問いかける力

どうも、わたしは考えることが苦手らしい。

ずっと、そう思っていた。

でも実は、「考える」というより、「問いをたてる」のが苦手なのだと気づいた。

今の世の中、解答を出せるスキルはもう当たり前で、いかに疑問に思うか、問いをたてられるか、「質問力」のほうが重視される、という。

「疑問に思う」ことが、実はあまり多くない。
正確にいうと、疑問に思ったことに適度に解答を与えて、自分を納得させている。
それを、恒常的にやってきた。
子どもの頃から、ずっとそうだ。

正しい答を、求められていたからさ。
テストでは、正解を書かなくちゃ、認められないからさ。
あれこれ次々と質問ばかりすると、周囲からうっとうしがられるかもしれない。
面倒くさい子だと思われるかもしれないからさ。
それは、つらいことだから。

と、そんな子どもだったかどうかは、今となっては思い出せないけど。

疑問質問、あらゆる「問い」には、解答を出さないといけない。
回答がない状態を放置してはいけない。
そして、せっかく出してきた解答を、疑ってはいけない。

そんな感じなのかも。
でもさ、なんかヘンじゃない?

そこで、「なぜなにどうして」を意識的にやってみることにした。

とにかく、問いを立て続けてみる。
「いかにもそれらしい答」を、疑ってみる。

こんなぐあいで、どうだろう。


そんなことできるかなあ。

やってこなかったのだから、難しいのはまあ、間違いなさそう。

訓練したら、誰でもできるようになるってさ。

とは、よく聞くけれど、本当にそうかな。

もって生まれた性質って、絶対関係あると思う。
実際、姉は子どもの頃からなぜなにどうしてちゃんだ。
友人も、そんなとこ、気にする?ってくらい細かいところに疑問を持ったりする。

でも、ある程度はやっぱり、練習すれば今より上手になるんじゃない?

じゃあやっぱり、やってみる?
どれくらい続けていたら、変化が感じられるかな?

すごく子どもじみた内容だから、ちょっとバカバカしく見える。

これって実は「哲学」だよね。
哲学は、「いかに問うか」なんだ。
ヘタな問い繰り返すうち、よい問いを立てられるようになる可能性は、ある?
ある、と仮定して、やってみる。
(この「仮定する」も大事)

最後に、宿題の質問。

なんで、「よい問いをたてられる」ようになりたいの?


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