、なかなか上手くいかなかったなあと思う。
一体どうしたらよかったのか分からない。頑張らなければまず生きることもできなかったと思うし、やはり最善の方法だっただろうか。
現時点では後悔だらけ。残念であるがそれは確かである。欲に対して我慢を重ねたり諦めたりしてきた何年分もの膨大な蓄積が苦しい。生き急いでいる感じになるのも頷ける。




この世は危険で満ち溢れているし安全な場所なんてどこにもない、と思う傍らで、安心できる場所(物理的ではなくとも)そんな風に過ごせる時間や自分を望んでいることに気が付いている。唯一のシェルターみたいな場所はもうなく記憶を呼び起こすだけ。もっと良い方法がないかなって模索している。

これからはどうする?と考えているところ。

大なり小なり何かしらの被害に遭った時は、これからは泣き寝入りしない、と決めた。
だけど、だいたいそういう時って、こころにエネルギーがほとんどない。
でも、今までみたいにもう泣き寝入りはしたくないし、頑張れ、と奮い立たせて勇気を出して相談に行った。が、軽くあしらわれるし、被害届を出すという意志を示すと、面倒臭いな、という空気感がダダ漏れであった。とても残念。多少期待してしまっていたのかもしれない。
煽るような質問をしておいて、わたしが言った言葉を、さもわたしの考えのように言わないで欲しい、と思った。尋問みたいな質問に感じて、わたしが何か悪いことしてここにいるみたい、とも。何かあっても助けてもくれないんだろうな、と感じたし、話をする時間ももったいない、と思った。

もっと道徳観を持った柔軟な人がいて欲しかった。
「じゃあ◯◯しますか?」という提案をしながら、Yesと言ったら罪悪感が生まれるような提案の仕方で、その選択肢はかなり選びにくい。(喋る内容とか表情から)ずるい、の三文字がぴったりである、と皮肉を思った。
仕事を増やすのはそりゃ承知ですがこれも仕事じゃないんですか、という言葉を飲み込んだ。しかしその面倒臭いなの空気感があまりにも、、な感じだったので「こんなことで相談に来てって感じですか?」と、つい言ってしまった。それを言ってからは、面倒臭いという感じを消そうとしてくれていたので(消えてなかったけど)、ほんの少しだけだけど印象が良くなった。
表情も声の色も相手の意図も見えなければもっと話しやすいのかもしれないけど、それでも自分の意思を持って伝えるのだ、と思った。

対応する人を変えたかったけどそれも無理みたいで結局諦めた。一度もメモをとらなくて話も聞く姿勢ではなく。残念。せめてメモくらい取ってほしかったな。
疲れたしその人間に対し落胆したし腹が立つよりも悲しくなってきてたくさん泣いたら少しすっきりした。
相談しなくてもきっと後悔したと思うし、でも相談して余計傷つく感じがしたし、疲れたり結局時間が無駄になったと思って勝手に腹が立った。恨む相手は本来その人間じゃなくて別の人間だけれどね。対応できることが限られているのも知っている。何に一番腹が立ったかって、誠実な対応とは程遠いこと、によってだ。(それは 悲しい のである。)
過去にあった助けてくれなかった出来事を思い出して余計に泣きたくなった。今回のはそれに比べると比でもないような小さな出来事である。

わたしは腹が立っても一回家に持って帰る性質があり、静かに苛立っていた。対応してくれた人は、言葉以外では気持ちを汲み取れないようだった。もしかしたら違和感はあったかもしれないけど、それが 怒っている とは、あんまり気づかれなかったかも。(言葉にしてちょっとくらい気づかれてもよかったのかも?と後で思った。笑)
(一回家に持って帰る、と話すと、大体の人から怖がられるか気持ち悪がられるかメンタル弱すぎ、とかそんな反応が返ってきて辛い。怒らない人だと思われることも多々あるけれどわたしだって腹が立つし、冷静に自分の腹が立っていることの根本を探る癖があり、その上で怒りを表すか決める。もう!!とか言って小出しに怒りを示せるような関係性でない限り。笑)



現実的な問題対処が苦手で空想ワールド(ひとりプ◯フェッショナル仕事の流儀、ひとり情熱◯陸etc..)に浸ってやる気を出したり楽しんだり乗り越えようとする癖があるけれど、そろそろこの空想ワールド炸裂させるのをストップさせないと、って思うのである。この空想ワールドについてこれる人もいなくてこの世から浮いてては孤独を感じるし、変な人として扱われたなら辛くなるだけである。とは言ってもこの習慣をなくすことは結構ストレスなのかもしれない。人に合わすことはできるけれどとっても疲れる。
自分が変わる努力は散々してきたけれどそれでも社会には馴染めないし限界があると思った。
自分の短所が痛手となったり必死にならなければ属せないところよりも、消えそうでもエネルギーがあるなら短所すら活かしていけたり環境を変える努力をする方が建設的かもと思う。
何か新しいことを始めるときにぶつかる緊急連絡先という壁。法律上はわたしの名前でいいのだけど、それを知らない人も多い。どうしても他者が必要、と言われるととても困るのである。存在しない人を書くわけにはいかず。人脈という人脈もなく。頼れる大人がいてほしかったとこういう時に胃に穴でも開きそうな気持ちになるのである。胸と背中あたりが痛むだけだが。痛いにも関わらず気絶しそうな眠気に襲われて、現実逃避したいのかわたしは?と思ってしまう。有料のところに頼むという手もあるけれどそれはもう最終手段だ。真面目に悩んでいるが提出書類の期限に間に合わず結果的に不真面目みたいだ。
生きるのっていつだって大変だったけど大人になった今の方がほんの少し楽だ。だけど余裕という余裕はまだない。もう粉々になるような働き方を辞めたい。この半年でとても貯金は減ったけれど今年限定で前に進むために動くのだ。ゆけゆけわたし!

(こりゃあ巻き物でござるな。。ここまで読んでくれた人がもしいたら本当にすごい、読書チャンピオンだ、、!ありがとう。)

p.s.
音楽が1番好きなのにそれについて人にあまり話せないしnoteにもあまり書けない。大事なことほど言いたくいないし書きたくない、みたいな感覚がある。(音楽活動をしているのになかなか音楽について語れなくてこれではいけんと思うところ。。)
日々曲をつくっている。もっと長時間こもって集中してつくりたいところだけどそうもいかず。まるで音楽が好きになってからずっと音楽に片想いしているかのようなわたくし。活動していて悩んだこともあったけど、わたしの中に音楽大好きな頃の6〜7歳のリトル ユウがいるおかげで随分と救われた。誰もいない畑に向かって大きな声で歌っていたそのまんまだ。おかげで少し力をもらえる。
うた ってわたしにとっては神聖な存在なのだ。表舞台にあまり立たなくなったとしてもきっとうたうのが好きでうたっていると思う。まず生きてないと音楽もできないから、しばらく勉強頑張るのだ。










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