まるで巻物

自分の人生を振り返って、これからどうしていこうか、と巡らせた時、今まで通り生きていたら、粉々になってしまう、と思った。自分のしたかったことをできないまま年数を重ねてきて、その後悔が年々膨らんでいる。どうしてもやれる範囲のことにはなるけれど、やってしまおうか、と思った。

音楽はコロナ禍になって活動をひかえるようになって、もうこのまま活動をやめよう、と思っていた。そんな中、去年はスーパーな助っ人の協力があり、全くの別名義でデジタルツールにより多数の人に歌を届けられた。SNSが苦手であるしライブは生に限るし、最初わたしは乗り気ではなかった。だれど、色んな人に届けられることが不思議でならなかったしこうして届けられるのは素晴らしい、という風に自分の中の考えが変化した。聴きにきてくれた人の名前の一覧を見るのも楽しみだった。何より画面の向こう側ではないすぐそこでわたしのつくった歌を聴いた助っ人のその熱量に、99%諦めていたこの心が動かされた。熱量を押し付けられるとわたしも負担に感じて参ってしまうが、ある種の才能のような繊細な感性で伝えてくれたことによって負担に感じず、寧ろ力になった。そういったことがなければもっと早期に表舞台での音楽を辞める決断をしていたのかもしれない。だけどデジタルツールの継続は難しくなり一旦終了することになった。その頃自分の中で色々悩んでいて、音楽活動全般から身をひこう、と思っていた。このデジタルツールで届けることが本当に最後だと思ったら涙が溢れた。助っ人には助っ人の人生がある中こうして一緒に動いてくれた事への感謝は言葉では足りない。うたうことに対する罪悪感、うたを聴いてもらうことへの恐怖心、音楽が好きな自分に対する失望感、自分で気づいていても意識的に変えることは難しい、と感じていたそれらが少し和らいだ。

表立って活動する時に、命が脅かされるみたいな感覚が心のどこかにあってそれが何年も消えない。もちろん頭では大丈夫だと解っている。音楽の話の輪に入って人の話は理解できるけど、ひとり感覚が大きく違うため発言するたびにいつも孤独を感じる。このご時世ならではの葛藤も大きい。この先わたしの音楽に需要はあるのだろうかなんて思う。

もう音楽活動から離れるつもりだったけれど、あまりにも後悔が大きいと気づいた。今年がラストだと思って動いてみよう、と思った。アルバムを作ったりMVを作ったりワンマンにわたしの音楽が好きな人が沢山来てくれたりそんな理想は叶えるのは難しいかもしれない。できる範囲で今まで渋っていた苦手なこともやってみよう、と思った。来年は活動しているのかしていないのか分からないけれど音楽はずっとしていると思う。音楽から多分脳内麻薬とかそういった類のものがでてると思う。多分やめられない。これは健全な依存症なんじゃないかと思っている。音楽に縋るように生きてきたけどそうじゃなくても生きられるようになりたいとも思っている。


何年も社会に馴染もうと精一杯やってきたけどとうとう馴染めなかった、という挫折感がすごくある。一体何ができるのだ、と思った。ずっと生きることで精一杯だったしみんなと同じくらい働いただけで過労気味になってしまったりした。ひとりぶん生きるのは大変だ。ただ風邪を引いただけで重くなって中々回復できなかったり、体力がなさすぎて首を切られた事もあったし、体調管理に気を配ったり工夫しても難しかった。音楽がしたいが思うようにはやってこれなかったというのが主観。体調に波があったけれどこの頃は安定して低迷している感がある。365日ほとんど体調不良それがわたしにとっての通常だから、元気?って聞かれたら、元気!って言うのが、自分にとっても人にとっても良いのかもしれないと思ったりする。年に数日だけ体調がすこぶる良いと感じる日がある。普段体調が悪いのだと知ることになる。こんな日が多かったら過ごしやすいのになと思う。今年はまだない。人体はとても不思議。

自分の中でしたい事との折り合いをつけられるか考えて、学びたいと思った分野が浮かび上がった。音楽活動はラストイヤー、その間に今年は勉強をしたい。早速ある教科で躓いていて、小学生で習うところまで戻った。YouTu◯e先生はもちろん疑問が浮かんで挙手しても質問には答えてくれない。「いい?わかるかな?これが分からない子は..」と子供向けの動画を観て半泣きになりながら勉強している。それにしてもすごい時代だよ。授業を動画にしてくれているなんてありがたい。受験勉強めいたことも今年に入るまで経験がなかったしまず勉強の仕方から躓いていた。行ける確率が低いというのにダメだった時の次のプランを考えていないのでなんとも恐ろしい。無理し続けていた環境から離れたことで少しゆとりが生まれて未来のことを考えられるようになった。もちろん1年も続けられない生活なので今年だけ挑戦してみる。

今までの人生で様々なことを経験した。直接「かわいそう」と言われる事も、裏で「不死鳥」と呼ばれる事も、どちらも苦痛だった。じゃあなんて言われたら嬉しいのか、それはずっと分からなかった。最近、初めて友が家に遊びに来てくれた。元気がなくても会ってくれるのが嬉しい。その時に「ユウちゃんの身体は強いし、心も強いと思う」と言ってくれた。今まで逆の言葉を1000聞いたとしてもその1はとても大きかった。友に力をもらった気分だった。わたしは、来る者拒まず去る者追わずスタンスで多分同じスタンスの人とは親交が深まる事もない。自分から連絡する事も極端に苦手である。連絡してくれたり遊びに誘ってくれたりすることにありがたいと感じている。

去年おととしあたりから何度も行こうか行くまいか迷った末、学生時代にお世話になった人にとても久しぶりに会いに行った。行こうと思ってもブレーキがかかり、何も良い報告ができないから行けなかった。久しぶりに会って覚えてくれていた。「結婚はしないのか?彼氏はいないのか?」どこに行っても最近よく聞くフレーズ。そして、そう聞く人が次に言う言葉は決まっていて、彼氏を作るようにアドバイスをする。この流れは、人が違っても変わらない、という見解に至った。わたしの中にある浅めの統計機能での算出。「男に困らないし選び放題だろ、選り好みしてたらあかんで」と言い放って、一体わたしがどんな風に映っているのか、と思った。懐かしいな、あれからもうそんなに経ったのか、としみじみ思いながら色んな話をしていた。全然変わらなくてホッとしたのだ。最後に、良い報告ができなくてもまた来たらいい、ということを言ってくれてとても嬉しくて危うく泣きそうだった。きっとまた行くのには勇気がいるのだろうけど。。笑


明日は久しぶりにライブをする。どきどきしている。ユウのライブ聴きたいなって思ってくれた人はいるだろうか。原点にかえれそうな気さえしている。一時期は骨のない生き物に、まさにタコみたいになりそうだった。階段は地獄だし転ぶし水を飲めばこぼすし頻繁にむせるし、納豆が口からこぼれる瞬間に一番幻滅した。こぼしたくない食べ物No.1、ぶっちぎりの1位。笑 洗濯バサミを挟めるかなどうかなくらいの手になっていて服の脱ぎ着が難しかった。布団は洗濯して脱水できてないばりの重さだった。お皿も何枚割ってしまったか。ギターからひと月ちょっと離れた。手を酷使する環境から離れたため思い切った。こんなことをするのはギターを握った日以来初めてだったからちょっとビビっていた。どうなるのかしらと思っていたけれどひたすら休めたことによるおかげなのかタコ期から回復することができた。毎日体力が落ちないように筋トレをしている。レッツらムキムキ。ギターはまだ長い時間弾けないけど代わりにピアノを練習した。心を込めて演奏したいし歌いたい。わたしがライブをしてエネルギーが湧いてくるように、誰かにとっても何か少しでもプラスに働くといいな。今まで肯定的にわたしと関わってくれた人たちの幸せを願ってやまない。

音楽に限らずやり残したなと思うことが沢山ある。素直になれなかったり勇気が出なかったりタイミングを逃してしまったこともある。どうしたらよかったかな、しまったなあ、と思う。生まれる前からやり直せないし、来世は..と思いを馳せたりするけれど、、冒頭に書いたやれる範囲のことをやってみたい。これじゃあダメなのだろうなとも思うけれど、余生を謳歌したい、みたいな気持ちでいる。苦しい時は幸せな出来事を思い出したり、腐りそうだと思うような時は人からもらった手紙を読んで乗り越えてきた。まだまだ圧倒的に良い経験が足りていないんだと思う。これから行きたい場所へいったり学んだり楽しんで上書き保存をしていきたい。

この世はそんなに悪くないってそう思ってみたい。




p.s.

Noteの記事は沢山書いてきたけど公開しない方がいいかな..と下書きのままにすることの方が圧倒的に多い。20記事書いて、公開するのは1記事くらいだろうか。

アーティストらしからぬ発言の多さ。。でも背伸びもできない。もう少しオブラートに包んで書くか、書かない方がいいのかもしれない。わたしの音楽が好きでこのページに飛んできて読んでくれた人がいたらごめんなさい。。

これは作文9枚分くらいになってしまっている。。笑 まるで巻物の文字量でござるな!笑 もし読んでくれた人がいたら本当にすごい!読書チャンピオンだ。ありがとう。


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