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肩書に惑わされない自信ありますか?私はまだ、ない。

世の中をこんな風にしてしまったのは自分たちの責任だ。
と諸先輩方が政治について語られているのを最近よく見かけますが、私はこの問題の根本には、政治に目を向ける、声を上げる、投票に行く
以外にも、
大事なことがあると思っています。

それは、

自分の頭で考えること
自分で判断すること
自分の言葉で話すこと
そして、本質を見ようとすること

です。
なぜ、これが大事だと思うか。

少し、肩書の話に飛びましょう。

日本人はブランドが大好きです。
これは解体すると
本当によいもの、
が好きなのではなく、
人から決められた価値のあるもの
が好きなんです。
というか安心なんです。

自分がいいと思って
自分が選んだものを
身に着けている人、どれだけいるでしょう。

好みの話ならまだいいかもしれません。
こだわりを持ちやすいので。

長年人の評価を第一の基準として生きてきた私たちは
例えば人に出会ったとき、例えば仕事をするとき、
なにをみますか?

こんな、私の恥ずかしい話があります。

カウンセラーの勉強を始めようと思ったとき
どの資格が一番権威があるか
を調べました。

カウンセラーとはなんぞや
どんな勉強を求めているのか
それに近いものを教えてくれるのはどこなのか

自分が得たいものを自分で追及する前に
権威という人からの評価を基準にしていました。
つまり判断を人任せにしていたんですね。

そんなとき
尊敬する先輩に肩書じゃないと諭されました。
ただ私が独立して仕事をするなら
権威のある肩書の方が宣伝になるだろうと思いました。
つまり私自身の中身より外側を重視したのです。
だから肩書じゃないって言われてもねえ
みんなそれをみるでしょ?
とそんな綺麗事言われても…と懐疑的になりました。

演劇界もそうなのか?
と問われたときにはっとしました。

権威のある場所
例えば有名な事務所
例えば人気ドラマに出ている人が、
必ずしもお芝居がいいわけではない
(ごめんなさい、主観です)
でも、そんな人にしかみんな目を向けないよね。

なんでもっとちゃんといいお芝居
いい役者、いい演劇を見る目がないのだろう
と傲慢なことを思っていました。

一歩外を出たら
私もその本質ではなく
(ここでいう本質とは、そのものが持つ意味、価値観といった中身)
人からすでに評価された外側に左右され、
その評価によって価値を判断していたというのに。

そこに気が付いた瞬間、自分の了見の狭さに
死ぬほど恥ずかしくなりました。
見る目があると思っていた自分が滑稽でした。

もちろん人の評価は必ずしも悪いこととは思いません。
先人の知恵だと思います。

ただ、重要な局面でそうすることは
自分の責任を果たしていることと言えるのだろうか?


自分の目で見ること
判断することに自信がない
って人、いっぱいいると思います。
私は自信ある方だと思ってましたが
打ち砕かれました。

だからトレ―ニングです。
至らない自分、恥ずかしい自分は
変えたいと思います。

自信のある人は疑いましょう。
世の中全部のことを知ることはできないのだから
過信になっていないか。
自信のない人はまずその世界を知りましょう。
知ったうえで考えましょう
とことん考えましょう

自分は
どう思うのか。

そしたらきっと判断できるんじゃないかな。
悩んだ結果相談するのは全然いいと思います。
でも決めるのは最後は自分。
って覚悟持ちましょう。
責任転嫁やめましょう。
決めないのもやめましょう。

そうやってひとりひとりの意識が変わっていったら
世界は変わるし、
強くなると思うんだよなあ。


一緒に強くなりませんか?

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