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めくるめくスピード出産

39週5日目。

12月に息子を出産した。病院についてから実に3時間という我ながら驚くほどのスピード感のある出産だった。

安産と聞くと「それほど痛くなくすっぽり産めるのかな・・」なんて実は甘い考えもよぎっていたのだけれど・・・とんでもない!!

安産なんて言葉は出産においては忘れたほうがいい。本当に死ぬ思いだった・・・

こんな機会、本当に無いから野暮ったいかもしれないけれど、じぶんの記録のために、この日一日を細かく思い出しながら書いておこうとおもう。


出産当日の朝

一体、陣痛とはなんのことだろう。
今がこんなに平和でこの先どんなことが起こるんだろう。
どのくらいの痛さの極地が待ち構えているんだろう。
どんなタイミングで出産のタイミングはやってくるんだろう。

朝からこんな思いを抱えながらいつものようにスマホでネット検索しながら過ごした。夫もお休みの土曜日の朝だ。

どの検索結果にも「いずれは必ず産まれるから心配しないで今の時間を楽しんで」といったような励ますような言葉ばかりで、なんだかいつどんなタイミングでどんな痛さが危ないのかもわからなかった。

実は前日まで子宮口が開かずちょっと出産は予定より遅れるだろうなとのんびり構えていた。

出産の前日に妊婦健診があって、華奢な女性のお医者さんがなんとか細い指を子宮口に通して「子宮口はまだ指1本分ですね」という診断だったのだ。それでもようやく開いた「指1本分」になんだかこれから1週間もすれば赤ちゃんが産まれてくれるのかもしれないという淡い期待が芽生えた。

そう。たった1cmほどでもうれしいのだ。

あー、まだ先なんだな。あまり期待しすぎずのんびり構えようなんて半分くらい呑気でいた。

ここ数日間また便秘に悩んでいたのもあったし、それの痛みか軽い生理痛のようなお腹の痛みを抱えながら、いつものとおり、よっこらしょと、お腹を左横に向けながら起き上がった。

10分間隔で痛みだしたら病院に連絡する・・

その言葉だけを胸に、一体、10分間隔の痛みはどの程度なのか未知の体験にドキドキしていた。

朝からわずかな痛みも記録しておこうと陣痛カウンターのアプリをちょこちょこタップしていた。

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小さい痛みは小刻みにあった。前日にトイレにいくとショーツに少し赤い血がついていた。子宮口をグリグリされると、まれに出血があるらしいから、おそらくそれのことだろう。

この日は出血も止まりただ、便秘のお腹のハリを感じているくらいだ。

気晴らしに朝、近所のホテルのカフェでカレーを食べに行こうと夫とでかけた。道々急に腰が重くなることがある。「痛いなら行かないよ」と言われたので、嫌だどうしてもいくと食い意地だけで食べにいった。こんなの予想される陣痛でいうとまだまだだ。自分でもそれがわかった。

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昼過ぎになって、10分間隔より短い陣痛がやってくる。

朝とは比べ物にならないくらい「痛い」とはっきりわかる痛みがやってくる。腰に重い石を巻き付けたような重さの痛みだ。病院に電話するほどなのかわからない。痛いのは痛い、10分を切ってもいる。

夫から電話してごらんと背中を押されて電話をしたけれど

「まだ我慢できる程度ですよね?もう一時間様子を見ましょう」と言われた。

10分起きを守っているのに、まだ様子を見るのか・・

なんとなく、自分の中でもこれから母親になるというのにこの程度で痛い痛いといっていてはだめなのかもしれないと少し我慢強く心構えてしまう。

病院にいったとしても子宮口が開かないようだったら自宅に戻されるという情報が頭の中にチラついて、どんなタイミングで連絡したらいいのかわからなくなった。

お腹というより腰が痛くて、立ち上がれないほど痛くなったとき、夫が正座している片方の足の上にお尻を乗っけて腰掛けさせてもらうと幾分ラクだと気づいた。

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1時間経過。

ときどき12分という間隔があったりするものの、だいぶ痛くなってきた。あれあれ、これは痛い。立ち上がるのがちょっと辛くなってきた。

また夫に促されながら病院に電話する。

陣痛タイマーの時間を事細かく伝えたけれどやっぱり「呼吸ができないほどという感じでもないですよね。我慢できる程度ならもう一時間まってみましょう」と判断されてしまった。さすがにもう電話するのが恥ずかしくなってきた。


そして、また一時間ちょっと。

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10分を切っている。立ち上がるのも腰が重すぎてつらい。

夫に「お願い、もう一度電話して」と言われて病院に電話をかける。
病院は家族のものが電話をかけず本人のみしか電話をかけられない。

「先程の方ですね。初産で不安なんですよね。いいですよ。病院来てください」となんだか不思議なOKをもらって、登録していた陣痛タクシーに連絡を入れて病院にようやく向かうことになった。

自宅マンションから降りてくるときも辛い。駐車場で立ってタクシーを待つのもつらいので、また夫に片膝立ててすわってもらい、その上に自分のお尻を乗っけた。
ラクな方法を見つけておいてよかった・・

タクシーの中でも急に痛み、タクシーから降りてからも痛み、途中途中例の座り込みをしながら、目の前の病棟に向かう。

夫は大きな荷物を抱えながら、頼りない妊婦を足に座らせたりしてテキパキとサポートしてくれた。

病院に着いてから

病院に着くなりお腹が痛くて倒れこみそうだった。

「先にトイレに行きますか?」と言われたけれど、トイレにいくのも億劫になるほど腰とお尻のあたりが重たい。

分娩室があいていたので、そこで横になって待機していた。

陣痛の間隔と胎動を見るためにお腹に装置を着けて待機する。

痛さがおさまるとヘラヘラとできるほど元気なのに痛いときは右にも左にも向けないほど辛くなって、装置を付けていることだけでも堪らなく辛くなってきた。

わたしのお腹の子は妊娠中寝ていることがもともと多くて胎動を感じることがそもそも少なかったくらいなので、何度も母体を右や左に向けて起こしてみるのだけど、だんだん、それもつらくなってきた。

呼吸法は以前聞いたことのあるヒーヒーフーなんかではなく「ふぅー、ふぅーーー」とゆっくり息を吐くよう言われたがとてもできない。

いよいよ、陣痛室に移ろうというときには「え・・!こんなにお腹痛いのに、この状態で、陣痛室に歩いていくの?」と、はっきり思えるほどもう体力も失って、痛さと吐き気をもようした。

移動の際に泣きながら嘔吐して、支えられながら陣痛室に移動する。もう身体がつらすぎる。大きな枕をうつ伏せに抱えたり、仰向けになったりどんな体勢になっても下腹部から腰やお尻のあたりが痛すぎる。生理痛の辛いときよりも痛い。さらに、もがいていると、お腹の子が下に移動してくるのを感じた。

「痛い!!!出てきちゃう・・・!!!」

ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、叫んでいると「だいじょうぶよ。まだ出てこないって」と制されながらフゥ~と呼吸するように言われる。

子宮口を調べるためにこれまで付き添ってくれた夫を陣痛室から出てもらい見ていると、子宮口は一気に1cmから6cmほどに開いているのが確認できた。その直後、ブシャーと自分でもわかるほど羊水が吹き出て、助産師さんたちの慌てる様子を一瞬でも見た気がした。

「分娩室に移動しましょう」

いよいよ出産

もうなんにもしたくなかった。お腹の子が下に降りている間隔とともに、腰回りの骨が無理やり開こうとこじ開ける間隔が痛すぎて、このままお腹を切るなりして欲しいほどもう移動の体力も何もない。

汚い話だけれど、こんなに腰回りの間隔を無くすほど痛さにやられていたら脱糞してしまうんではないかと心配になって助産師さんに恥ずかしながら相談してしまった。(「もし出ても、付添の旦那さんの方向からは見えないしそういう人もいるから大丈夫、安心してね」と言ってもらった。)

なんとか、支えられながら分娩室の高いベットに横になり、あっという間に出産が開始される。

もう痛すぎて気づかなかったけれど、お尻のあたりに麻酔の注射を何本か打っているらしい。

陣痛の痛さが辛すぎただけに出産するときは、痛さなどもう感じなかった。誰かが言っていたけれど、呼吸を整えて大きなウンチをする感覚で、ふーっとやる。

助産師さんたちのハイッという言葉にあわせて一気にいきむ。

呼吸を整えて、もう一度・・

赤ちゃんの頭が出てくる。

そして、もう一度呼吸を整えて ん〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

ついに、お腹の赤ちゃんが産声を上げた。

「ギャーーーー」

あ〜〜〜〜〜、、、産まれた〜〜〜〜〜!!!!!!

涙が出た・・止まらないくらい涙が出た・・うれしいよ〜〜〜

予定日より2日早く、やってきた。40歳の冬だった!

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