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義父に会う

今日の夕方、妻の父親に5年ぶりに会いに行きました。妻の母親は毎日のように我が家に来てくれて私たちの子供の面倒を見てくれるのですが、父親には久しく会うことができないでいました。

義父は介護施設にずっと入っていて、コロナの影響もあって面会制限があり、なかなか会う機会がなかったからです。

義父は非常に穏やかな人で、何よりも大変な勉強家であり、健康食品の販売店舗の店長として多忙を極めながらも、大学への社会人入学を目指して勉強し、見事合格したくらいでした。もっとも、社長の許可が降りず、泣く泣く入学辞退したそうですが・・・

私のこともどこか気に入ってくれたのか、初対面の時から親切に接してもらい、結婚もすぐに快諾していただきました。特に医療や健康の知識は該博であり、ワクチンの危険性についても語っていました。この時の情報は、しばらく後に起きたコロナ禍において、コロナワクチンを射つかどうかの判断に役立ちました。

しかし、ある日、妻の元に電話がかかり、義父が出先で倒れたとの連絡がありました。救急車で運ばれたものの、身体は麻痺していて、目線は定まらず、話せる状態ではなかったそうです。

脳出血と診断され、すぐに開頭手術となりました。幸い手術は成功したとの知らせがあり、私もすぐに病院に駆けつけました、全身の麻痺は残ったままで、話すこともできないのは変わらずでした。ただ、私の姿を見た義父が、わずかに目を見開いたような気がしました。

体を動かすことはほぼできず、話すことはもちろん、自力で食事も排泄もできない状態ではありましたが、おそらく意識はあるようで、私たちが話しかけた内容は理解しているようであり、指をわずかに動かして、Yes、という返事をすることはありました。

幸い介護施設に入所する手配がつき、退院後は自宅に帰ることなく、その施設で暮らすことになりました。

そんな中で、コロナ禍が発生しました。

当然のことながら、施設での面会は禁止となりました。半年後くらいにZoomでのオンライン面会が許可されるようになりましたが、実際に面会できるようになったのは2年ほど経って、コロナが5類に引き下げられてからでした。それでも一度に面会できるのは1名のみ、わずか15分だけでした。

今年になって、ようやく面会の人数制限がなくなりました。それでもマスク着用と手洗いは必須で、時間も30分だけです。今日、妻と義母、二人の子供と共に、私も施設に向かいました。

ジャケットにネクタイを締めて行くと言ったら妻に笑われて止められました。しかし、それくらい敬意を払って義父に挨拶したい気持ちでした。

施設に入り、会議室のような小さな部屋で待っていると、ヘルパーに押されて車椅子に乗った義父が現れました。顔色は想像していたよりずっと良く、赤みを帯びて艶やかでした。5年前に病院で会った時よりも、少しふくよかになった印象もあります。

深々と一礼し、ご無沙汰しています、と大きな声で挨拶しました。義父は目をしっかりと見開いた後、何度か頷きました。義母によると、これが今できる挨拶なのだそうです。

正直、これ以上かける言葉が見つからなかったので、妻や義母が義父の肩や足をマッサージしていたり、孫たちが周りで遊んでいる様子を、私は見ているだけでした。すぐに30分が経ちました。

施設を出た後、子供たちは近くの公園で遊ぶというので、妻と義母がその相手をするから、私は先に一人で帰っててもいいと言われ、その言葉に甘えることにしました。

今までも、妻や義母から、義父が元気そうにしていたことは聞いてはいました。しかし、意識はあるのに身体は動かせないまま、ほぼ家族にも会えずに施設でひっそりと暮らす義父の境遇に、どういう気持ちを抱けば良いのかわかりませんでした。今まで生きてきた記憶を反芻しつつ、夢うつつの中で、穏やかに過ごしていたのでしょうか。

自宅で介護というのは現実的ではないのはわかっています。それでも、疚しさというか、後ろめたさというか、自分の中で整理がつかない気持ちが胸の中で渦巻いたまま、一人歩いていました。ようやく秋らしい、涼しい風が吹いていました。

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