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Interaction20個人的雑感

世界最大規模のインタラクションデザインのコミュニティ

2/5-7の3日間、イタリアのミラノで開催されたインタラクションデザインの世界最大規模の国際カンファレンスであるInteraction20に出席した。

実際には上記3日間のみならず、2/2から学生向けの教育プログラムやリーダーシップ向けワークショップが先行して開催され、1週間にわたりInteraction Weekとしてミラノの街に世界中からデザインパーソンが集った。
インタラクションデザインの国際組織であるIxDAが主催するこのカンファレンスは非常に規模が大きく、今年の大会では世界約40カ国から1,500人にも及ぶ参加者が熱心に各スピーカーのスピーチに耳を傾け、会場内外の至るところで白熱した議論を交わす大変熱量の高い場ではあったが、ちょっとした会の進行、パーティーやサイドイベントの設え、会場内の様々なアプリケーションといったあらゆる体験がデザインされており、ミラノという街のもつ洒脱な空気も相まって熱量が高い中にもリラックスした、ウキウキした気分になれる素敵な時間であった。

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自身としては2014年のアムステルダム大会(その際の雑感はこちら)以来6年ぶりの出席となったが、久しぶりに出席してまず感じたことはインタラクションという言葉が指し示す範囲が非常に大きくなっているということだった。
デザインのカンファレンスにおいて「デザイン」が扱う範囲は往々にして拡張してゆく傾向にはあるが、本カンファレンスがメインイシューとして扱う「インタラクション」はそのようなデザインの役割の拡張を加速させる、というよりは、視点と視座をさらに多面的にしていくような行為そのものをデザイン対象としていると感じた。
Interactionカンファレンスは2017年のリヨン大会(アラン・クーパーが初日のキーノートを務めた年)から、3日間のメインカンファレンスは日ごとにデイリーテーマが設定されている。
今年はDay1からDay3の順に、

Day1.Traversing The Unknown (未知のものを多面的に捉える)
Day2.Wicked Solution (やっかいな解決方法)
Day3.Ch,Ch,Changes (さぁ、変わるんだ)

というデイリーテーマで、この3つの日替わりテーマがまさに上述した新しい夜明けに向かう変化の過程(transition)を比喩的に表していた。

データがもつ人間性と、ポスト人間中心デザイン

初日の基調講演を務めたGiorgia Lupiは自らを情報デザイナー(information designer)と呼び、これまでIBMのビジュアル言語をデザインしたり、データをアートとして表現する創作活動を通してMoMAにも作品が収蔵されているアーティストでもある。

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彼女は世の中のあらゆるデータ、例えば日常の行動や空間におけるアトモスフィアとも言えるような抽象情報を(おそらく)彼女独自のクライテリアによって可視化情報に変換し『手描き』でデータをビジュアライズし、そのビジュアルを用いて数値情報に過ぎないデータに人間性や身体性を吹き込み、アート化してしまうという実に面白い取り組みを行っている。

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彼女は”data is language for everyone”(データはすべてのひとにとって共通の言語である)という主張を持っていて、上述のように数値情報に過ぎない電子的なデータを”あえてアナログに変換、描写する”ことによって、人間社会を構成する要素として欠かすことのできない因子となったデータと、人間の生活や活動を融合させていこうという意思を感じた。
この視点をLupiは”human side of data”と呼んでいる。
わたしの勝手な解釈ではあるが、この取組みは単に人にとって都合よくデータを使いこなそうというようなことではなく、これからのデジタルがリアルと完全に融合していく世の中は、人間がデータをまるで道具のように一方的に使うのではなく、データもこれからの社会を構成する重要なひとつのアクターとして扱っていくためにデータがもつ人間的側面を解釈し、描き出す必要があるという提言だと受け取れた。

このように人間と非人間(生物に限らず無機物や機械も含め)の関係を、人間がその他のものを支配する世界と捉えず、例えばルンバのような機械の視点から世の中を見るとどう見えるのかを擬似的に再現しリサーチすることで、人工知能などの進化、搭載によってますます知性が備わってくる機械が増えていく世の中を、どのようにデザインすることが人間にとって理想的なのか?をリデザインしていこうとする事例の話題提供もあった。

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このような見方やデザインしていくべき対象の再解釈は一見突飛なことのように思えるかもしれないが、すくなくともスマホを始めとする個人レベルのデジタル化、それらの人が構成する社会のデジタル化に代表されるように、20年、30年前の世の中と今とこれからの世の中は違ってきていることを考えると、上述した近代以降の人間と非人間の境目が明確に分断されていた時代における”人間中心”発想であらゆる仕組みを考えていていいはずがないことは、デジタル社会におけるひとの行動変化や習慣変化に理解がある方であれば想像することは難しくないだろう。

人間中心デザインというと、今や多くの良識あるデザイナーは『簡単で、迷わず、快適に使える』もの”だけ”がよい、という表層的な解釈については批判的側面も持っていると思うが、カナダのゲーム会社でインタラクションデザイナーを務めるMoarie Jasminは”In praise of discomfort”(不快バンザイ?)というタイトルで、ゲームデザインにおける快適”ではない”やインタラクションデザインがなされたゲームが、結果としてユーザーにとって好ましいものになるという話題提供を行った。

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人は、サクッと理解し、サクッと体験できてしまうものよりも、少々面倒で手間がかかり、仕組みや構造を理解するのに頭をつかうもののほうが深く印象に残り、愛着が湧くという考え方で、そのような一連のデザインされた不便さが、

・inspiration (刺激を与え)
・connection (経験と記憶をつなげ)
・memory (深く印象に残る)

の3つのプロセスを形成するという。
この考え方は京都大学の川上浩司先生らが提供する『不便益』の考え方とも通ずるもので、10分間のショートスピーチではなくもっと深い話を聞きたいと感じた。

フツーじゃない未来を考えるための道のりづくり

Day2のオープニングキーノートは、若き天才ハッカーが閣僚に大抜擢され話題となった台湾政府のデジタル担当大臣Audrey Tang。生でAudreyが見られる!と期待していたがまさかのZoomを使ったビデオミーティングでの基調講演であった。

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(余談であるが背景は宇宙である。やはり天才は宇宙に向かうのか。
しかし、この基調講演の際のZoomの通信は抜群に安定していた。)

Audreyからは、現在台湾政府が進めている国家目標としてはSDGsと政治への市民参画のための仕組みについて事例を交えた話題提供が行われた。
台湾では政治的な意見や提案に対してPol.isというオンラインプラットフォームを用いて市民が気軽に意思表明ができる。
その仕組みのキモとなるのは『賛成』と『賛成しない』という意思表明はできるが、意見をリプライすることはできないということだ。
強い意見を持たずとも意思表明だけでも簡単に行えるというinclusiveな場づくりに加え、このPol.isは集まった意見をAI(人工知能)が自動的にファシリテーションし、政治に関する市民意見の傾向を常に可視化。民意の全体像をわかりやすくし、意見の収束に向かわせるといった処理を行うためデータ処理にとって都合もよいのであろう。

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Audreyは昨今の台湾における市民の政治参画の高まりを後押しするのはスマホだという。
かつては、一部のアクティヴィストや政治参画についてのなにかしらの機会を持った特権的な立場の人々しか参画しづらかった政治を、スマホで誰でも気軽に行えるように徹底して基盤づくりと啓蒙(Pol.isへの参加啓蒙はFacebookのタイムライン広告などを通してプロモーションされているらしい)を行うことで、自分たちひとりひとりの立場で国のことを考えて政治を自分ごととして捉えられる常識と習慣、そして市民機運を短期間につくりあげてしまった。
台湾は、これまでの政治家ではない人物が、これまでの政治運営とはちがったコンセプトと仕組みによって、国を動かす仕組みと社会の構造を変革したのである。
(ちなみに昨今の市民参加の傾向として若者と60代以上の参加意識が非常に高く、逆に最も参加意識が薄いのが40代男性であるという。どこかの国と同じである。)

同様のビジョン提起は、続く二人目の基調講演者であるヘルシンキに拠点をおく戦略デザインスタジオの代表を務めるMarco Steinburgによる”Plan Z:A case for redesign”というタイトルのスピーチにも引き継がれた。
Marcoは1300年代から現在までの英国の国民一人あたりのGDPの推移をグラフで示し、1300年から長くつづいた『何も怒らなかった時代』を経て、1750年あたりで勃興した産業革命によって突然GDPの高騰が起きたことを説明。前者の時代をAct1、後者をAct2とした。

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そして、これからの未来の時代であるAct3には極めて一部の富裕層による資本の総取りによる超格差社会がますます加速することを示し、私達の社会は産業革命による社会の工業化と資本主義によって豊かになりはしたが、非支配層が豊かに暮らせる本来近代社会が目指すべきだった社会づくりに失敗したままのモードで未来をつくろうとしていることを指摘。
18世紀につくられた制度や社会通念のまま21世紀の世の中を考えるのではなく、モードチャンジすべきであるという問題を投げかけた。
現状を分析しあるべき姿を描くのではなく、まず最初にありたい姿を描きそれを実現するために現状の常識をも変えてしまう思考が必要であることを提案した。
後者のモードへのティッピング・ポイントをつくるものこそがデザインである締めくくった。

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新しい夜明けを描き、道のりを用意する

『今の常識を一気に変えることなんてできるのか?』という素朴な疑問に対して大変よい示唆を提供してくれたのが、アメリカの国家人身売買反対機構での職員経験ももつデザイナーのFahmida Azadによる”What Designers can learn from intersectional Feminism”というスピーチだ。
かつて、現在では考えられないくらい女性の立場が暴力的なまでに虐げられていた時代があった。
そのような時代に、フェミニズム活動の声を上げ、世の中の理解を促し、インターセクショナルな方法論を用いながら、声を上げる主体者とそれを応援する人たちのコミュニティを少しづつ、しかし着実に強固で大きなものにしていくことによって昨日までの常識を変えてしまう草の根活動の歴史を例に挙げ、一見変革が不可能に思える非常識な社会へと続く変化の道のりそのものをデザインすることの重要性を提言した。

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年次テーマである”A NEW DAWN”のサブテーマとして”Transition to future of design”が掲げられていることからも、デザインの未来へと続く道のさまざまな経過点に何が起きていくべきか?
理想を描いた新しい夜明けへの一足飛びの変化ではなく多様なシナリオ、複層的な道のりを描いていくこと自体をデザインしていくという行為自体が重要であり、その道のりにおける様々な事象、変革のすべてをintearctionと捉えてデザインしていこう、というビジョン共有のための3日間だった、とカンファレンス終了後の自己流の解釈としたい。

デザインは社会を変える、という考えはすでに浸透しつつあり、今あえて声高に叫ぶべきことでもないことではあるが、社会が変わっていくためには社会を構成している(と、されている)常識、価値観、倫理観、社会制度、政治の仕組みなど、様々なことが変わらないとならない。
その端的な指摘が、産業革命によって生み出された工業化社会の限界点でもある。
豊かさとはなにか?人間性とは何か?良い社会とは果たして何なのか?
前述のMarcoの提言のように18世紀につくられた(その当時は効率がよかった)仕組みのまま、21世紀とこれから先にわたしたちの子どもたちが暮らすさらに先の未来の社会がつくられていていいはずがない。
新しい夜明けを描くことは、今を生きる自分たちの幸せだけでなく、未来を生きる後輩たちへの責任でもある。
Interaction20では、それらの物事をどうデザインしていくかだけでなく、変化の過程で複雑にに関わり合う物事をどのようにデザインすべきかという点についてもいたるところで議論の種が蒔かれるような場であった。

3日間を通した総括

様々な話題提供、批判的な問題提起を自分なりに粗っぽく咀嚼したInteraction20のトピックスは下記の4点。

1.HUMANITY and TECHNOLOGY
2.NECESSITY TO TRANSFORM SOCIAL SYSTEM AND SENSE OF VALUE
3.INTERACTION AS ARCHITECTURE OF SOCIAL
4.INTERACTION(DESIGNER) SHOULD DESIGN NEW GOAL, ISSUE AND INSTITUTION OF FUTURE

人間とテクノロジーは、かつてのように人間が万能の神のような存在として社会や環境をコントロールできる”わけではない”ことが明らかになってしまった今(気候変動や環境問題、度重なる痛ましい天災がその最たるものだ)いかに人間と環境・社会が共存するか?の重要なパートナーとしてテクノロジーとの関係が見直される。それは前述したようにテクノロジーを使って人間が好きなようにやる、のではなく、テクノロジーと人間性の融合によってあたらしい社会の相互行為をつくりだすことだ。
そのためには、これまでの社会通念や価値観をドラスティックにアップデートしつつ、うまくトランジションしていける道筋を描く必要がある。社会はすぐに変われない。
そのために、社会構造を形作るあらゆるアクター同士の相互行為をデザイン=インタラクションデザインの対象と捉え、広く深い視点と視野でありたい姿を描きバックキャストする必要がある。
そのためにインタラクションデザイナーがすべきことは、新しいゴールや新しい問題、社会の仕組みそのものに理想像を突きつけていくことではないだろうか。

他にも非常に興味深いスピーチ、セッション満載の3日間であったのですべて紹介したいところではあるが、それはまたの機会に。
おそらく近いうちに日本からの参加者有志による共有の場がもたれることでしょう。
※詳細が決まり次第、お知らせしたいと思います。

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